第26話 宝玉には到底見えませんわ

「すこし、話を聞かせてもらえるかな」


 微笑むトレッドは貴族らしいきれいな笑みでカィビに向き合う。

 けれどその笑顔が優しいばかりでないことは、隣に並ぶローレンシアにも伝わって来た。


 笑っていない目からじわり漏れ出す威圧の気配がカィビに察知される前に、ローレンシアはトレッドと腕を絡める。


「この部屋の方たちは教会の方々にお任せして、わたしたちと商談しましょ?」

「いえ、しかし」

「あら。商人さんなのに商談がお嫌い?」


 挑発するように無邪気に微笑んでみせれば、カィビはにっこりと笑い返してきた。


「そのようなことはございませんとも。ええ、ぜひ。ぜひお二人と有意義なひとときを過ごしたいと願います」

「乗り気になってもらえたようでうれしいよ」


 強気な笑みに、今度こそトレッドは圧のある笑顔を返す。

 品の良い衣服を身に着け髪の毛を撫でつけたところで隠し切れない彼のどう猛さに、ローレンシアはこっそりと胸を高鳴らせていた。


 ***


 一行は地下を後にし、教会の奥まった一室に腰を落ち着ける。

 司教は地下の人々の対応で忙しいだろうと同行を請わなかったのだが、仲介をした以上は同席すると、司教本人が申し出た。

 若いというほど若くもないが、誠実な司教なのだろう。


 窓の外は暗い。

 夜も深まり、教会のなかはどこまでもしんと静まり返っていた。

 四人が集まる室内もまた静寂が幅をきかせ、ときおりろうそくの芯が炎に炙られじじじ、とかすかな音を立てるばかり。

 暗闇のなか細い糸のように降り続く雨は、音もなく夜闇にちらついていた。


 湿っぽさが石積みの建物を冷やすのだろう。

 地下からあがってきたにも関わらず、室内はひやりとしていた。

(あるいは、緊張がそう感じさせるのかもしれませんわね)


 そう思いつつも、ローレンシアは余裕をたっぷりと含んだ優雅なしぐさで促されるままソファに腰かけた。

 

 向かい合う形で置かれたふたつのソファはどちらも質素だ。表布に柄はなく、色味も汚れが目立たないことを最優先したのだろうと思われる無難さ。

 クッション部分はやわらかさよりも頑丈さが勝っており、ふわふわのスカートをはいていてよかったわ、とローレンシアに思わせるほど。


 室内の調度品を見回しても、教会が贅沢をしている様子はうかがえない。

 司教が用意しようとした茶も教会に住む者や勤めるものたちが、摘んで来たハーブ類を使ったものだという。


おそらく販売用だろう、とトレッドが耳打ちするものだから、ローレンシアはやんわりと断り、空のテーブルを前に腰を下ろしたのだった。


(とはいえ、この一室だけで教会とルーン商会の間で金銭のやり取りがあるか否かなど、判断できませんけれど。地下の人々に親身になっていた司教さまを信じないなんて、疑い深すぎますかしら?)

(それでいい、俺たちの役割は情報を多く持ち帰ることだ。むしろ個人の判断を持ち込むのは悪手といえる。そもそも、あなたはあまりに清らかすぎるのだから、疑い部会くらいでちょうどいいだろう)

(き、清らかとはなんですのっ?)


 耳飾り越しの会話に戸惑いつつも、ローレンシアにはすぐ隣にいるトレッドの太もも体温が頼もしかった。


「それで、商談ということですが?」


 おかげで、向かいに座るカィビが不遜にたずねてきても背筋をぴんと保っていられる。


「ええ、商談です。あの悲しみに飲まれてしまいそうな悲しい方々を支えるために、わたしたちが払えるだけのものを払います」

「それはそれは!」


 やすやすと金を出す貴族を前に、カィビはほくそ笑みそうになるのを懸命にこらえているところだろう。


(声に歓喜がもれているぞ)


 冷ややかなトレッドの指摘には反応せず、ローレンシアは笑顔のまま続ける。


「ですから、お持ちの宝玉だったかしら。あの石を見せてくださいな」

「ほう?」


 ぴしり、カィビの笑顔がかたまった。

 それに気づかないふりをしたローレンシアは、かわいい義妹を思い出しながら無邪気にころころと笑ってみせる。


「だって特別なものなのでしょう? わたし、一度見てみたいわ。それとも、あまりただの人が触れてはいけないようなものなのかしら?」


(特別な効能を持つものなのかどうか、この目でしっかりと確かめませんと)


