第18話 かわいい義妹なのですわ

 ローレンシアは立ち上がった。

 ベッドに腰掛けたエメローナの前に立ち、両腕を広げる。


「きなさい、お姉さまが抱きしめてさしあげますわ!」

「姉さま!」


 広げた腕にエメローナが飛び込んだ。

 温かい身体をローレンシアは抱きしめる。


(この子はわたくしの妹。今この時から、わたくしはこの子を実の妹として愛しましょう。今後はこの子のことを何ひとつとして疑いませんわ!)


 ぎゅうぎゅうと抱きしめながらローレンシアは誓った。

 そして誓いを守るため、改めて教会での暮らしについてたずねる。


「ねえ、エメローナ。いいえ、エミィ。教会に暮らしていたころ、あなたは何をしていたの? 聖女と呼ばれていたことは聞きましたけれど。聖女とは何をするものなのかしら」

「ええと、何もしません」

「何もしない?」


 腕のなかの妹を見下ろして眉を寄せたローレンシアに、エメローナはこっくり頷いた。


「わたしは何もしないで、にこにこ笑って座っているのが大切なんだって。それで、お祈りに来る方たちがみんな喜んでくれるんだって。だからわたしはできるだけ純粋じゃなくちゃいけないからお外の人とも会わなかったし、他の子たちみたいにお勉強やお掃除もしちゃだめで。それなのに、ご飯も寝るところももらえるのは、本当に恵まれているんだって言われてて」 

「なんてこと」


 ローレンシアの胸が痛んだのは、言われた言葉を信じているのだろうエメローナの心を思ったから。


 暮らしを保証され、生かされていることへ純粋な感謝を向けている。

 その心の清らかさが悲しかった。


(この子の純粋さ、幼さは作られたものだったのだわ。聖女として、偶像として祀り上げるために学ぶことを、大人になることを遠ざけられてきたなんて……)


 悲しみは怒りとなって、ローレンシアのなかでふつふつと湧き上がる。

 エメローナの暮らしは最低限、保証されていたかもしれない。

 けれど教会の都合で制限されたことはたくさんあるはずだ。


 少女が得られるはずであった幸福を宗教利用のために抑制したなどと、あって良いことなのか。いや、良いわけがない。

 

「許せませんわ」

「姉さま?」


 腕のなか、稚い顔で見上げてくるエメローナを抱きしめ直して、ローレンシアは怒りに燃えた。


「エメローナ、あなたはとびきり幸せにならなくってはいけませんわ。遠慮をやめなさい。我慢を忘れなさい。ひとりきりで悲しい思いや辛い気持ちを抱えてごらんなさい、わたくし許しませんことよ!」


 険しい顔でぴしゃりと告げたのは、義妹を思う言葉。

 ぽかんとするエメローナを見つめて、ローレンシアは美しく笑う。


「まずは、そうね。あなたの部屋を好きな物で埋め尽くしましょう」

「わたしの好きな物、ですか」

「ええ。何でも良くってよ。わたくし、少しは蓄えもありますもの。かわいい妹のために使えるなら本望ですわ」


 ローレンシア自身に収入はないが、怪盗としてブレイド家の勤めを果たしているため、小遣いとしてはやや多い金額が定期的に割り振られている。

 とは言え、日々の暮らしに格別な不満のないローレンシアが使ったのはせいぜいトレッドと出かけた店での食事程度。


 結果としてそこそこの金額が手元にたまることとなる。

 

(かわいい義妹のために使えるなら、むしろ大歓迎ですわ)


