第21話 あなたの心を教えてくださいませ

 トレッドの発言に、ローレンシアは呆気にとられた。

 いや、彼女だけではない。

 室内にいる家族一同が目を丸くして彼を見つめている。


 それは感情を煮えたぎらせていたショークも例外ではない。


「怪盗令嬢、というと。あのオージィ男爵の屋敷に現れたという?」


 世の中にそうそう怪盗をたしなむ令嬢がいるはずもないが、確認せずにいられないショークの気持ちもよくわかる。


「ええ、その怪盗令嬢です。クロウ、と名乗る鳥の面をつけた女性です」

「トレッド、怪盗と会ったのはほんの一瞬だったよね? あのとき僕もいっしょにいたもの。会ったっていうより通り過ぎるのを見かけた程度だったと思うんだけど。そんなに心に残る何かがあったの?」


 ティンのもっともな問いに、ローレンシアはどきりとした。


(教会に潜入したとき、トレッドさまと鉢合わせたことをまだ報告していませんでしたわ。このご様子ならわたくしとクロウが同一人物だとバレてはいないようですけれど、きっとどうして報告しなかったのだと叱られますわね……)


 ローレンシアの胸中など知るよしもないトレッドは、案の定「いや」と首を振る。


「実を言うと先日、とある教会で再会している」

「へえ?」

 

 にこり、笑ったティンがローレンシアを振り向いた。

 初耳だなあ、と言いたげな視線からそっと目を逸らしたローレンシアは、別の方向から突き刺さる視線も気づかないふり。そちらの方から「はいはい、どうどう」とコロネの声がする。なだめられているのが誰かは、考えないでおく。


(弁明を……今しては、トレッドさまが不審に思われますわよね。後ほど、なんと伝えればお兄さまとお父さまは穏やかに受け止めてくださるかしら……)


 どう伝えたところで、父と兄からの叱責は免れないと知りつつ、ローレンシアは思考をめぐらせる。

 それをぴたりと止めたのは、続くトレッドの言葉だった。


「だが、クロウ嬢のことは初めての邂逅の時点で気になっていた。いや、忘れられなくなっていたと言うべきか」


(まさか……トレッドさま)


 ローレンシアはトレッドが何を言うのか察して、うろたえる。

 けれど声をあげて止めるのは不自然だ。

 そう考えておろおろしているうちに、トレッドは続きを口にしてしまう。


「立ち去る彼女の姿が目に焼きついてな。忘れられないんだ」


(良かった! 脚の形うんぬんについて言及されなくて、本当に良かった!)


 さすがにトレッドも場所を考えたらしい。

 クロウ自身に告げた「脚線美」の話が出てこなかったことに、ローレンシアは胸を撫で下ろす。

 そのせいで、兄と母がにまにまと楽しげな笑みを浮かべていることに気づくのが遅れた。


「ふうん? 怪盗令嬢クロウのことが忘れられないのに、どうしてきみはローレンシアに婚約を申し込むんだい? 手に入らない相手を思うくらいなら、手近な相手ですませようっていうのかな? たとえ友人だろうと、そこのところをはっきり聞かせてもらえないことには、大事な妹はやれないなあ」

「そうよねえ。たとえ心に忘れられない誰かがいたとして、それをわざわざ婚約を申し込んだ相手に告げる必要はないはずよねえ。トレッドさん、あなたの真意を聞かせてほしいわね。わたくしたちが納得できるあなたの思いをきっちりと、ね?」


 ねちっこく迫るティンとコロネ。

 ショークは衝撃にいまだ囚われているらしい。「クロウも、だと?」とつぶやきながら立ち尽くしている。


(この状況はいったいどういうことですの。わたくしはトレッドさまを援護すべき、なのかしら? いいえ、クロウとローレンシアは別個の人物なのだもの。庇うような真似はおかしいに決まっていますわ。けれど、ではどうしたらよろしいのかしら……)


 ローレンシアが迷っているうちに、トレッドが口を開く。

 彼の声にも表情にも視線にも迷いはない。

 

