平凡な朝

 テンプス・グベルマーレ


 彼を表すなら『普通の優等生』と言うのが最も的確で分かりやすいだろう。


 特に輝かしいものもない容貌の男だ。中肉中背のいたんだ黒髪を無造作に垂らした陰気な雰囲気が漂っている。


 特に誇り高くもない平民の出自、特殊技能なし、魔術なし、金銭的余裕なし、趣味なし、目標あり、ついでに言えばプライドは――有るような無いような。


 しかし、同時に、後ろ暗い経歴もなく、人格の問題もない。勤勉実直品行方正――いやここまでは言い過ぎかもしれないが――少なくとも犯罪に手を染めたことはなく、裁かれるような罪もない。


 彼が何を目的で養成校に入ったにせよ、毎年、学年問わず脱落者が続出する厳しい生活の中で、頭がよかったのかあるいは生来の気質が味方してか、技能と座学の両方でトップクラスを維持できていた。


 これが周囲から見た彼のすべてであり、ここまでを聞いて彼に問題があると見なすものは少数だろう――彼の出自が普通という条件付きで。





 軽く憎らしくなるほど快晴な空の下、差し込む光も柔らかな朝の廊下をテンプス・グベルマーレはただ一人で歩いていた。


 四月になったばかりの空は澄んで木々は青々とした色で茂り、鳥はさえずっていた。静かな朝だった――そいつらが来るまでは。


「キャー!」


 突然飛び出した絹を裂くような悲鳴は、しかし、近頃のこの学校ではよくあることだった。


「エリクシーズよぉ!」


「いつ見ても素敵ぃ♪」


「やーん、こっち見てくれた!」


 養成校の正門前で、波紋の様に広がる悲鳴は最近話題の一回生にして最高の実力を誇るアイドルたちの来校時の風物詩だ。


 ――フラル・アナモネ、一回生。


 この集団の『火』を担当する女傑は、その属性を示すような炎のような灼髪しゃくはつをなびかせて、女性誰もがうらやむような美貌を惜しげもなく披露している。

 これで、戦闘となれば短剣二刀を携えて熱による筋肉量の亢進と炎熱放射を武器に大の男を平気でひねりつぶすのだから人は見た目で判断できない。


 ――アネモス・アナモネ、同じく一回生。


 この集団の『風』を担当する才女、名字からわかる通り火の少女の双子の妹に当たる彼女は姉と同じように神から与えられたその端正な容姿。とりわけその森のように深い緑の瞳に深い英知を感じさせる才女、一年での統一学力試験を二位で突破したその知識と見識は学校でも指折りだ。


 ――ネブラ・ルネ、同じく一回生。


 この集団の『水』の担い手、中性的で背丈が小さく、ともすれば人形のように見える彼は、その印象を裏付けるように感情を揺らすことがない。その水面のような容貌をいつものように無感動に保った彼は常に凪いだ水面の様に変わらない。


 ――テッラ・コンティネンス、同じく一回生。


 『土』の使い手であり、この一団で最も長身かつ均整の取れた肉体をしている彼はこの養成校最強の名を今や不動のものとしつつある、いつものように力強く暖かい瞳に、ある種の母性を宿しているその姿はなるほど英雄の風格を感じさせる。


 ――エリクシーズ


 錬金術の秘奥の名を冠するそのチームは、今この学校で最も著名なチームの名前だ。


 火のフラル、風のアネモス、水のネブラ、土のテッラ――錬金術における四代元素に、原質にして純粋な存在であるエーテルに相当する一人を加えてできる伝説的物体。


 そんな意図だったとからは聞いていた。


 端から端まで輪をかけて広がる声援は、一般人としてのテンプスにも「あの」職業人の息子たるテンプスにも無縁のものだ。


 これまでの2年間、友好的な声は友人からしか掛けてもらっていない。事務的な会話すら省かれるのが常だった――まあ、最近その声も少しばかり増えたのだが。


 さざ波から波濤に変わりつつある偶像アイドルの行進を遠目から見ていた彼の背中に刺さるのは、心無い罵声だ。


「おぉい、まーたのことを見てるぜ。あの悪党。」


「なんだぁ、まだ学校に来てたのかよ、てっきりにでもあったのかと思ってたぜ。」


「なんか臭わなくね? あ、のガキだったかぁ。どうも人殺しの臭いがプンプンするもんでよ。」


 ここ『アプリヘンド特殊養成校』は英雄の学校だ、六十年前に魔王を征伐したとされる勇者が「次代の英雄のために」と作った、悪を挫くための正義を養成する機関だ。


 卒業生には高官の地位が約束されている。絶えない悪と戦うリスクを負っているが、それでも名誉と稼ぎはいい。


 そんな学校において、彼の出自は少々特殊だ。


 彼の生家に特殊な伝説はない、英雄譚もなく、誰もが目的となるような偉大な英雄もいない、平民の父と平民の母の間に生まれた、普通の家の普通の人間――只、父親が『死刑執行人』だっただけだ。


 騎士団ならびに「英雄」の捕まえた人間の処刑。それが彼の父の仕事だった。


 悪が正義に駆逐されるこの社会の形質上必要不可欠な職業だ、罰なくして罪はすすがれず、悔い改める事もないのだから。


 とはいえ、同時に尊敬される仕事でもなかった――だってそうだろう?




 一体だれが善人ぶった人殺しに好意など持つ?




 少なくとも、この学校にいる人間の大部分の意見はそうらしかった。


 窓から視線を離すこともなく苦笑する、いつものことだ、気にするようなことではない――それに、ここ二か月は以前よりましになっている。


 それは、肩で風を切って歩くアイドル集団の最先陣を切る少年によってもたらされている平穏だった。


 サンケイ・


 凛としていて自信に満ちた立ち振る舞いをした彼は、整った目鼻立ちをし、穏やかな気質がそのまま表れたように緩く優し気な眼差しと黒曜石の瞳を持ち、濡羽色と呼ばれるべき艶のある黒髪が短くまとめている。


 白皙の美少年という言葉は彼のために生まれてきたのだろう。とは似ても似つかぬ美男だった。


 原質にして純粋な存在であるエーテルに相当する一人、このチームの要にして――


 窓からのぞく兄の視線に彼が気が付いているのかはわからなかったが、それはテンプスにとってもどうでもいいことだった。


 今日も自身の弟が滞りなく日々を送れている。十分な成果だ。


 ここ二月程度の朝の基本的パターンを終えてテンプスは歩きだす――大図書院の隅にある自身の研究個室に向かって。


 片や明るい方に歩く弟、片や暗がりに向かう兄――対照的な兄弟の構図だった。

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