第22話 わたくしが、怪盗令嬢ですの

 ティンの発言に、ローレンシアは驚き兄に詰め寄った。


「ちょっとお兄さま、どういうおつもりですの! わたくしの秘密はすなわちブレイド家の秘密。いくらトレッドさまがお兄さまのご友人で悪意を持つような方ではないとはいえ……」

「ロール、これはまたとない好機なんだよ」

「好機? それは我が家にとって、ということですの?」

「ああ、そうだよ」


 ひそひそひそ。

 顔を寄せ合って兄妹はささやきあう。


「確かに、好機と言えば好機。だがしかし、いやしかし、それではローレンシアとあの男の婚約を認めるようなものであって……」


 ショークも寄ってきて小声でうなる。

 いっしょにやってきたコロネは、家族にぎゅうぎゅうとくっつきながらにこにこ顔だ。


「あらあ、ブレイドの秘密を教えるんだったら、婚約どころか結婚まで確約してもらわなきゃ困るわ」

「けっこ……!!!!」


 ショークは衝撃のあまり、立ったまま気絶したらしい。

 ふらついた体はちょうどよく椅子に座った。

 ぐったりと背もたれに倒れた姿を横目に、残った三人は視線を交わし合う。


「ロールはどうしたい?」

「わ、わたくしですか。それは、その。トレッドさまを好ましく思っておりますし、婚約を申し出られたと聞いたときは悪い気はしませんでしたけれど……」


 もにょもにょと口ごもるローレンシアに、兄と母はにんまり。

 その笑みにさらに顔を赤くしたローレンシアが、慌てて話を変えるように続けた。

 

「そ、それよりも! ブレイド家としての立場で考えるべきではありませんことっ? わたくしたち一家のこれからに関わることですのよ」

「うーん、そこのところは正直、大丈夫じゃないかなあ」

「そうよねえ。だって表の顔も裏の顔も好きでいてくれてる方なんて、そうそう捕まえられないわよ。ロールちゃんが幸せになれて我が家には騎士さんの味方が増えるのよ。みんな幸せでしょう?」


「「あとは、ロールの気持ち次第」」


 兄と母から口をそろえて言われて、ローレンシアはたじたじ。

 それでも深呼吸をひとつ。

 静かに待ってくれていたトレッドに向き直った。


「……トレッドさま。わたくし、あなたさまに秘密にしていたことがございますの」

「言いにくいことなのか」

「そう、ですわね。わたくしの秘密であり、我がブレイド家の秘密でもありますから、知ってしまった方には身内になっていただくか、あるいは記憶ごと葬らせていただくか……」


 神を信じるという行為は、この国においていたって自然なこと。

 そして神を信じる者たちが集うのが教会だ。

 教会の不正を暴くためには、教会に心を預けていてはいけない。


 ブレイド家の秘密を知る者もまた、教会に心を預けていてはならないのだ。

 万一、ブレイド家の動向を教会に知らせる者が出ては、一家の存在意義は一気に失われる。


 そのため、身内に迎える者はよくよく選ばねばならない。

 突如として養子に組み込まれたエメローナがひどく警戒されていたのは、そういった理由からであった。


 そして婚約関係を結ぶのであれば、トレッドもまた覚悟を決めてもらわねばならない。


(日を、改めようとおっしゃるかしら)


 黙って言われたことを噛みしめている様子のトレッドを見て、ローレンシアは思う。

 

(そうよね。突然こんなことを言われるだなんて、想定しているはずがありませんもの……もしかしたら、婚約のお話も無かったことに、なんておっしゃるかしら)


 可能性は薄くない。そう思い至って、ローレンシアの胸がずきりと痛む。

 けれど、決めるのはトレッドだ。


(どうか日を改めるとおっしゃって。わたくし、トレッドさまのことが……)