「まず一番に伝えておかなければならないことは、俺が隣に居たいと思うのはローレンシア嬢だ」

「まあ!」


 あんまりにも率直に言われてローレンシアは驚き、赤面する。

 そんなローレンシアの顔をのぞきこむようにして、トレッドは目元を和らげた。


「あなたの隣で言葉をかわし、視線をかわす時間は俺にとってこれまでにないおだやかな心地になるひとときだった。この気持ちを愛おしいというのだろう。だから、あなたの魅力に他の男が気づいてしまう前に、と急ぎ婚約の申し込みをさせてもらったんだ」

「まあ、まあ!」


 言葉が重ねられるほどに、ローレンシアの顔が熱くなっていく。

 今やすっかり真っ赤になったローレンシアの目を見つめながら、トレッドが彼女の手を取った。


「本当は、あなたの気持ちを確かめてから送るべきだと思っていたんだが。俺があまりに焦ってしまったせいで順番が逆になってしまった」


 じ、と見つめてくる澄んだ瞳に、ローレンシアの頬はじりじりと熱をあげていく。


「あなたの隣で生きる権利を俺に与えてくれないだろうか。まだ二回しか会っていないのに何をと思われるかもしれないが」

「それは、その。わたくしも、トレッドさまと過ごす時間をとても楽しく思っておりましたから、うれしいのですけれど」


 しどろもどろ。

 自分の気持ちを手探りで拾い上げては口にするローレンシア。

 明確な答えを告げない彼女をトレッドがうながす。


「けれど?」

「……けれど、トレッドさまはクロウが。怪盗のことが忘れられないのでしょう? それは、わたくしに告げた気持ちとどう違いますの」


 ローレンシアもクロウも同一人物だ。

 けれど片方はしとやかな令嬢。片方は令嬢を名乗りつつも怪盗、盗人である。


 令嬢に婚約を申し込みながら、怪盗が忘れられないと言うトレッドの真意をローレンシアははかりかねていた。


(わたくしに安寧を求め、クロウで刺激をもとめていらっしゃるのなら。わたくしたちは……近しくあるべきでは、ありませんわ)

 

 覚悟を決めるためにローレンシアの胸が痛む。

 痛むのは、理性に押さえつけられた彼女の恋心だ。


「クロウ嬢に抱く感情は」


 答えるトレッドがひどくゆっくりと話しているような気さえしてきて、ローレンシアは胸がきゅうきゅうする。


「好敵手、だな」

「え?」

「好敵手だ。あの颯爽とした姿に見惚れたのは事実だが、彼女とは支え合うよりも競い合いたいと感じたんだ」

 

 ぱちりぱちり。

 瞬きするローレンシアは、トレッドの言葉を咀嚼中。


「トレッド、クロウは怪盗だけど君は騎士だ。好敵手、だなんて良いのかい? 君たちにとっては取り締まる相手じゃないの?」


 口を出したティンは、ひどく楽しげだ。

 それに対してトレッドはまじめに答える。


「それなんだがな。俺には彼女が悪党には思えなかったんだ。いや、善良とは言い切れないんだが、行動の根底に私欲ではない何かがあるように感じられてな。共に切磋琢磨できる仲になれたら良いと思ったんだ」

「まあ」

「おや」

「むう……」


 コロネはうれしそうに、ティンは楽しそうに、ショークは不満げに声をあげた。


「だが、そうは言っても彼女は女性だ。もしも俺が女性を好敵手として胸のうちに住まわせることをロール嬢が厭うなら、ただの怪盗と騎士であろうと決めてきた。それを話したくて、会いに来たんだ」

「トレッドさま……」

「どうだろう、ロール嬢。あなたの素直な気持ちを教えて欲しい」


 請われて、ローレンシアは拳を握った。

 

(わたくしの本当の気持ち…。この気持ちを伝えるためには、クロウもまたわたくしなのだと伝えなくてはなりませんわ。けれどそれはできない。ならば、ローレンシアとして答えられるだけの思いをお伝えする?)


 自問自答し、ローレンシアは胸の内で首を横に振る。


(ううん、それではトレッドさまの誠実さに背いてしまうわ。けれど、どうしたら……)


 ローレンシアが迷うそこへ、近づいたのはティンだ。朗らかな笑顔を浮かべた彼は、妹と友とを交互に見やってにっこり。

 

「ちょうど良いんじゃないかな。見せてあげたら? ローレンシアの秘密」





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