第26話 白か黒かがそんなに大事なものかしら

(輸送の費用や人手などを考慮したとしても、さすがに……ですわよね?)

(この程度の言い訳で通用すると思うとは、俺たちのことをずいぶんと侮ってくれているようだな。お互いに、着慣れない服を身につけてしおらしくしている甲斐があったというものだ)


 無音で言葉のやりとりをし、視線を交わした若い二人の姿に、カィビは何を思ったのか。

 ますます笑みを深めた。


「旦那さまはくず石などとおっしゃられますがね。この石は地下にいる彼らにとっては正しく宝玉なのですよ」


 うやうやしい手つきでつまみあげた石は、もったいぶった仕草でローレンシアとトレッドの前にかざされる。


「この小さな粒が、大切な人の苦しみを吸い取ってくれる。そうとわかってからの宝玉に対する彼らの反応は、それはもう熱心なものですよ」


 うっとり言うカィビと、しみじみ頷く司祭。

  

 ふたりの視線は同じく石に向けられているが、思い描くものはきっと天と地ほども離れている。

 なぜならば、司教が慈しむような表情をしているのに対し、カィビは今にも声をあげて笑い出しそうな顔をしていたからだ。

 

(……ルーン商会長の前に大きな鏡を置いて差し上げたいわ)

(見たところで己の醜悪さに気づける男ではないだろうな。そもそもの精神が清廉さを欠いている)


「それで?」


 表立っては言葉を発しないままのローレンシアとトレッドに、カィビが問いかける。そこに浮かぶ笑顔はもはや、にたにたと表現すべきいやらしさを隠しもしない。


「あなた方お若いふたりに何ができます。私は金と物資とであのあわれな方々を助けている。ではあなた方は? 私を糾弾したところでなにができますか」

「それは……」


 挑発するような物言いに、ローレンシアはつい想像した。


(いまこの場でルーン商会長の持っている石ころをかすめることは簡単ですわね。身包み剥がせば、教会地下でのやり取りについて記した覚え書きなり出てきますかしら)

(鑑定すれば品質の悪さは隠しようもない。試算すればいくらで仕入れたものか、妥当な値段はいくらかもわかるだろう。司祭に告げれば罪悪感からカィビを、糾弾するかもしれん。騎士団経由で差額の大きさを指摘すれば、ルーン商会は商いを縮小せざるを得ないだろう)


 なにができるかと聞かれれば、ローレンシアとトレッドに取れる手段はいくつもある。


 それこそブレイブ家の持つ権限を使えば、問答などすっ飛ばしてルーン商会も教会に隠された地下の空間も悪と断じることができる。

 そうとわかっている。けれど。

 

(ですが、今ではありませんわ。まだ)

(だが、今ではないな、まだだ)


 ローレンシアとトレッドが胸中でつぶやいたのは、同時。

 そのつぶやきで、互いが同じ思いを抱いていると知った。


(あら)

(ふむ)


 心強さがローレンシアを支える。


「理想だけでは何も変わらないのですよ」


 何も知らないカィビが諭すように言っても、もう何も響かない。


「そのようね。では、私たちに今できることとして、こちらを司祭さまに」

「ほんの気持ちだけれど」

 

 トレッドが取り出し、テーブルの上に置いた袋がちゃり、と音を立てた。

 もちろん、入っているのは本物の貨幣だ。中身を改められても問題ない。

 これもまた、ティンから渡された本日の筋書きに含まれる小物のひとつ。


 渡したところで惜しくはない。


(とはいえ、カィビを調子に乗せるようで気に入りませんけれど)

 

 深々と頭を下げる司祭の横で、にっこりと笑いながら袋にばかり視線をやっている商人にローレンシアはつい面白くない気持ちになるけれど。


 立ち上がったトレッドの手にそっと促されて、その手をとった。

 もやもやする気持ちはソファに残して、トレッドとふたり扉に向かう。


「今日は様子見でね、あまりたくさん持ってこなかったんだ」

「また近いうちにお会いしましょ。次は商人さんを驚かせてあげるんだから」


 振り返り、交互に告げれば思わぬ言葉だったのだろう。カィビはきょとりと瞬いた。


 けれどその視線をちらりと貨幣の入った袋に向けてから、若い貴族の夫婦に向き直りにんまり笑う。


「ええ。ぜひ、驚かせていただきたい」


 期待に満ちたその声を背に、ローレンシアとトレッドは教会を後にした。


 ※※※

 