 ローレンシアが無意識に両手を組み合わせたとき。


「聞かせてくれないか」


 顔をあげたトレッドが言った。


「あなたのことを知りたい。知って、隣で支え合って生きたいんだ」

「トレッドさま……!」


 うれしかった。

 はにかむように笑うトレッドに頷き返して、ローレンシアはスカートのポケットに手を入れる。


 するり、とりだしたのは鴉の嘴を模した面。

 はっとしたように目を見開いたトレッドに笑って、ローレンシアは面を顔に当てた。


 銀の髪が音もなく漆黒へと染まる様に、トレッドは息を呑む。

 まさか、と言葉にならないつぶやきを彼の唇が形づくるなか、ローレンシアは黒い鳥の羽根を自身の胸元に刺した。


 ひゅる、とゆるやかな風を巻き起こし広がったのは黒い布。

 意思を持つかのようにひゅるひゅると広がったその布は、ローレンシアの身体を覆い隠していく。

 布の末端に生じた鳥の脚を模したブローチが、黒衣の胸元を飾る。


 瞬きの間に、ローレンシアは怪盗令嬢クロウへと姿を変えていた。


「怪盗令嬢クロウ……いや、ロール嬢、か?」

「この恰好の時はクロウと呼んでくださいまし」


 唖然としたトレッドのつぶやきに、ローレンシアは照れながら告げた。

 どちらも同じ人物である。正直に言えば、どちらの名で呼ばれても構わない。


 けれどそこはローレンシアのなかで線引きがされているのだ。

 

(今のわたくしはクロウ。トレッドさまはわたくしを御覧になって、どう思われるかしら)


 ちらりと様子を伺えば、トレッドは瞬きを繰り返している。


「あなたがクロウであり、クロウがローレンシア嬢だったのか。これがブレイド家の秘密なのか」

「ああ。時代ごとに方法はいろいろだけれどね。表立った活動のほかに、裏でも教会が不正をしないよう、暗躍しているのさ。今代は僕がちょっと不器用なせいで、ローレンシアに怪盗をしてもらっているわけさ」


 ティンの説明に、トレッドは「ちょっと……?」と首をかしげつつも、納得したらしい。


「そうか、そうだったのか。ならば俺は、ひとりの女性を好敵手に相応しいと思い、そして愛おしいと感じていたわけなのだな。はははっ」


 楽しそうに笑うトレッドに、ローレンシアは胸のつかえがとれた気がした。

 ほっとして表情を緩めたローレンシアをトレッドがぎゅうと抱きしめる。

 

「!? っな、なにを!」


 なさいますの。

 驚きそう言おうとしたローレンシアだが、とろけそうな笑みを浮かべて見下ろすトレッドの視線とぶつかって、言葉が続かない。


「あなたを、ローレンシア嬢を愛すると決めてからも、どこかで引っかかりを感じていたんだ。何かの拍子に怪盗令嬢クロウをひとりの女性として見てしまうのではないか、などと」


 言葉を切って、トレッドはローレンシアを抱き上げた。


「きゃあ!」


 軽々と腕のうえに乗せられたローレンシアは、驚き慌ててトレッドの首にしがみつく。

 はからずも、顔と顔をくっつけあう形になったことに気づいてローレンシアの顔は真っ赤に熟れた。

 

「だが、杞憂だった! 俺は心置きなくあなたを愛する。ローレンシア嬢と笑い合い、クロウ嬢と共に戦うぞ!」

「お、下ろしてくださいませ! 恥ずかしいですわっ」


 ローレンシアを腕に抱えたまま、トレッドは楽し気に笑っている。

 彼の腕は震えもせず、しっかりと安定したまま。ひと一人を抱えているというのに、重さなどまるで感じていないかのようだ。


「はははっ。そう恥ずかしがることもないだろう! 先日の教会では、共に手を取り共闘したじゃないか」

「あっ」


 笑顔のトレッドが言ったとき、彼の背後にティンが立つ。

 ぽん、と友人の肩に手を置いたティンは、見開いた目でトレッドとローレンシアを見据えたまま口元をにっこりとさせた。


「トレッド、今の話を詳しく聞かせてくれるかな?」

「あの、お兄さま。その件に関しましては」

「ローレンシア、その件についてはまだ報告を受けていなかったね」


 怖い顔の兄にしどろもどろと言葉を探していたローレンシアは、後ろから聞こえた父の声に身をすくめた。

 思わず目の前のトレッドにすがりついて、たくましい胸板に顔を寄せる。


 それが父の不機嫌を著しく助長させるとも、気づかずに。


「ローレンシアぁあああ?」

「ひえっ! ごめんなさい、お父さまあ!」


 ますますトレッドにしがみつくローレンシアに、ショークの機嫌は下がる一方。


「ろ、ロール嬢! 状況が悪化している。俺としてはうれしいがっ」

「きみぃいいいい!?」


 トレッドもまた、うっかり火に油を注ぐ。

 その様を眺めて、にこにこ笑うのはコロネとティンだ。


「にぎやかになるわねえ」

「そうだね。トレッドが義弟か。エメローナにも教えてあげなくてはね」

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