 両親に伝えれば、ある程度のものは買い与えられるだろう。

 むしろ愛情深い母親などは、率先して商人を呼びつけるかもしれない。

 過度な贅沢はしないにしても、エメローナの部屋を埋め尽くすなどあっという間だ。


 けれどローレンシアは、あえて自分の手持ちで妹のためにあつらえたかったのだ。


「さあ、何を買おうかしら」


 わくわくしながらたずねたローレンシアだが、エメローナは困り顔。


「えっと、えっと……好きな物、思い浮かばないです」


 眉をしょんぼり。申し訳なさそうに告げる義妹に、ローレンシアは「でしたら!」と奮起する。


「好きな物を見つければよろしくってよ! 街にはいろいろなお店がありますもの。ぶらりと見てまわるだけでも、あなたの好みというものが見つけられるかもしれませんわ」

「えっと、それって姉さまもいっしょに来てくださる?」


 恐る恐る、不安でいっぱいの顔でエメローナはたずねた。

 その様はまるで、巣穴から顔を出したばかりの子ウサギのよう。


 庇護欲を誘う表情やしぐさも、計算ではないとわかればかわいくてたまらない。


「もちろんですわ!」


 叫ぶように言って、ローレンシアはひときわ強くぎゅうっとエメローナを抱きしめた。


「もちろん、あなたが望むならどこへだって付いて行きますわよ。服屋かしら、花屋かしら。楽器や絵のお店も良くってよ。趣味を持つことは人生に彩りを添えるということですもの」


 ついつい熱が入って、ローレンシアの口がいつも以上に回る。


「ええと、ええと。趣味はわからないから、お姉さまのおすすめのお店がいい、かな?」


 それがエメローナに答えられる精いっぱいなのだと、ローレンシアにはわかった。


(ああ、この子は外出をしたこともないのね)


 察したローレンシアは安心させるように微笑みながらうなずく。


「ええ、ええ。わたくしのおすすめの店を回りましょう。それとも、その前に生地屋を呼ぶのがいいかしら。お部屋のカーテンやカーペットの生地を並べて見るのよ。好きな色柄のものを見つけられたら、部屋に置きましょう。それだけでもぐっと、自分の部屋だという愛着が湧くはずだわ」

「そう、なのかな? ううん、姉さまがそう言うならきっとそうなんだよね!」

「ええ、そうよ。わたくしが保証いたしますわ!」

 

 ふたりがにっこり見つめあった時。


「ローレンシア! お前を嫁にはやらん!」


 ノックもなしに扉を大開き。

 現れたのはブレイド家当主であり、ローレンシアの父であるショークだ。


 日頃、落ち着いた紳士である彼は、室内で互いを抱きしめ見つめ合うローレンシアとエメローナの姿に目を見開いた。


「あら、お父さま。どうかなさいましたの?」


 ローレンシアはその体制のまま、顔だけを父に向ける。

 するとショークはわなわなと肩をふるわせた。


「え、エメローナとの結婚もなしだぞ!」

「あら。エミィはかわいい妹ですもの。結婚はできませんわ」

「姉さまのことは大好きだけど、わたしは姉さまの妹ですよ?」


 ローレンシアとエメローナがそろって首をかしげるのを見て、ショークはほっと息をついた。


「そうか。それなら良いんだ」

「ところでお父さまはどういったご用ですの? エミィもお父さまの子とはいえ、年ごろの娘ですのよ。ノックもなしに扉を開けるなんて、配慮に欠けていましてよ?」


 姉の顔でぷんぷん怒るローレンシアの指摘で、ショークはあからさまに狼狽える。


「それは、うむ。すまない、エメローナ。君を軽んじたわけではなかったのだ」

「わたし、気にしてないです! 父さまが遊びにきてくれてとってもうれしい」

「ああ、いや、うん。遊びに来たわけではないんだが、そうだな。後日、改めて遊びに伺っても良いだろうか?」


 ショークの申し出にエメローナは両手をぱちりと合わせ、花のように笑う。


「うれしい! 待ってますね!」

「ああ。楽しみにしておくよ」

 

 父は義娘にぎこちなく笑い返した。

 あまりうまい笑顔ではないが、それがよそゆきの笑顔ではなくて彼なりの心からの笑顔だということは、やさしく細められた目元から伺える。


 ローレンシアはまったく、と腰に手を当て首を傾げた。


「お父さまったら、本当に。どうなさったの?」

「どうしたどころの騒ぎではない! ふたりとも今すぐ来なさい。一大事だ!!」


 いつになく慌てた様子でそう言って、父は背を向け歩き出す。


「なにかしら」

「なんでしょう?」


 顔を見合わせたローレンシアとエメローナは、不思議そうに首をかしげながらも父の背を追った。


 並んで歩く姉と義妹の手は、仲良くぎゅっと握られたまま。


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