第一章 社畜令嬢・メリル

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「これ、今日までに終わらせておけって言ったよな」


 机をばしっとたたかれ、しんどうでのせてあった|法

《ほう》の羽ペンがたおれた。私はあわててそれを起こす。

 こわれなくてよかったとあんしながら、同じ職場で働くロドリゴ様へと視線を向けると、げんそうにけんにしわを寄せたまま舌打ちをされ、私はびくっとかたふるわせた。

 年齢は私よりも少し上、二十六歳らしいのだけれど、そのふうさいはかなり上に見える。

 いつも猫背で、目の下にはくまが出来ていていんけんな雰囲気をまとっている。

 以前聞いた話によると、ロドリゴ様は人間関係で失敗したらしく、王城内で行き場がなくなりこの部署に配属されたらしい。

 そんなロドリゴ様の機嫌の悪さに比例してられるためにここで働き始めたのではないのにと、私は心の中でため息をつく。

 現在私がきんするのは、王城のまったんの末端。

 魔法研究部というその名の通り魔法に関しての研究が専門の部署である。

 私はそんな魔法研究部の中で、ほうじんしゃえいとして働いている。

 他の研究員には、役に立たたない魔法陣オタクだと思われているようだけれど、それは魔法陣のらしさを知らないからだと私は思う。

 魔法陣射影師の仕事というのは細かく言えばいくつもあるけれど、大きくは二つ。

 一つは昔使われていた魔法陣を修復・射影し、それがどのような目的で描かれていたのか検証を行い、魔法陣しゃえいつづりに記録をしていくこと。

 二つ目は今もなおどうしている王国の守護魔法陣を研究し、りょくを大量に消費しなくても使えるように出来ないかをこうすること。ただこちらに関しては、ほう使つかいの協力がなかなか得られず、あまり進んではいない。

 魔法陣の一番の問題点は、大量の魔力を消費する点にある。

 そのため、魔力を持たない人間は使用することが出来ない。そして魔力を有していても、一人で魔法陣を発動させる量に至る人間はほとんどいない。

 だからこそ魔力を持っていない人にも使えるように、魔力石を動力源にした魔法具が、魔法陣に取って代わるように発達したのだ。

 現在公式に採用されている魔法陣は、王国の守護魔法陣のみとなっている。

 王国を守護するための魔法陣はこうはんに及ぶが、同じ面積を同じ強度でカバー出来る魔法具はいまだ開発されていない。

 現在は王国一の魔力を有する筆頭魔法使いアルデヒド様が、魔法陣を発動させる儀式を年に一度になっている。アルデヒド様は、現在魔法陣を単独で発動出来るゆいいつの人と言われている。

 魔法陣は大量の魔力を使用時に使うことが難点だ。だけれど、それを改善出来たならば、魔法具に引けを取らないほど有益な手段になるだろう。

 今、使用されることが無くなった魔法陣はどんどん失われつつある。

 それを収集し、どのように使用されていたのかを調べ修復して記録し、魔法陣射影綴りにまとめていくことは、きっといつの日か役に立つ。

 私は魔法陣射影師として未来に魔法陣を残すためのこの仕事にほこりを持って働いている。

 家族からうとまれていた私は、職を得ることで自立出来たし、魔法陣をえがいている時間は楽しくて仕方がない。

 ただ昔からあこがれて得た仕事だったけれども、ふたを開けてみれば思いのほか人気はなかった。

 これほど素晴らしい仕事はなかなかないのにと残念に思うものの、魔法陣はもうだいおくれですたれているのに、何故なぜいまさらそれを研究する必要があるのかと、周囲の風当たりは強い。

