第19話 思わぬ知らせが舞い込みましたわ

 廊下に出てみれば、日は落ちかけていた。

 ローレンシアとエメローナが部屋にこもってふたりで話しているうちに、時間が過ぎていたらしい。


 知らぬ間に、父たちも帰宅していたようだ。


(夕食に呼びに来たのかと思いましたけれど)


 この時間帯ならば、食事の支度が終わっているからと食堂に向かうかと思いきや。


 父のあとに続いたローレンシアとエメローナがたどり着いたのは、応接間。

 来客時にだけ開かれる扉をくぐればすぐに、笑顔のティンに出迎えられた。


「やあやあ、珍しいね。君たちがふたりで過ごしていたなんて」


 言われて、並んで立っていたローレンシアとエメローナは顔を見合わせて笑う。


「ええ。わたくしとエミィは姉妹ですもの。いっしょにお出かけしましょうとお話ししておりましたの」

「えへへへへ。うれしいです、ロール姉さま」

「おや、本当に仲良しだ。君たち、お互いを愛称で呼んでいたのだったかな?」


 ふしぎそうに瞬いたティンに、ローレンシアは「姉妹ですもの、相性くらい呼び合いますわ。とはいえ、その件については後ほどお伝えしますわ」と答えた。

 そしてほんのり声をひそめる。


「ところでお兄さま、食堂ではなく応接間に集まるなんて、何かありましたの? 家族でお迎えするようなお方がいらっしゃるのでしたら、エメローナは身だしなみを整えてきませんと」


 外出から戻ったところであったローレンシアはともかく、エメローナが身につけているのは、町娘とそう変わらないシンプルなワンピースだ。

 質こそ良いものだが、貴族が身につけるにはあまりに格が落ちる。


 家族総出で出迎えるような相手が来るのならば、ふさわしくないとローレンシアは考えたのだけれど。


「ああ、良いんだよ。誰かも気やしない。応接間に集まったのは、ゆったり座れるソファが人数分あるからさ」


 ティンは言って、立ったままだったローレンシアとエメローナにも好きなところへ腰掛けるよう促した。

 言われるままエメローナとひとつのソファに腰を下ろし、ローレンシアは兄にたずねる。


「お父さまがずいぶんと取り乱しておいでなのですけれど、どうなさったの?」

「ああ、うん。それがねえ……」


 ティンが困ったような、笑っているような不思議な顔をして言葉を濁す。

 その視線を追えば壁に寄りかかってぶつぶつとつぶやくショークの姿。


(お父さまを気遣って口にできないようなことなのかしら。けれどお父さまはもうご存知でいらっしゃるのよね? わたくしたちに伝えるためにこの部屋へ招いたのですもの。いったいどんなお話なのかしら)


 思い当たることのないローレンシアが眉をかすかに寄せたとき。


 ころころと笑ったのは、椅子に座った母のコロネだ。

 

「いやだわ、あなたったら。おかしな態度をとるからロールちゃんが戸惑っているじゃない。ほら、エミィちゃんまで不安そう」


 母の言葉にローレンシアが目をやれば、たしかにエメローナは眉下げて落ち着かない様子。

 

(なんてこと。ただでさえ気を遣って生きているエミィにこれ以上、気苦労をかけたくありませんのに。家の中でまでごたつくなんてごめんですわ!)


 所在なさげにしているエメローナの手をきゅっと握り、ローレンシアは父を促す。

 

