第23話 婚約にもめごとはつきもの、ではないようですわ

 ローレンシアとトレッドの婚約は、あっという間に確定した。

 互いの一家で顔合わせの場。

 ブレイドという特殊な家柄に対してトレッドの生家が何かいってくるかと思いきや。


「剣ひとすじで堅物の息子が、このひとと決めた相手が見つかるなんて二度と無い。幸い、スウィビスには男も女もまだまだ子はいるから、己の意志で家を出る者がいても笑って背中を押してやれる」


 婚約のための書面に記名する場で、トレッドの父であるスウィビスの当主はほがらかに笑ったのだ。


「あなた、ローレンシアちゃんこそこの子で良いの? トレッドは悪い子ではないけれど、女性を楽しませるだとか気の利いたことを言うだとかの才能には恵まれなかったの」


 そう言ってローレンシアを心配したのはトレッドの母だ。

 それに対して何を答えたものかと、ローレンシアは悩んだ。

 トレッドの良いところはいくつも思い浮かんだし、彼と共にいる時間にどれほど心穏やかでいられたか語ることもできる。

 けれど、すべてを語るには長すぎた。


(あまり長々と語ってはおしゃべりな女だと思われてしまわれるかも)


 悩んだ結果、ローレンシアは簡潔な言葉を選んで口にした。


「トレッドさまだからこそ、わたくしは隣に有りたいのですわ」


 本心からの言葉は、スウィビス夫妻にたいそう喜ばれた。


「トレッド、こんなこと言ってくれる女性に出会えるなんて幸運だな。お嬢さんの気が変わらないうちに急ぎ、婚約を確実なものにせねば」

「婚約から結婚まではできるだけ短い期間が良いわね。トレッド、くれぐれもローレンシアちゃんを逃しちゃダメよ」


 ノリノリのスウィビス夫妻とブレイド家の夫人、それからブレイド家長男のティンがせっせと動いた結果。

 顔合わせのその場ですべての書類と婚約発表の日時、その後の結婚式の日取りまでがさくさくと決まったのだった。


 ※※※


 ブレイド家の令嬢の婚約者が決まった。

 知らせが広がるまでそう長い時間はかからなかった。

 国と同じだけの歴史を持つ古い家でありながら、ブレイド家は謎に包まれている。


 繋がりを持ちたいと考える者は多かったが、婚約の申し込みをして受け入れられた例はひどく少なかった。


 けれども、スウィビスの当主夫妻は婚約のお披露目をしようと持ちかけてきた。


「ローレンシアちゃんはこんなにかわいいんだもの、注目を集めてしまったいま、我が家より家格が上の者が婚約を申し込むに決まっているわ」

「裏から手を回してくる不届きものも現れるやもしれん。そうなる前に、広くふたりの婚約を周知しようじゃないか。そうすれば、ローレンシア嬢の心変わり以外で婚約に待ったをかけられるものはなくなるだろう」


 その申し出に、二つ返事をしたのはティンだった。

 日時や場所をあれこれと決めて、スウィビス夫妻が満足げに帰る。ブレイド夫妻はそれを見送り「お披露目の日のエメローナの服を作りに行こうか」と義妹を連れて出かけて行った。

 義妹は家族として迎えられたが、まだブレイド家の活動の全容を知らされてはいない。

 ざっくりとした説明を受けて「正義の味方なんですね!」と目を輝かせた彼女には、まだ早いと判断されたためだった。


 エメローナの当面の課題は精神面の成長だ。

 けれど急ぐべきではないというのが一家の総意である。


 両親と義妹が出かけて、残ったのはローレンシアとトレッドとティンの三人。


 トレッドは当日の衣装について打ち合わせをする、と残っていた。けれど彼が視線を向けたのはローレンシアの兄、ティンだ。

 

「何を企んでいる」

「わあ、開口一番にそれ? 僕の義弟は疑り深いなあ。ロール、こんな男と結婚して本当にいいのかい?」


 ふざけるティンに、ローレンシアは呆れてしまう。


「お兄さま、明らかに悪い顔をなさってますもの。トレッドさまが裏があると思われるのは当然ですわ」

「あはは、ロールまでそんなことを言うんだね。君たちの先行きに障害が現れないよう願っているのは本心だし、お披露目を楽しみにしている気持ちも本物なんだよ?」

 

