1-2


 振り子時計の針がチクタクと音を立て、一人、また一人と部屋から部員が退出していく。

 ロドリゴ様も早々に退勤しており、気がつけば残っているのは私だけになっていた。

 薄暗い部屋の中で、空腹とどくと先の見えない仕事の絶望感で目になみだが浮かぶ。


「はぁ……今日も、終わらない……でもあと少し。残りはちょっとだ」


 昨日もほぼてつだったので意識がもうろうとしている。窓へと視線を向ければ外は真っ暗でガラスに映った自分はぼさぼさの頭に目の下に隈。まるでお化けのようだった。


「だめだ。一回帰ってシャワー浴びて、みん取って、それから頑張ろう……あと少しだから、明日の朝でもいけるって……」


 私は立ち上がると、かたまった体をほぐすようにびしてから、荷物を持ち、ふらふらと歩き出す。

 私の住まいはこの研究とうのすぐ横の宿舎で、出退勤は楽なのだけれど、だからこそ、こちらの都合などおかまいなしに呼び出される。

 休むひまがない。けれど、やらなければならない。

 仕事を辞めるようなことになればメイフィールド家に連れもどされ結婚させられる。

 王城以外の職場で貴族の娘が働くことは極めて難しく、また、王城には魔法陣を調べるためのかんきょうがすべて整っているので、出来ればずっとここで働きたい。

 王城であれば国王の役に立つ存在としてほまれとされるが、せいに職を得れば女性として何か難があるのではないか等かんられるから、貴族とはやっかいだ。


「はぁぁ。つかれた……」


 いつものように職場と自室を結ぶ長いわたろうを歩いて自室へと向かおうとしていた時であった。

 男性のうめき声のようなものがいけがきの奥から聞こえたかと思うと、ガサガサと揺れて、私は身構えた。

 王城内は基本的にじゅんかいしており、安全が保たれている。なので、部外者がいるとは考えられない。だから体調不良か何かで人が困っているのではないか。私はそう思うと、生垣に向かって声をかけた。


「あ、あのぉ。だいじょうですか?」


次の瞬間、その中から白い何かが飛び出てきて私は目を丸くする。


「へ? え? 何!?」


 一ぴき可愛かわいらしい丸いフォルムのもふもふとした生き物がいる。

 ねこよりも大きく、大型犬よりは小さい。

 それに見た目も猫というよりは、とらに近く、白いのでびゃっのような見た目だ。


「え? えぇぇぇ?」


 大きな丸い青い瞳がくりんとしていてまつも長く、大変愛くるしい。


「ふわぁぁぁ」


 とてとてとまるで足音が聞こえてくるかのような、可愛らしい歩き方であった。

 そして、何より、こちらを見上げてくる様が、天使かというくらいに愛らしい。

 私は思わずりょううでを広げるとき上げ、ぎゅっと抱きしめた。


「かわいぃぃぃ」


 抱き上げてみればそれは思っていた以上にふわふわとしていて気持ちがよかった。

 おそらくその時の私の思考力はかなり低下していたのだと思う。なんの生き物なのかも分からないけれど、あまりの可愛さに浮かれていた。

 徹夜続きゆえのテンションだ。


「君、どこかのだれかに飼われている? ええぇ。可愛いもんね。飼い主さんいるよね? 大丈夫だよぉ! すぐに飼い主さん捜してあげるからね。うん、とにかくいったんうちに連れて帰ろう。ああぁぁ。可愛い!」


