第25話 知らねばなりませんわ

 複雑な経路を案内されるまま、ついていく。

 ひと目を避けるように薄暗い道を選んで、進む。


(ロール嬢、帰り道は覚えられるか?)

(わたくしひとりだけでしたら、飛んでどこへなりと行けますもの。トレッドさまこそ、大丈夫ですか?)


 道中に逃げ道はそう多くない。

 途中途中には教会の者だろうか、立ち働いている者ともすれ違う。

 ローレンシアはいざとなれば禍付きの羽をつかって空を飛んで逃げられる。騎士団からだって追われることなく、過ごしているのだ。


 けれどトレッドはそうはいかない。

 通信の耳飾りはひとつを分け合う形にすることで禍の影響が少なく少なくなるため、ブレイドの血を引かない彼でも扱えるが。

 

 そのほかの品々は、いかに彼が強い騎士であろうと体を鍛えていようと、貸し出すことはできなかった。


 こそりと心配するローレンシアに、トレッドはにこりと笑って同行する者たちに気づかれないよう、腰を軽く叩いてみせる。

 そこには短剣が隠されていた。

 衣服のすそでわからなくなる程度の、刃渡りの短いものだ。


(前回あなたに教会内の道を教えたのは俺だぞ? それに、剣があればたいていのことは何とかなる)


 そんなに簡単なものかしら。

 ローレンシアは思ったけれど、トレッドは騎士だ。疑うのも失礼だろう。


 などと言っているうちに、一行は最後の扉の前へとたどり着いた。この扉を抜ければ、いよいよ地下の空間に出ることだろう。


 ここまで案内してきた教会の者が足を止め、ローレンシアたちを振り返る。


「この向こう側に、悲しみにくれる方々がいらっしゃいます。その姿に驚かれるかもしれませんが、どうぞ大きな声をあげないようお願いいたします」


 静かな声だが、願う気持ちがたしかに伝わってきた。


(……この方は、笑い方ではないようですわ。扉の向こうにいる人々のことを真に思っていらっしゃるようですわね)

(ロール嬢、あなたの心根の素直さを俺は好ましく思うが、ひとの心は善か悪かのふたつに分けられはしないことを忘れないでほしい)


 思わずほっとしてこぼれたローレンシアの思考に、トレッドがすかさず釘を刺す。


 そんなつもりはない、とも言い切れなくて唇を引き結んだローレンシアの姿は、怖気付いたように見えたのだろう。


 ここまで黙っていたカィビが、どろりと優しい笑みを浮かべる。


「たしかに、この先で目にするものは女性には恐ろしく思えるかもしれません。ですが気に止むことはございませんよ、夫人。ここで引き返したとして、あなた方の素晴らしい心の持ちようを疑うものなどおりませんから」


 言葉を飾ってはいるものの、カィビは扉の向こうにローレンシアたちを向かわせたくないらしい。


(あからさまに嫌がっておりますわね。見られて困るものがあると言っているようなものだわ)

(売っている宝玉の品質が劣悪か、あるいは法外な値をつけているか。特別な品だと言っていたものに問題がある可能性も考えねばな)


 今回の件についてティンが用意したのは、大まかな設定と場を整えることだけ。

 ここからはもう、ローレンシアとトレッドがその場その場で与えられた役を演じていくのだ。


「大丈夫か、ジェーン。君がつらいようなら彼の言うとおり、ここで待っていてくれて構わないよ。代わりに私が見たものを伝えるから」


 表情を固くした妻の肩を抱いて、夫は心配する言葉をかける。


 トレッドとローレンシアは裏でやり取りしながらも、表だっては気後れする妻とそれを気遣う夫のふりをしていた。


 妻は夫の手に自身の手を乗せて、覚悟を決めたように「いいえ」と首を横に振る。


「……いいえ、ジョン。実情も知らず、資金を渡すだけでは気まぐれに野鳥に餌を投げるのと変わらないわ。わたしは人々の悲しみを知ったうえで、彼らの心に寄り添える者になりたいの」


