帳の下りる夕暮れ
「――おん?」
暮れなずむ校舎を家に向かって急ぐ生徒たちの中に弟を見つけたテンプスは首をひねった。
貸出期限に迫った本の返却を行うべく、大図書館の二階を歩いたテンプスは偶然窓の外に移った景色に弟を見つけたのだ。
それだけならば何もおかしいことはない、彼が首をひねったのは彼がいつもの友人たちと共にいなかったからだ。だからと言って一人でもない、あれは――
『――誰だ?あれ。』
知らない少女だった、彼と同じくらいの背丈、プラチナブロンドの美しい髪をした美しい少女――
『――あいつ、また人口説いてるよ。』
あきれ顔でそう考える兄は、弟が時たまやる癖のような行動にいささか辟易していた。
彼が自分のチームを作った時もこんな調子だった。
入学早々、今のチームメンバーと席が近くなったとかで彼らにひたすらに話しかけ、疎まれながら二月近くかけて友人達と交友関係を築き、今のチームを作り上げた。
『あの子にもなんか見出したのかね?』
そう考えて笑う。『妙な噂が流されなければいいが』と思いながら窓から離れ――
『――?』
――られなかった。
視界の隅、窓から離れる直前に見えたものに彼の注意が引かれからだ。
もう一度、まじまじと窓の外を見つめた。
茜に染まる正門までの道、校庭で動き回る運動部の掛け声、歩いて正門に向かう生徒たち、その中でひときわ目立つ弟と少女、そして――
『――何だあれ?』
――その集団を遠くから監視するように見つめる男の姿。
明らかに剣呑な雰囲気をまとわせた男は明らかに生徒の保護者と言った風情ではない。まだ誘拐犯だと言われたほうが納得できる。
別に何かをしているわけではない、ただ、彼の中で動物的本能か危険感知をつかさどる何かしらの器官が働いたのか、テンプスはその男から目が離せなくなった。
そうして注意してみていると、その男は突然動き出して――自分の弟と少女を追い始めた。
その視線は鋭く、明らかに知り合いでもファンでもない。
『――ふぅん?』
それを見つけた時の彼の顔を見たものがいればそのあまりにも冷たい表情にみな慄いたことだろう。
まるで夜の闇の中で吹雪に見舞われたように冷たいその表情で人影を見送った彼は、荷物をまとめるべく足早に研究個室に戻った。
夜が近い。動くにはいい頃合いだろうと思った。
『――このまま家に戻る……』
男は後を追いながら追跡対象の克明な追跡記録をつけていた。
彼にとってはいつものことだ、これが自分の仕事だと理解していたし、かすかながら仕事への誇りも持ち合わせていた。
『大体の傾向はつかめた、「本隊」に通達して――』
そう考えたのと、自分の自由が奪われたのはほぼ同じタイミングだった。
「がひぃっ!?」
首に何かが巻き付いている、首に食い込むそれは呼吸を緩く阻害し行動を押しとどめる――腕だ、誰かが自分を襲っている。
「初めまして誰かさん。」
突然耳元で掛けられた声はひどくくぐもっていた、布か何かを当てて声をごまかしているのだ。
『な、なぜおれのことが……』
彼は自分の「隠れ身」の技能が見破られたことに動揺していた。彼のスキルは『自分の組織』の中でも一二を争うと自負していたし、破られたことなど片手の指でも余るほどしかない。
「ギッ……だ、だりぇだ」
何とか首の拘束を解こうと藻掻くものの首の拘束は緩む兆しを見せない、力強く明確な意志で巻き付いている。
「あんたが知らん男だ。」
「か、かおぉみぜでぼしいな……」
「あいにく照れ屋でね、答えろ、何で学生二人を腕のいいアサシンが追いかけてる?」
「――!?」
首に回した腕に驚愕が伝わる。自分が追跡されていた事実に驚いたのだろう。
「にゅなにゃにぉじっで……」
「お前が知ってることは知らんよ、お前が知りたいことは知ってるかもしれんがな、ほれ、僕はこたえたぞそっちも答えろよ。」
ぎりぎりと腕の力を強める、首が折られるかもしれないという恐怖が重要なのだ、そうでないと人は答えを話すことがない。
「ぎゅ……ごぉっ……っ」
男の声の調子が変わった。明らかに呼吸のできていない男の顔が赤黒くなり、不意にだらりと力が抜けた。
『流石にしめすぎたか。』と腕を緩める。
――それが男の狙いだった。
不意にゆるんだ腕にまるでうごめく蛇のように腕を差し込んだ男は首と腕の間に隙間を作るように力を籠め、反対の肘で脇腹――レバーのあたりに痛烈な一撃を加えんと腕を振り上げ、勢いよく振りぬいた。
その一撃は鋭く、早かった、きれいに決まっていれば痛烈な一打を与えたことだろう――当たっていれば。
肘の一撃はすでに構えられていた腕によって阻まれた、この動きはすでに見たパターンだ、躱すことなど造作もなかった。
攻撃を防がれたことにいささか驚いた男だったが、それでも彼の動きは機敏だった。
するりと流れる水のような動きで首にかかっていた腕から逃れて、追撃とばかりに裏拳を決めにかかる――が、これも、すでに予想されていたようにかわされた。
ここで男は初めて自分を襲った襲撃者を見た。顔の下半分を隠していたがテンプス・グベルマーレ、追跡対象の兄にして――
「――知ってるぞ不良品!ばらしておやじに送ってやる!」
対面する男が叫んだ。手に宿るのは魔性の光――魔術だ。こいつが自分を本当に知っているにせよいないにせよ、戦うつもりらしいことをテンプスは見て取った。
そして、真っ向勝負となれば自分に分が悪いのもわかり切っていた。
とはいえ、放置するわけにもいかない――
「あー……仕方ない、まだ完成してないんだが……」
不満な顔を隠しもしない彼は、手には暗くて見えないが何か持っているらしい。
「何を――」
自信に満ちた表情にいささかの困惑を混ぜた男はその挙動の意味を見出そうと口を開いたが、その声はテンプスの警告にかき消された。
「――行くぞ、完成してないせいで加減は効かんからな、死ぬなよ。」
――
彼が行った何かによって強い光が漏れて――短く野太い悲鳴が響いた。
ひどく短い蹂躙が終わった後、テンプスは相手の体をまさぐっていた。
別段火事場泥棒を企んでいるわけではない。彼の身元が知りたいのだ、どれだけ隠したとしても身元の一つぐらいわかるものがあると踏んでいたが――
『なんも持ってない……てことはそういうとこから来た本職か?』
いよいよきな臭くなってきた事実に顔を顰めて男をひっくり返す――そこで違和感を感じた。
『――これは……塗料?』
体の一部――肩の部分に妙な違和感を感じて指でなぞってみればその部分の皮膚が解けるように消えた――おそらく、〈変相の塗料〉だ。そういったものがあるらしいことを彼は知っていた。
彼はこの紋章に見覚えがあった。
『追跡者の印……チェイサーハウンド?』
それはひどく広域で活動する『犯罪者集団』の斥候に与えられる、身分を示すための入れ墨だ。
父からこっそりと聞いた犯罪者の情報の中にあった入れ墨がここにある。思わず歩き去って行った弟の背中を見つめるように彼は家の方向に目を向けた。
「あいつ……何したんだ?」
家の方を向いて思わずそう口に出しテンプスは数秒考えたが、自分が呼んでいた警邏の人間が来たのだろう大勢の足音を聞いてその場を後にした。たとえ犯罪者であろうとこちらから攻撃した以上、捕まるリスクは侵したくなかった。
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