2-6


 地上に出てからは私はオスカー様の馬に乗せてもらい王城の医務室へと向かった。

 つねごろ怪我をすることなどない私がこの場所に来るのは初めてで、少しきんちょうしていると、中から優しそうな男性の声が聞こえてくる。


「次の方どうぞ~」


 私達がしんさつしつへ入ると、くりいろの髪と瞳の丸眼鏡をかけたものごしやわらかな雰囲気の医官が待っていた。


「医師のディック・バンです。騎士団の、オスカー殿下と魔法陣……射影師、の、メリル嬢ですね」


 待つ間に助手の方に聞かれて答えたもんしんひょうを確かめつつ口を開く。


「では、オスカー殿下からましょう」

「いや、メリル嬢から頼む」


 オスカー様の言葉に、ディック様は眉間にしわを寄せたあと、笑顔で言った。


「うんうん。メリル嬢を先にという心意気はさすがですが、殿下の手当てからです。さあ腕を出して」


 迷うオスカー様に私もうながした。


「先にりょうを受けてください。お願いです」


 オスカー様は小さく息をつくと、患者用のに座り腕をディック様へと差し出した。


「袖はハサミで切りますね。では処置をしていきます。メリル嬢、少し時間がかかるので外で待っていてください」

「分かりました」


 私は椅子から立つと一度廊下へと出た。

 大丈夫だろうかという心配と、痛む腕に負担をかけた罪悪感にさいなまれる。

 オスカー様の傷を悪化させるようなことになっていたらどうしよう。

 しばらく待っていると、治療を終えたオスカー様が出てくる。

 腕には包帯が巻かれていた。


「大丈夫ですか?」


 歩み寄りそう尋ねるとオスカー様は笑顔でうなずく。


「ああ。このくらいはただのかすり傷だ」


 そうオスカー様が言うと、診察室の中から声が響いた。


「かすり傷ではないですよー。ちゃんと明日も診せにきてくださいね」


 その言葉に、オスカー様へと視線を移すと目をそらされた。

 頭の中で、この人は人へのづかいのためならば噓をつける人なのだと把握した私は、今後オスカー様が怪我をした時には絶対に無理はさせないと決めたのであった。


「メリル嬢もお入りください~」

「あ、はい!」


 私は指示に従うと、対面の椅子に座る。そして擦りむいていた手とひざの診察を終え、消毒をしてもらう。


「貴族のご令嬢がはだに傷をつくるものではないですよ」

「はい……」

「ご令嬢は怪我をするようなことには参加しないのが一番です。はぁ。どうしてあなたを危険な現場にオスカー殿下は連れていったのか」


 ため息をつきながらそう言われ、私は首を横に振る。


「あ、あの、違います」

「あ、もしかして断れなかったのですか? 私から話をしましょうか?」

「あ、いいえ。あの、自分で受けた仕事なので」

「え? ……失礼ながらメリル嬢はメイフィールド家のご令嬢でしょう? 無理せずにご実家に帰られては? 危ない仕事をご令嬢がするべきではないですよ」


 きっと、悪気があって言っているわけではないのだろうなと思う。

 これがこの国の常識であり、私がこうやって働いているほうがおかしなことなのだ。

 だけれども、私はこぶしをぐっとにぎり込む。

 擦り傷くらい、どうってことはない。

 私は自分で選んで今の仕事に就いたのだ。こんなことくらいでは魔法陣射影師を辞めることも、オスカー様の依頼を断ることもしない。

 私は自分に出来る仕事をしたい。


「お気遣いありがとうございます。治療もありがとうございました。では失礼します」


 そう言って立ち上がろうとした時、ディック様に手を取られ、私は動きを止めた。

 ディック様はにやりと笑うと言った。


「メイフィールド家の出来損ないっていうのは本当みたいですね。ふふふ。私でよければお相手になりますよ? どうですか? そうすれば貴女の汚名も返上でしょう」


 たまにこういう人が現れる。

 私は見た目も、性格も、名家のメイフィールドこうしゃく家には相応ふさわしくない出来損ないだと言われる。けれど、私の血は確かにメイフィールド家のものであり、だからこそ家同士のつながりのためにこんいんを望む男性はいる。

