転生者のあせり

「――兄さん、オモルフォス先輩のこと振ったってホント!?」


 週に一度だけあるグベルマーレ家の晩餐会は弟の驚いたような声で始まった。


「んぁ?ん、まあそうね。」


 口に含んでいたタルト・フランベを飲み込みながらテンプスは驚きに目をむいている弟に驚きながら答えた。


 生地を薄く伸ばしてクリームを使い、高温でサッと焼き上げた料理であるこれは叔母の得意料理であり、テンプスはこれを食べにこの日を待っていると言っても過言ではなかった。


「なんで!」


 パンが焼けるまでの間に素早くできる上に、カリッと香ばしく、人々に親しまれたこの料理を味わう暇がなかったことに悲しみを覚えながらなぜか怒っている弟に告げる。


「何でって……知ってるだろ、死刑執行人の結婚に関する事項。」


「……何それ。」


 驚いたことに彼は死刑執行人に対しての幾らかの禁則について何も知らなかった。


 結婚、儀礼、報告に関する幾らかの項目についての専門的知識を与えたところ、弟はひどく狼狽し「しらない……知らないぞそんな設定……」とうわごとのようにつぶやいていた。


「まあ、そういうわけだから。」


「でも……!」


 死刑執行人の事情を語って聞かせてなお、食い下がろうとする弟に兄は飽きれたように話す。


「でももくそもない、向こうだってあの立場を捨てて僕のところに嫁いできやせんよ。」


 それは事実だろうと彼は思っていた。普通に考えても自分の下に来る理由はない。


「……でも、それじゃあ……!」


 そう言って下唇を噛む弟に兄は諭すように。


「――いいか、お前が何を期待してるのかはわからん。ただ、何でもかんでも思う通りにはならんさ。」


 と、告げた。


「――っ」


 それを弟がどう聞いたのかは彼自身しかわからないことだ。ただ、確かなことは弟は夕食の席から駆け出して、自室にこもってしまったことだけだ。


『……まったく……』


 ままならない物だなぁ……と彼はそっと嘆息し、叔母に暇乞いを行う、ここにいても弟の負担になると考えてのことだった。


 ―――――――――――――――――――――――――――――


『くそ、どこで狂ったんだ!?こんな展開知らないぞ!』


 勢いよく扉を閉めたサンケイは頭を掻きむしって自分の計画の崩壊を呪った


『そういえば――』


 ゲームの宣伝PVで見た光景を思い出した、確か――


『原作にはないIFルートがあるって――』


 全年齢対象のゲームのPVだったため死体やコンプライアンスに引っかかる表現はなかった、が、『どこかの屋敷の一室で閉じ込められるマギア』という一枚絵はあったはずだ。


『もしかして、そのルートに入った?何でだよ!』


 確かに接触時期は変わったり、注目されるのが早かったりはする、するが――


『そんなに影響ないだろ?なんでこんな……!』


 いや、今はそれよりもメインイベントだ、自分の知らないルートに乗ってイベントが動いているのだとしたらお手上げだ、もう、手出しできるのかもどうすればいいのかもわからない――マギアはあきらめるしかない。


『っくそ!ここまで来て――』


 だが幸い、『赤の契約』は手に入っている、これがあれば――


『でもマギア……あー……』


 彼の脳裏に浮かぶのはこれから起こるはずだった、数多のイベントだった、水着回でサービスシーン、戦いの中で育まれるはずの愛情、そして、明確な描写はないがおそらくやる事をしたと思しきあのシーン……そういったものがすべて消えさったことへの落胆だった。


 彼の脳裏には「ここまで過ごしてきたマギア」への思いはなかった。


 それはある意味、彼が転生者であることの弊害だった。


 彼の中には「神速の男とともにいるマギア」がデフォルトなのだ、彼にとってはどこまで行ってもこの世界の住人は『アニメのキャラクター』でしかない、だからこの世界で直にあったマギアへの思いが乏しい。


「でもなぁ……ほとんどバグキャラのマギア捨てるといろんなとこで問題が……」


 此処に来て、彼の精神はサンケイ・グベルマーレから三渓司に戻りつつあった。


 いや、正確には彼のかぶっていたメッキがはがれ始めているのだ。そもそも、彼はただの高校生だ、物語の主人公のような卓越した精神性はなく、困難にぶち当たれば容易く砕けてしまう。


「あきらめ……いや、まだ挽回出来るか?でも、どうやって……」


 彼は一人で夜の帳の落ちた暗い部屋で危険な精神状態のまま、数多の計画を考え始めた。


「あの、糞女はテンプスを……それを俺が後押ししてやれば……いや、どうやるんだよそれを……」


 ぶつぶつぶつぶつと何事か呟くその姿はまるで何かの中毒患者が末期に見せる幻覚にとらわれているかのように見えた。


「……だから……そこを……おれが……」


 ぶつぶつぶつぶつ、時間がたつ。


 彼の叔母が「扉の前に置いておく」と告げた食事が冷め、夜の闇がより深くなり、すべての輪郭を完全に溶かしても彼のつぶやきは止まらない。


 全ては彼が主人公でいるために必要な事だからだ。彼はそのためなら兄が犠牲になってもいいと思っていた。


 時計の音よりも多くのつぶやきを闇と空気を溶かした彼は結局一睡もせずに考えた彼は一つ、ある案を思いついた。


 それは決して利口でも素晴らしい案でもなかったが彼にはそれしか思いつかなかったし、それが最善だと彼は信じて疑わなかった。

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