 信じておくれよ、とうったえるティンを前に、ローレンシアとトレッドは横目で視線を交わした。

 言葉はなくとも、互いに通じ合う。


「それは疑っていないが。お前のことだ、それだけで終わるわけがないだろう。なあ、義兄上?」

「そうですわ。この機にあれこれ仕掛けようとなさるのがお兄さまですもの」

「おやおや、君たちもう息ぴったりだねえ。熟年夫婦のようだよ」


 ふたりに詰め寄られたティンは呆れ顔。視線で会話する仲を茶化して言う。

 途端に、ローレンシアの顔に血が上る。

 トレッドもまたわずかに赤面しつつ、せきばらい。


 ティンはその様をにやにやと見ていたが、しばらくして満足したのだろう。


「まあ、ちょっとした催しを思い描いてはいるよ」


 にやりと笑った顔は、たいそう悪い顔をしていた。

 思わず互いをかばうように身を寄せ合いローレンシアとトレッドを前に、ティンはけらけらと笑う。


「そんなに怖がらなくても、僕は君たちの味方だよ?」

「……それは何よりだ」

「……本当にそう思いますわ」


 真顔で答えたふたりにティンは肩をすくめた。


「まあ、当日のことはおいおい話すよ。それより、君たちにはするべきことがふたつある」

「なんだ?」

「なんでしょう」


 首をかしげるふたりに、ティンが「まずひとつ」と指を一本立てる。


「君たちが教会に忍び込んだときの話だよ」


 ローレンシアがびくりと肩を揺らす横で、トレッドも苦い顔をしていた。


 互いの立場がはっきりとしないうちから、共に教会に忍び込んできたことについてふたりそろってこってりと絞られた記憶はまだ新しい。

 

(あの時のお母さまはとっても恐ろしかったですわ……)


 思い出しても震えがくるローレンシアと同じく、トレッドも顔色がよろしくない。

 ローレンシアが笑顔のコロネに詰め寄られたように、トレッドは無表情のショークに静かに延々とダメ出しをされたのだ。


 長い長い時間が終わった時、ローレンシアとトレッドはもはや言葉も出ないほどにぐったりしていた。

 懐かしくもなんともない記憶だ。


「あの時、父に『どうして騎士団に地下洞窟の存在を伝えなかった』と問われてトレッドは言ったね。教会の地下で行われていたことを悪か善かで分ける必要性を感じなかったから、と」

「ああ」

「ローレンシアは、裁かれるべき行為なのか自分には決められないと言っただろう?」

「はい……」


 確かにそう答えていた。

 教会の地下の洞窟で見たすべてをすっかり話したうえで、ローレンシアは『どうすべきか決められない』と告げたのだ。


 そして、教会への対応は保留になっていたのだけれど。


「もう一度、ふたりで見定めてきてほしいんだ」

「もう一度?」

「わたくしと、トレッドさまとで、ですか」


 顔を見合わせたローレンシアとトレッドは、そろって困惑顔。


「一度も二度も同じではないか?」

「そうですわ。わたくしたちよりもお父さまやお母さまが直接、話を伺うほうが実りもあるのではないかしら」


 提案の意義が見出せないふたりに、ティンは「まあまあ」と手を振ってなだめる。


「同じではないよ。けど、その件は今日はひとまず置いておいて」


 にこっと笑ったティンが続けた。


「もうひとつは、お披露目の日の衣装を決めること!」


 言われて、ローレンシアはお披露目のことがすっかり頭から抜けてしまっていたのに気がつく。

 それはトレッドも同じであったらしい。


 呆気に取られたようにぽかんとした後で、トレッドは甘く甘く微笑んだ。


「そうだな、ロール嬢。あなたはどんなドレスが着たい? あなたの望む生地でら俺もそろいの一式をあつらえよう」

「わたくしの着たいドレス……」


 つぶやいて、ローレンシアは思い描いた衣装を口にする。

 トレッドも良案だと思ったのだろう。

 うれしそうに笑い合うふたりをティンはにこにこと眺めていた。


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