 そんな腹のうちなどきれいに隠して笑うローレンシアは、気弱げな化粧も相まって純粋に宝石を見てみたいと願う少女のよう。

 その姿をすんなりと信じたのは司教であった。


「いえいえ、そのような恐ろしげなものではございません。そうですよね、商会長?」

「……ええ、その通りですとも」


 司教に促されてしまえば、品物を見せない方が怪しまれる。

 渋いものを滲ませながらも、カィビは懐から袋を取り出した。


 ソファに挟まれたテーブルへ置けば、開かれた口からじゃらり、こぼれるのは小指の爪ほどの小さなくず石たち。

 

「手にとっても?」

「ええ……」


 お伺いをたててローレンシアとトレッドはそれぞれ、適当な石をつまみあげた。

 

 顔の前にかざし、ろうそくの光を透かし見ようとするも。


「あら、向こうが見えないのね」

「本当だね。宝玉と言っていたから透き通っているのかと思ったんだけど」


 そろってふしぎそうな声をあげるふたりに、笑い声をあげたのはカィビだった。

 笑ってはいるが、どこか相手を見下すような嫌な笑いだ。


「それはそうでしょうとも! 高貴なおひとにお見せするような高価な宝玉など、我々下々の者にはとても手が届きません。ですから、申しましたでしょう。私が提供しているのは、特別な宝玉なのです。暮らしに手一杯の彼ら彼女らでも手が伸びる、これが精一杯の宝玉なのですよ」


 貴族の若夫婦の無知をちくちくと突くような物言い。

 カィビの前に居るのが若い貴族の夫婦であったなら、己たちの無知に恥じたかもしれない。透けない宝玉など知らなかったと、恵まれた立場にある自身を顧みてうつむいたかもしれない。


 けれど、ここにいるのはローレンシアとトレッドである。


「ふぅん、これが宝玉ですか。ずいぶんと安っぽい石ころですこと」


 ころん。

 細い指がつまんでいた宝玉を無造作にテーブルに転がす。

 

「これは宝玉ではないよ。宝玉を作る際に出たくず石を練り集めたものか」

「なっ!」


 明らかな品質の悪さを指摘すれば、カィビが怒りに顔を赤くする。

 けれどトレッドがつまんだ指先に力を込めると。

 ぱん。

 軽い音をたてて光を透かさない石ころは割れてしまった。


「っ……!」

 

 砕けたかけらがカィビのほほをかすめた。

 赤らんでいたはずのカィビの顔は一瞬で青ざめる。


 顔をかすめさせたのはさすがにわざとではないだろうが、自分たちに有利な状況になっている、とローレンシアは隣をちらりと見やり。


(……わざとではありませんわよね、トレッドさま?)

(ははっ)


 満足げな笑顔を浮かべるトレッドを見つけて、ローレンシアは気にしないことにした。


「司祭さま、ぶしつけですけれど。この方はこちらの石をどれほどのお値段で皆さまにお譲りしていました?」

「は、ええと。季節の果物ひとかごと同じくらいの」


 季節の果物ひとかご。

 それがどれほどの価値を持つのか、ローレンシアはよくわからなかった。

 けれどちらりと視線を向ければ、トレッドにはわかったらしい。


「くずを固めたこの石であれば、バケツいっぱいを果物ひとかごと交換できるほどの価値しかない。となると、商人どのはずいぶんたくさんのくず石をお持ちのようだね?」


 地下の空間で祈りを捧げていた人の数は十数以上。

 それだけの人々が支払いに困るほどのくず石を売ってきたのだとすれば、カィビの所有するくず石の量はいかばかりか。


 はかるような視線を向けるトレッドを見返して、カィビが言葉を練っているそのとき。

 

「……ルーン商会長は皆さまに宝玉、いえ。その石ひとつを渡しておりました」

「まあ! かごひとつぶんのお金とたった一粒の石を交換で?」

「はい……」


 ローレンシアが驚きを隠しもせず問えば、司教が頭を下げたのは頷いたのか、うなだれたのか。


 視線の合わなくなってしまった司教に代わり、ローレンシアが非難の目をカィビに向けた。

 けれど。


「旦那さまおっしゃっているのは、鉱山での元値でしょう。掘り出して街まで運び出し、宝玉として形を得るためにどれほどの手がかかるか、ご存知ありますまい!」


 カィビはさも楽しげな笑顔でローレンシアとトレッドを見つめ返した。

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