無能の実情

 夕暮れが世界を茜に染めて、世界を血の池に沈めたころ、テンプスの研究個室のドアは叩かれた。


「――どうぞ。」


 声に幾分かの緊張が乗ったのはある程度仕方がないことだろう、彼からすれば自分の弟すらだますような女との対決である可能性があるだから。


「失礼します……」


 入室の挨拶をしながらおっかなびっくり扉を開いたのは小柄な少女だった。


 背の頃はサンケイより少し小さい――150cm強――ぐらいのその少女は美しいプラチナブロンドの髪をしている。

 そう、彼女こそ、あの日謎のアサシンに弟と共に追いかけられていた少女だ。


「悪いね、さん。わざわざここまで来てもらって。君らの教室に行くと――あー……迷惑かと思って。」


「あ、いえ、全然……それで一体何の御用でしょう?」


 そう言いながらこちらを困惑したように見つめる少女――マギア・カレンダはよく見なくてもおびえているように見えた。


 ごく最近弟の友人になったこの少女はこの学園にしては珍しい特別転入生だった。


 何でも、もともと別の学校の出だった彼女が長年未決だった『土の魔術の派生と目される鋼属性への変質条件』についての画期的論文を書いたことによってこの学校に編入してきたこの少女は入学早々、その天才性でもって、その名をとどろかせた。


 この学校始まって以来の編入試験全問正解をたたき出した才女、それが彼女だ。


「いや、別に大したことじゃないんだよ――あ、座って。」


「あ、はい、どうも……」


 そう言いながら椅子を進めたテンプスにおずおずと椅子に座って見せる彼女は、まるで恐喝の加害者と被害者のように映るだろう――見た目通りの人間ならば。


「いやなに、ほんとにたいした事じゃないんだが――」


 一拍言葉を切る、テンプスは彼自身の中にある出せるだけの威圧感をもって彼女に問いかけた。


「――君は何で弟近づいた?」


「……えっ?」


 椅子に座ったとたんにそういわれた少女は一瞬身を固くしたと思えば困惑がさらに強くなったような声を上げる、


「聞こえなかったんならもう一回言う、何が目的で弟に近いたんだ――マギア・カレンダ」


 そういったテンプスの目はすでに後輩に向けるものではなく、敵に向けるものだった。


「な、何言ってるんですか先輩。そんな事――」


「なら、君と弟に何の関係もないと?」


「そりゃ、仲良くはしてますけど――」


「――不正に入学して?」


「――!?」


 驚愕の表情で彼女が固まる。これを知られているのが意外だったのだろう――弟ではなく兄の方なのだからななおさら。と言ったところか?


「君のことは調べてある、一日で調べ上げるのは苦労したよ。マギア・カレンダ、十五歳。編入生。小さな村の出身でご両親は健在、親共々聖教徒で熱心な信者。住民票もきちんと取った模範的な国民だ。学内での評判は上々、エリクシーズへの加入も確実視されてるとかなんとか――ほかのメンバーとの仲もいいようだしな。」


「……」


 マギアから流れてくる視線が鋭さを増した。明らかに、先ほどまでのおびえた態度とは違う熱を感じる視線にテンプスは自分の考えが間違っていなかったことを確信していた。


「君の出した論文は確かに画期的だった。正直ちょっと唖然としたよ、普通の土だけじゃなく稲妻を使って被強化反応を起こすとは思わなかった。」


「……どうも、先輩の『古代文明における建築、都市史研究の課題』もいい論文でしたよ。私の範囲じゃなかったですけど。」


「そりゃそうだろ、君の範囲分野は教官に出したら没にされた。たぶん死蔵だな。」


「え、あるんですかあの文明の秘術についての論文。」


「って言うか、僕の研究テーマは基本そっちだ。」


「え、読みたい、読みましょう?」


「あー……話が終わったらな。」


 先ほどまでの剣呑な雰囲気がどこへやら、目を輝かせている少女は自分と同じ学術の徒の様に見える。


 調子が狂ったなぁと思いながら気を取り直すように咳払いをして気を引き締める。


「む……そうでしたね、それで?その論文のすばらしさを理解してくれている先輩がなぜ私を疑うんです?」


 先ほどに比べるとはるかにふてぶてしく彼女が言った。こちらが本性なのだろう。


。」


「……だから、なぜそう思うのかと聞いて――」


「――君、洗礼記録がないな。」


「――!」


 息をのむ音。気が付いていなかった論調の穴を突かれた学院性の様に身を固める彼女はそれでもそれを顔には出さなかった。


「通常、聖教徒の家は子供が生まれればその子供に洗礼を行う、その記録は洗礼台帳として協会に保存され、終生保存される。」


 言葉を区切って反応を見る――明らかにこわばった表情はこれが彼女にとり予想外の事態であることを如実に示していた。


「なのに、君にはその洗礼の記録がない。小さい村において洗礼の届けは出生の記録を兼ねてる。ないなんてことはありえん。」


「……普通の人がそんなもの見れるわけが――」


「そこに関しては悪いが少々うそをついた。「弟とこの少女が付き合っているのだが、自分たちは田舎の生まれで洗礼を受けたか記憶にない、両親にも会いに行けないので。申し訳ないが洗礼台帳を見せてほしい」と言いたら見せてくれたよ。」


「……まさか昨日一日で私の村まで行ったとでも?そんなことできるわけ――」


「洗礼台帳は通常、転居した場合にはその教区の教会に移る。この町の場合は街の真ん中の大教会だ。なぜその程度のことを知らん?」


「――」


 口ごもる彼女に無感動な瞳を向ける。嘘が通じないと分からせるためにも、押し続ける必要があった。


「さらに言えば、ここの住民票がないとこの学園には入れん。その程度の入学審査はある。が、住民票は出生届がないと発行されない。そして、お前は住民票をもらうために必要な洗礼記録がない――が、この学校にいる。」


 何故だ?と言外に語る彼は目を細めて試すように彼女を見つめる。その姿はまるで相手のすべてを見抜いた名探偵か、さもなければ――そう、罪を暴く天の使いの様に見えた。


「……誰です?あなたのこと無能なんて言ったの。大ウソじゃないですか。」


 笑みを見せながら挑発するかのように言う彼女に笑いながらからかうように告げた。


「僕じゃないだれかだ――自分で名乗りだした記憶はないからな。」


 彼女の頬に汗が垂れた――彼女が久しく感じていない冷や汗だった。



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