 そして今日もまた、私は職場でられているのだ。


「お前、仕事めているのか。俺達はこの王城の末端の末端とはいえ、王城勤めの貴族なんだぞ。しっかり働けよ。おい、聞いているのか!?」


 私は身をこわらせながらうなずいた。


「は、はい。すみません」

「すみませんじゃねーだろーが! 分かっているのか!?」

「えっと、あの、どのけんのことでしょうか」


 そもそもの問題、同じ部署で働いているロドリゴ様が今一体何に対しておこっているのかが分からない。

 とつぜん呼びつけられたかと思えば主語もなくわめき散らすだけで困る。

 しかも私は魔法陣射影師としてここにざいせきしているのに、ロドリゴ様は関係のない仕事を押しつけてくるのでやるせない。


「はあぁ? それくらい自分で考えろよ! 頭ないのか!? ちゃんと、頭で、考えろ!」


 あつするかのようなせいは、何度聞いても慣れない。

 最初のころは怒鳴られるとおどろき、何故怒られるのか、何故責め立てられるのかが分からずに毎日毎日泣いていた。

 けれど、十歳の時にいだいた夢である魔法陣射影師をめたくない。その一心でり、ロドリゴ様の暴言やどうかつにもどうにかしてえることが出来るようになってきた。

 魔法陣を描くことが楽しい。

 魔法陣が好きだ。

 王城以外で魔法陣射影師として働く道は私にはない。

 だからこそ私は歯を食いしばった。


「す、すみません……」

「だからあぁ。さっさと、しろよ」

「あの、でも、ご指示を頂かないと」

「んー? 考えろっての」


 そう言って背を向けられ、私は立ち尽くす。ただどうしても心当たりがないので、もう一度声をかけようとした。

 けれどまた怒鳴られるのではないかと思い、何も言えずに手を引っ込めると、ロドリゴ様は急にかえった。


「お前聞かないと分からないなら、なんで引きとめないんだよ! バカなのか!?」


 じんだ。

 私はちらりと時計の針を見る。ロドリゴ様はこうなったらいつまでも、私に対して文句を言い続ける。

 どんどん過ぎていく時間にしょうそうを感じながら、私はじょうきょうすべく口を開く。


「あの、その急いでするので、なんのことか教えてもらえませんか?」

「お前人の話をさえぎるな! 今だってどうせ、この話早く終わらないかとかそんなこと思っているんだろうが! その考えがけて見えるんだよ!」


 机をまた乱暴に叩かれて怒鳴られ、私は今度こそ途方に暮れて身をすくめることしか出来ない。

 うすぐらい仕事部屋には、業務内容はちがえど他にも人はいるけれど、私のことは無視をしてまたかというような様子でため息をついている。

 いたたまれないけれども、これでは仕事も進まない。私は頭を下げながらロドリゴ様の話を聞くしかない。

 ロドリゴ様はいらたしげにとびいろの髪の毛をガシガシとき、それからあいいろひとみで私のことをにらみつけながら言った。


「お前さ、そのぼさぼさの頭、どうにかなんないのか。黒い髪の毛三つ編みにしてても頭の上ひどいぞ。それにその厚い眼鏡めがね。気分が悪くなるんだよな。お前、女として終わってるだろ」

「……」


 どこからかき出すような声が聞こえた。他にも私のことをそう思っている人がいるのだろうか。

 うつむいたままの私をロドリゴ様はにやにやと笑う。


「お前も可哀かわいそうだな。名家のほまれ高いメイフィールドこうしゃく家の娘なのに、こんなにも落ちこぼれなんてなぁ」


 メイフィールド家のそこない。私は貴族社会でそう呼ばれていた。

 はなやかで美しい両親やけいと違い、ぱっとしない見た目からつけられたべっしょうだ。

 とうかいに参加をしても、私はかべの花。

 メイフィールド公爵家の者は華やかであり、そしてゆうしゅうだから、常に人の輪の中心にいるのに対し、私は目立ってとくちょうもなく、美しくもなく、女性として誇れるものがあるわけでもなかった。

 いつしかメイフィールド家の出来損ないという不名誉なレッテルは広まって、私を見るたびに貴族のれいじょう達はバカにするように笑い、そして令息達はあわれみの表情を向けるようになった。

 ――お兄さんは優秀で女性にもやさしく社交性があるというのに。

 ――お姉さんはあんなにも美しく、貴族の令嬢のかがみだというのに。

 ――一番下のおじょうさんはあんな見た目で可哀そうに。しゅくじょとしての気品にも欠ける。

 メイフィールド家の出来損ないとはよく言ったものだ。

 突然フラッシュバックした記憶に私はぐっとくちびるむ。

 何故今こんなことを言ってくるのか。

 確かに私はメイフィールド公爵家の娘ではあるが、今年でになり家を出て自立している。

 こらえていると、ロドリゴ様はにやにや笑いを収め、そのあと大きく息をいてから言った。


「まあいい。さっさと仕事終わらせろ。いいな」

「はい……」


 そこでやっとロドリゴ様は気がすんだのか怒鳴るのをやめて、机の上に置いている資料を私へとわたし内容を指示してきたのだった。

 ロドリゴ様の机の上には、様々なものが置かれているが、私物が多い。以前机の中に変なへびのロゴの入った仮面を入れていたのを見てしまった時には、はっきり言って気持ちが悪いなとすら思った。