「そうですわよ、お父さま。なにをそのように狼狽えておられますの? はやく教えてくださいまし」

「……くだ」


 壁に寄りかかったままつぶやくショークの声はちいさくて、聞き取れない。


「なんですの?」

「……やくだ」

「聞き取れませんわ」


 再度聞き返せば、ショークは目を見開き叫ぶ。


「婚約だ! ローレンシアに婚約の申し込みがあったのだ!」

「こんやく?」


 きょとり、繰り返したローレンシアを直視できなかったのだろう。

 ショークは「あああ、かわいいかわいいうちの娘がよ、よ、嫁に行ってしまうぅぅぅぅう!」と頭を抱えてうずくまる。


 座っていたコロネが「あらあら」と立ち上がり、ショークの手を取った。


「婚約だもの、まだお嫁にはいかないわよ〜」

「ほ、本当か?」

「ええ。婚約期間を経て、それからお嫁さんになるのだもの」


 かわいい笑顔で告げられて、ショークは真っ白に燃え尽きる。


「婚約……嫁……うちの、ロールが、嫁……」


 呆然とするショークをコロナがよしよしと撫で、なぐさめる。

 母はともかく父の様子を見るにまともな説明はもらえそうもない、とローレンシアはティンに向き直った。


「婚約……お相手はどなたですの?」

「トレッドだよ」


 さらりと返された言葉にローレンシアはびっくり。

 ききまちがいかもしれない、ともう一度つずねようとするローレンシアに、ティンは続けて言った。


「トレッド=スウィビスがローレンシア=ブレイドに、婚約の申し入れをしたのさ」

「トレッドさまが……?」


 何を言っているのだろう、と目を見開くローレンシア。


「僕らも、さっき帰宅してから手紙が届いているのを知って驚いたんだ。あまりにも突然のことだからね、ロールとトレッドの間で結婚の申し込みでもあって、ロールが頷いたんだろうかと思っていたんだけれど」


 ティンは妹の様子を見て肩をすくめる。


「その様子だと、ロールのほうでも初耳みたいだね。まったく、トレッドは何を考えてこんなに唐突に手紙を寄越したのやら」

「お兄さま、そのお手紙とはいつごろ届けられたものなのです?」


 まだ信じられないローレンシアがたずねれば、ティンは「ついさっきだよ」と答えた。その手が示した先には、応接間のテーブルに置かれた封筒がある。

 それが問題の手紙なのだろう。


「僕らが屋敷に着くのとほぼ同時だったね。スウィビス家からの使いと屋敷の玄関で鉢合わせたくらいだから」

「ついさっき……」


 本当についさっき届けられたという手紙を見つめて、ローレンシアは瞬きを繰り返す。


(お兄さまとお父さまが差出人を読み間違えている、なんてことはありませんわよね。お母さまいっしょにご覧になっているのですもの。間違いないに決まっているわ。でも、ついさっき届けられたということは、いつ書かれたのかしら。トレッドさま、昼間にお会いした時は婚約のお話なんてひとこともなさらなかったのに……)


 手紙に記された文字を見て、トレッド本人の筆跡がどうかなど判断できなかった。

 ローレンシアとトレッドはまだ出会ってから付き合いが浅い。


 まともに会って言葉を交わしたのは、まだ二回。

 それも今日の昼が二回目である。

 だというのに、トレッドは婚約の申し入れをしてきた。

 それもローレンシアに向けて戯れにささやくのではない。ブレイド家への正式な申し入れとして、手紙を寄越したのだ。


 トレッドが何を考えているのかが、ローレンシアにはわからない。

 そのせいでうれしさよりも驚きが優って、しまっていた。

 

「姉さま、お嫁に行ってしまうの?」


 不安そうなエメローナの声が揺らして、ローレンシアは自分が黙り込んでしまっていたことに気がつく。

 思考に意識が行きすぎていたらしい。


「エミィ……そう、なのかしら。わたくしも突然のことでわからないの。トレッドさまは何をお考えなのかしら……」

「姉さま……」

 

 ローレンシアにもわからない。

 困惑する妹をなぐさめてやる余裕もなく、戸惑いが言葉になる。

 エメローナが姉の様子を心配そうに見つめ、つぶやいたとき。


 ふいに、応接間の扉の外から声が上がった。


「し、失礼致します!」


 うわずったそれは、扉の外で控えていた使用人の声のようだ。


 現在、ブレイド家に新人の使用人はいない。

 エメローナという外部からの者を迎えるにあたって、同時期に侵入者が入り込むのを許さないためだった。


 結果としてエメローナの潔白が判明した今となっては、無用な心配であったのだが。


 とにかく、ブレイド家ではたらく者として、どこに出しても問題のない立派な使用人ばかりのはずである。

 それにも関わらず、明らかに狼狽えているのが声からわかって、部屋の中にいる一同は扉の向こうに意識を集めた。


 コココン。

 余裕のないノックの音。

 ショークが当主らしくきりりとした顔で「どうぞ」と告げれば、忙しなく扉が開かれる。

 姿を見せた使用人は、焦りをにじませた顔でいった。


「スウィビスさまが。トレッド=スウィビスさまがお見えになっております!」

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