 そうした男性の瞳は野心に満ちていて、私の心は冷えていく。


「私は魔法陣射影師として生きていくつもりですので、お断りします。手を離してください」


 ディック様はにやにやとまた笑う。


「ああ、もしかしてオスカー殿下が好きなのですか? あはは! 無理ですよ。彼は第二王子であり、この国のいずれ守護神となる男ですよ? 貴女では釣り合わない」


 一言もそんなことは言っていないのに、私は勝手なじゃすいにむっとしてしまう。

 最初から百も承知で、いくら胸がときめいても、自分には不相応な人だと理解している。

 なので、恋愛対象として見ていない。というか、そもそもの前提として恋愛自体私には無理だと諦めている。


「離してください!」

「何をしている」

「あ」


 私の声が外にまで漏れたのだろう。オスカー様が慌てた様子で扉を開け、私達を見て声を荒らげた。


「どういうつもりだ」


 オスカー様は私とディック様との間に割って入り、私を庇うように背に回した。

 ディック様は慌てた様子で両手を上げる。


「あぁ、いえいえ、メリル嬢とただ少し話をしていただけですよ」

「話? 一体なんの?」

「いや……ほら、怪我をする仕事なんてよくないでしょう? 大きな怪我でもしたらえんどおくなるし、そもそもひとのまま働くなんて、ご令嬢はとついでこそが幸せだというのに……オスカー殿下の考えも同じでしょう?」


 ディック様に問いかけられ、オスカー様は眉間にしわを寄せたまま返した。


「……怪我をさせてしまったことは申し訳なく思っている。だが、それが何故生き方の話に? 貴族の令嬢が結婚するのが幸せとは、誰の意見だ? 現在メリル嬢は自分の力で今の仕事に就いている。それを何故医官である君に口を出す権利がある?」


 オスカー様はあくまでも冷静にそう言う。


「いやぁ、でも……結婚しない女性は……ね?」


 同意を求めるようにディック様はそう言うけれどオスカー様が首を傾げる。


「結婚しない女性はと繰り返すが、メリル嬢は今仕事をしているがこの先結婚しないとは言っていない。また、結婚しない人生のせんたくも、もちろんあるだろう。だがそれは本人が決めることであって、初対面の君には関係ない」


 真っすぐに言い返すオスカー様の指摘に、私はぐっと握り込んでいた拳をゆっくりとほどく。

 こんな考えを持った男性もいるのかと内心かなり驚いていた。

 ディック様はオスカー様に同意してもらえると思っていたのだろう。れっせいに何も言えなくなったのか、顔色を悪くする。


「あ、えーっと、いや、ああそうだ。薬を処方しておくので受け取ってくださいね。では、次の診察があるので、外へ出てください」


 追い払いたいのが見え見えではあったけれど、私はオスカー様の腕を取って言った。


「オスカー様、ご心配おかけしてすみません。行きましょう」

「……まだ話は終わっていないが……」


 オスカー様が睨みつけると、ひえっと小さく声を漏らしディック様は言った。


「えっと、その、あの、わ、私がご気分を害してしまったようですね。すみません。その、謝りますから」


 口先だけの謝罪。

 私のような女の前では、おうへいな一面を見せたのに、強い立場の男性の前では手のひらを返すのだなと思う。

 オスカー様を促して外に出ると、真っすぐに見上げて私は言った。


「オスカー様って、素敵な人ですね」


 何も言い返せなくて情けなく思っていたのだけれど、オスカー様が自分の気持ちを代弁してくれたおかげで救われる。


「ありがとうございます」


 そう伝えると、何故かオスカー様は少し驚いたあとに、視線をぱっとそらした。


「いや、あまり力になれずすまない」

「いえ、十分になってくれました」


 続いてオスカー様に今日はもうゆっくり休み、明日また魔法陣については詳しく教えてほしいと頼まれた。

 私がうなずき歩き出すと、オスカー様が宿舎まで送っていくと申し出てくれた。えん

りょしようかと思ったのだけれど、もう少しだけ一緒にいたくてお願いをした。

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