「それで? 君たちはどう判断したんだい」

 

 部屋の扉を開けるなり、椅子に脚を組んで座るティンに笑いかけられた。

 取っ手を握るトレッドからそっと目配せをもらったローレンシアが頷けば、扉は静かに閉められていく。


「あっ、ちょっと! なんで閉めるの、待って、いてっ! わっ、わあっ!」


 がん、ばたん、どたんっ。


 慌てた声に続いて軽いものがぶつかるような音。重たいものがぶつかる音。そして人が倒れるような音。


 静かになった室内をのぞく。

 そこには、ひっくり返った椅子の下敷きになって潰れたティンの姿があった。


「何をしてるんだ、ティン」

「何をしてますの、お兄さま」


 扉の隙間で縦に顔を並べたトレッドとローレンシアが問えば、返ってくるのは情けない声。


「ちょっとやってみたかったんだよう。悪の親玉のふりをさ〜」

「お前は……一体いくつになったんだ」


 呆れながらもトレッドが椅子をどかしてやる。


「わたくしたち、お兄さまの指示でおでかけしてきましたのよ? だというのにおひとりで遊んでらっしゃるなんて……」


 ローレンシアが差し伸べた手をとって、ティンはよろよろと立ち上がった。

 その途中にも彼は何もない床で足をすべらせ転びかけるのだから、不器用もここまでくると可哀想なほど。


 なので、ローレンシアとトレッドはおかしな遊びのことはそっと忘れた。

 置き直した椅子にティンを座らせてから向かいに並び、すぐ本題に入る。


「地下の空間でのことですけれど。わたくしはやはり、あの場所をそのままにしておくべきだと思いましたわ」

「ふむ?」


 ティンの促すような視線を受けて、ローレンシアは続けた。


「あの花が良いものでないことはわかっています。ごく薄いものですけれど、禍をこぼしているのですもの。そこに宿る力の詳細までは読み取れませんでしたが……」

「禍、つまり良くないものだ。それでもロールはそのままにしておくと?」

「ええ」


 答えるローレンシアに迷いはなかった。


「わたくしたちとて、禍付きの品を利用していますわ。あの花も、死の間際にある方々とその親しい人々が利用する分には、よろしいのではなくって? 良くないものだからとすべてを一括りにするのは、愚かなことだと思いますの」


 それは、地下の空間で大切な人を見つめる女性と触れ合えたからこそ出た言葉である。


 花からこぼれた禍は、死に瀕した人々の苦痛を抜き取っているようにローレンシアの目には映った。

 そして訪れたひとときの穏やかな時間は、やがて来る別れを受け入れるために必要なものだと思えたのだ。


「ふむふむ。トレッドは?」


 ローレンシアの言葉を聞いたティンは、ただうなずいた。

 正解も間違いもないことなのだ。

 聞き返すこともなければ、正すべきこともない。


「俺も、改めてあの場所のことを騎士団に伝えるつもりはないと確信した」


 トレッドが答える。


「そっか」

「だが、あの男はだめだ。カィビ=ルーンはあの空間に不必要だ」

 

 ぴしゃり、言うのを聞いて「ふうん。どうして?」と問うティンは楽しそうだ。


 そうして底の知れない笑みを浮かべている方がよほど悪の親玉らしく見えましてよ、とは言わないでおくローレンシアである。

 

「ひとりだけ向いてる方向が違うからだ。あの場所で、あいつだけが金儲けに走っている。あれはあいつ自身のため以外の何にもならない。だが商人は必要だから、どうしたものか……」 

「そうですわねえ」


 眉を寄せるふたりの前で、ティンはにっこにこ。


「ようし、じゃあそこの部分はこの兄に任せておきなさい! 婚約祝いになんとかするからさ」


 

 

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