 結局作業に着手するまでに一時間もかかった。

 しかも、そもそも聞いていない新規の案件だったことにため息をつきそうになるのをぐっと抑えた。

 仕事を押しつけられるのも、理不尽に怒られるのもよくあることだ。

 けれどもだからといって、平気なわけではない。

 現状になっとくしているわけではない。ただ、あきらめてしまう自分がいた。


「はぁ……」


 一度だけこっそりとため息をつくと私はロドリゴ様から振られた仕事をこなしていく。

 そこまで大変な作業ではない。

 これならば、先ほどの𠮟しかられている時間さえなければとっくに終わっていたのになと思う。

 部屋の中が静かになった。

 私は早々にロドリゴ様に仕事を提出し、やっと本来の業務が出来るとに座り直した。

 姿勢を正して机の上に魔法陣射影綴りを置き、そこから一枚取り出すと、魔法具で出来た羽ペンで魔法陣の修復を始めた。

 この魔法陣は先日、古いせきで発見されたもので、文様にもけっそんが見られたが、少しずつ全体像を解読し、復元に着手したところだ。

 作業の進行につれて、魔法陣は青白くかがやく。

 私は周りに気づかれないようにその光をゆっくりとおさえた。

 このしゅんかんだけは私ひとりの世界である。ずっと自分の仕事にぼっとう出来たらどれほど幸せなことだろうか。

 魔法陣はみつに描かれており、線を一本ちがえればそれは本来の魔法陣とは別の魔法陣に変わってしまう。

 複雑でせんさいなそれは美しいと思う。

 描くのが楽しくて顔が緩んでしまった。

 あまりにやにやしていると、周囲から引かれるので気をつけなければいけない。

 幼い頃にせられて以来、様々な魔法陣に関する本をあさり、調べ、学んできたけれど、いつ見ても何度見ても魔法陣は素晴らしい。

 私はうっとりとしながらそれを眺めた。

 魔法陣一つ一つにおもむきがあり、いくら描いても描ききない。

 出来ることならば延々と描き続けたいというこの気持ちに共感してくれるのは、おそらく私唯一の友達くらいだろう。

 王城にはもっと魔法陣に精通した人がいるかと期待していたけれど、今のところ出会いはない。好きなものについて熱く語れる相手がいないのは少しさびしいことだなと思う。

 魔法陣を描く瞬間だけは、この仕事を選んで、そして働けることが誇りに思える。

 まあ、怒られることがなければもっといいなとは思うのだけれど。

 ちらりと周りを見れば、みながそれぞれに仕事に励んでいる。

 要領がいい人は怒られないし、私みたいに怒らせることもない。

 小さくため息をついていると、おんな足音が近づいてくるのが分かった。

 机の上にロドリゴ様が何かの資料をドンとのせて言った。


「これ、本日中な」

「……今日ですか?」

「当たり前だろう。お前、こっちにめいわくをかけているんだからこのくらいがんれよ」

「……」


 ちらりと積まれた書類を見れば、魔法陣射影師の私とは関係のないものばかりだ。

 めんどうな雑用をまとめて回してきたのだろうか。

 私の業務はある程度限られているはずなのに、毎回当たり前のように別の用事も組み入れてこられる。

 魔法陣射影師として働き始めた当初は、公爵家のかたきがあったからなのだろう。こんなことはなかった。しかし、私がメイフィールド家の出来損ないと呼ばれていることが知られてからは、家から見捨てられた娘としてかろんじられ、せんぱい命令だと仕事を押しつけられるようになった。

 ロドリゴ様の業務は部署の窓口役として、仕事を多面的にマネジメントすることだ。時にはしょもこなし、来客対応、資料作成、伝票の処理等内容はにわたる。

 それらは私の担当とは全く関係がないのだけれど、年下で新人で女の私は目をつけられて、先輩には従うものだとこき使われるようになったのだ。

 後ろ盾なしに女であるというだけでも、アルベリオン王国の城で働くのは難しい。

 だけれど、たったそれだけの理由で負けたくない。

 貴族の女性は、基本的にはてきれいになれば親の決めた男性の元にとつぐものだ。

 それが貴族の女性の役目で、義務だと言われる。

 私自身、メイフィールド公爵家の娘として生まれ、としごろになると両親からは結婚をすすめられた。

 早くどこかへ嫁がせたいという気持ちが透けて見えた。

 私を、とにかく遠ざけたかったのだろう。

 だけど、私の気持ちはずっと前に決まっていた。

 自分の力で働いて生きていく。

 幼い頃はばくぜんとしていたけれど、そこから様々なことを学び、魔法陣射影師の仕事を知った。

 王城に勤めるということは女性にとってはきわめてせまき門である。

 両親からは大反対され、採用試験に落ちた場合はそっこく結婚を命じられた。

 そして見事合格してみせると、今度は退職した場合は即刻縁談を受け嫁ぐように言われたのだ。

 私は職場にかざられているアルベリオン王国のエンブレムに視線を向ける。

 王国の祖とされるけものの王とけん、そして魔法使いのつえの文様が描かれたそのエンブレムはアルベリオン王国の者であればみ深いものだ。

 魔法使いの文様は、魔法陣にもよく使用されている。その形は美しく、私をりょうする。

 女だからつとまらないとは思われたくなかった。

 この仕事を続けたいという思いは、ずっと私の胸の中にある。

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