 私のあまりのテンションに、もふもふは驚いたような顔をしてもがくけれど、どうにか頭をでてなだめる。


「ほらほら、いい子だから。ね?」

「みゃっ! みゃお――ん……」


 鳴き声まで可愛らしい。

 自分の鳴き声を聞いて、どこかげんなりとした様子のもふもふは大人しくなり、私はそのまま自分の部屋へと連れて帰った。

 ただ、それから私はあせった。


「ごごごご、ごめんね。すぐに片づけるからね! 大丈夫だよ! ごはん……え、何を食べるんだろう……」


 ゆかに物が散乱した部屋だったことを忘れていた。毎日片づけようとは思うものの、常に明日やろうになってしまっていた。


「ごめんねぇ。大丈夫だからねぇ。あ、そうだ! かんづめあった! ちょっと待ってね。まずは寝るとこを準備するから」


 私は急いで可愛いもふもふちゃんがねむれるようにとき箱の中にタオルケットをいて、どこを作った。

 それからたなに並べておいた非常食の魚のびんづめを取り出すと、それを皿にのせておぼんの上に水といっしょに置いた。


「ほら、こちらへどうぞ。魚の瓶詰、好きかなぁ?」


 私は可愛らしい真っ白なもふもふをじっと見つめながらやされる。

 もふもふは、目を細めて私と寝床とお盆の上を何度か見比べたあと、諦めたかのように「ふにゃ」と声をらしておぎょうよく魚を食べ始めた。


「あなたってお行儀がいいのねぇ。可愛いー。あぁ。可愛い。あなたほど可愛い人に会ったことがないわ」

「ふ、ふにゃ!? なぁぁぁおん!? にゃにゃ!っ」


 こちらを驚いたような表情で見つめてくるその瞳が、とても愛らしい。

 あまりにも可愛らしくてとおとい。

 私はその姿をただただながめる。


「あなたはどうしてそんなに可愛いの?」

「ふにゃー……」


 これほどまでに可愛らしい生き物には初めて出会った。

 もっと早く出会いたかったと感激しながら、その可愛らしい姿を今はいっぱいたんのうしたいと願わずにはいられない。


「はぁぁ。可愛い。癒やされる。昔からもふもふした生き物本当に好きなんだぁ。飼いたいけど、自分のことすらまともに出来ないから……とにかく、明日にはすぐに飼い主さん見つけるからね。たぶん、これだけれいなもふもふちゃんなら、どこかの子だと思うんだよね」


 そうつぶやきながら、そっと頭を撫でようとすると、魚を食べ終わったもふもふは私の方を見て、さっと手をよけた。

 その仕草すら可愛くてもんぜつする。


「はぁぁぁ。今だけもふちゃんって呼ぶね。もーふちゃん」

「……なぉ」

「え? え? 返事してくれたの? えぇぇぇ! 天才! 可愛い。ありがとう。はぁ尊い! よし、すぐにもふちゃんの危ないものとかどけちゃうからね! ふふふ。私はメリル。よろしくね、もふちゃん」


 私は気合を入れて、とにかくもふちゃんにとって危険なものはどうにかしようと、奥のしんしつに、ごちゃごちゃとした雑貨や服などを運んでいく。

 そして出来るだけもふちゃんが快適にと片づけた私は、ちからきて椅子に座り机の上にした。


「あー……とりあえず、今はこれで許してー。もふちゃん」


 ちらりともふちゃんを見れば、机の上へと飛び乗り、こちらの様子をうかがいながら小首をかしげている。

 可愛い。

 嫌がられるかなぁと思いながらそっと手を伸ばすと、もふちゃんは逃げることなく私の手に頭をこすりつけた。

 ふわふわの毛が気持ちよく、目を細めるもふちゃんがいとおしすぎて、私は悶絶してしまう。

 最高に可愛い。

 私はもふちゃんを思う存分撫でたあと、魔法陣射影綴りを取り出した。

 もふちゃんが興味深そうにこちらをのぞき込んでいる。


「これはね、私の血とあせと涙のけっしょう! この世でただ一つの魔法陣射影綴り。これまで描いてきた魔法陣をここに記録しているんだ。はぁぁ。これを眺める瞬間がたまらないの。疲れている日もね、家に帰ってきてこれを見つめるだけで癒やされる。あぁー。最高。もふちゃん分かる? この曲線の美しさ。そしてこの一つ一つの細やかさ。見て、この波と太陽の文様からしてこれは百年以上昔のものなの。魔法陣にも流行はやりがあってね、それを取り入れたりしていて。はぁぁ。最高」

「な……なぉ」

「分かってくれる? ああぁ。教えてあげるね!」

「な……お」


 私はしばらくの間声を弾ませてもふちゃんに魔法陣について語りかけた。

 久しぶりに話をするのですごくテンションが上がる。

 こうやって魔法陣について語り合う友達がもっとしいなぁなんて思うけれど、親友のティリー以外には、そうした人には巡り合えない。

 最近ティリーのお店にも遊びにいけていないなと、いそがしすぎることにげんなりとしてしまう。

 私は魔法陣についてひとしきりしゃべると綴りを閉じ、ていねいにしまってから机の上に頭をのせて、もふちゃんを撫でる。

 一気にしゃべったことで、つい体力を使いすぎた。

 魔法陣射影綴りを眺めたらご飯を食べようと思っていたけれど、今はもう指一本も動かしたくない。


「可愛い、ああ、可愛い……はぁ……でも、おなかすいた。けど……もう、眠い。無理だ……もふちゃん、ごめんね、ちょっと……るけど、その、大人しくしているんだよ……ぐぅ」


 意識が遠のいていく。本当はもっともふちゃんに触れて、一緒に遊んで過ごしたいけれども、体がもう限界だ。

 私はいっしゅんで夢の中へと落ちていったのであった。

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