 耐えるような表情のまま訴えれば、カィビは一瞬苦いものを口にしたような顔を見せる。

 一方で、司教は感激したように深く頷いた。


「あなたさまの覚悟を神はかならず見ておりましょう。では、参ります」


 扉がゆっくりと押し開かれる。

 隙間からじわりと漏れ出す青白い光を見つめながら、ローレンシアは忍び込んだ時よりも緊張している自分に気がついた。


 どうしてかしら。

 トレッドに届いてしまわないよう気を配りながらローレンシアが考えていると。


「どうぞ。あなた方のご身分は伝えておりませんので、寛容に願います」


 促され、ローレンシアはトレッドに手を取られ足を進める。

 岩を削り出した階段を下れば、すこし前に見下ろした光景と同じ高さにたどりついた。


「ああ……」


 改めて見下ろした光景に胸を締め付けられ、ローレンシアは思わず立ち止まってしまう。


 青白い、淡い光に包まれた人々は誰もが痩せこけていた。

 光のせいで顔色がひどく悪く見え、離れたところからではもはや生きているのかわからないほど。


 湿った土のにおいといっしょに室内を満たすのは、絶望の気配だった。


 間近に感じたその気配に呑まれそうで、ローレンシアが息を飲んだとき。


 階段を降りたほど近くにひざまづいた女の体が、ぐらりと傾く。


「あっ、危ない!」


 とっさに支えた手のひらに、伝わったのは痩せて骨ばった体の感触。

 粗末な布越しに届くはずの体温は冷え切っている。


「ああ、ご親切に」

「いえ……」


 虚ろな目でゆるく頭を下げた女性の声はかすれていた。

 けれどそれよりもローレンシアに衝撃を与えたのは、対面した相手の顔を見た時。


 姿形で老婆だと思っていたのに、目の前でまじまじと見つめればそうではないらしい。


 痩せて髪もほつれ放題。肌は乾き指先はひび割れているが、ひどいくまのある目元にしわは少ない。

 

 お父さまやお母さまとそう変わらない年代なのかしら。


 つい気になってしまい、彼女のひざの先で横たわる相手に目をやった。

 彼女と同じ年頃の男性だ。

 痩せ方がひどく、頬はえぐれたようにこけて骨に皮膚を貼り付けたかのよう。


「……この方は」


 どうなさったの、というのは見るからに具合の悪い相手を前にあまりに白々しい。

 続ける言葉を見つけられないローレンシアに、姿勢を戻した女性が男性の手を取り、答えた。


「夫です。病にかかりながらもどうにかふたりで暮らしてきたのですが、今年に入ってとうとう起き上がることもままならなくなって」


 女性の指が絡められた男性の手は、もはや枯れ枝のよう。

 やさしくさすったところでぴくりとも反応がないのを見るに、おそらくもう長くないのだろうと素人のローレンシアでもわかってしまった。


 だというのに、女性はほんのりと笑みを浮かべる。


「でも、私たちは運が良いんです」


 命を脅かす病におかされて、運がいいだなんて。

 強がりを言っているのだろうか、と顔を見つめたローレンシアだが女性の瞳は凪いでいた。


「もう手の施しようがないとお医者さまに言われて、彼は寝たきりで苦しむばかり、私は泣くばっかり。そんな時に、カィビさんがこの場所へ連れてきてくれて、彼は苦痛から解放されて」


 女性が言ったとき、これまで無反応だった男性がうめき声をあげる。


「ぅうう……うああぁ……!」

「ああっ、苦しいのね? 宝玉、宝玉を!」


 彼女は血相を変えて服のポケットを漁りだす。

 見えないものの目には、男性が不意にうめきだしたように映っただろう。


 ローレンシアの目には、青白い花からこぼれる禍の黒いもやが男性の体に降り積もり、痩せた体を染めているのが見えていた。


 立ち尽くすローレンシアのとなりをすり抜けて、カィビが未だポケットを探る女性のそばに膝をつく。


「これをどうぞ」

「ああ! ありがとうございます!」


 商人から彼女へ渡された宝玉のかけらは小指の爪よりも小さい。

 けれども彼女は大事そうに両手で包み込み、祈りを捧げる。


 すると、男性の体に溜まった禍のもやがじわじわと宝玉へ移っていき、やがて男性は静かになった。


 息耐えたわけではないことは、かすかに上下する薄い胸が教えてくれる。


「ああ……良かった!」


 涙を浮かべ、胸を撫で下ろした女性だったが、次の瞬間にはハッとしたようにカィビを見上げ。


「その、いま、手元にお支払いできるものがもうなくて。ですが、少し待っていただければ必ず、必ず用意させてもらいますので、どうか!」

「わかっておりますとも」


 すがる女性の横に立ち、見下ろしたカィビがにっこりと唇を吊り上げるのが、ローレンシアには見えた。


(……トレッドさま、もうじゅうぶんですわ)


 感情を押し殺し耳飾り越しに意思を伝えれば、それまで押し黙って見守ってくれていたトレッドが大股で近づく。


 女性の邪魔をしないようゆっくりと立ち上がったローレンシアの肩を抱いて、トレッドは入ってきた扉を見上げた。

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