第16話 もやもやしますわ
トレッドに見送られて、ローレンシアは馬車に乗り込んだ。
今日はそれぞれの家の馬車で来ていたため、トレッドとはそこでお別れだ。
走り出す前の馬車の窓越しに、トレッドが手を伸ばしてきた。大きな手ら、ローレンシアの顔にかかる髪の毛をひとふさ優しくはらってくれる。
「気をつけて帰ってくれ。食欲があまりないようだから、疲れているのかもしれない。帰ったらゆっくりと身体を休めるように」
「お気遣いありがとうございます。本日はせっかくのお出かけでしたのに、申し訳ありませんわ」
ぼんやりしてしまうローレンシアを心配したトレッドが、今日は早めにお開きにしようと言ったのだ。
ローレンシアとしても自分が相手に失礼なことをしていると感じていたため、彼の言葉にうなずかざるを得なかった。
「謝ることはない。ひと時だが、あなたと過ごせて楽しかった」
「わたくしも楽しい時間でしたわ」
本心からの思いが、彼に伝わったかどうか。
(本当ですのよ、トレッド様。わたくし、本当はもっとあなたと過ごしていたいと思っておりますの)
引き止めて欲しい気持ちもあったけれど、ローレンシアは令嬢としての笑顔のうらに隠してしまう。
「いけないな。このまま話していたくなってしまう。さあ、もう帰るんだ」
トレッドは言って、馬車から離れる。彼の合図で御者が馬を走らせれば、みるみるうちにトレッドの姿は遠ざかっていく。
鮮やかな金の髪が見えなくなるまでずっと、ローレンシアは何度も何度も振り返った。
ひとりきりで馬車に揺られながら、ローレンシアが考えるのはトレッドのこと。
(ああ、今日はせっかくのお出かけだったのに。ついあの日のことを考えてしまってぼうっとして。トレッド様には申し訳ないことをしてしまったわ)
ローレンシアもトレッドとの時間を楽しみにしていたのだ。
せっかくのひと時をよそごとに気をとられて満足に楽しめなかったことが、心残りだった。
加えて、トレッドと次の約束をできずに別れてしまったこともローレンシアの心に引っかかっている。
「今日は疲れているようだから真っすぐ帰って何も考えずに休むと良い、だなんて。もしかしてもう次のお誘いはいただけないかしら。わたくしを気遣ってくれただけなら良いのだけれど……」
果たしてトレッドの気遣いか、それとも一緒にいる相手を放ってぼんやりしていたローレンシアに嫌気がさしたのか。
判断がつかなくて、ローレンシアは気持ちが落ち込んでしまう。
この場にティンがいたならば「トレッドが自分から誰かを誘って出かけただけで、珍事だよ。それが同じ相手と二度も。それも女性相手だなんて。ロールはよっぽど気に入られたんだとうぬぼれて良いと思うよ」と言ったかもしれない。
いや、かわいい妹が友人になびいては面白くないとばかりに、言わずに眺めていたかもしれない。
いずれにしろ、ひとりきりのローレンシアはひとりで悩み、ひとりで思考するほかなかった。
「……トレッド様のことは今は置いておきましょう。まずは自分で片付けられる問題から手をつけるべきだわ」
ローレンシアは悩みもするが、悩むばかりで立ち止まっている女性ではない。
あれこれと思い悩んだ時間を無駄にしないために、トレッドとの次の時間があるならば心置きなく楽しむために、一歩踏み出すことにした。
※※※
家に帰りついたローレンシアを待っていたのは、エメローナだけだった。
馬車の音を聞きつけたのだろう。玄関扉を開けた目の前に、エメローナがにこにこと立っていた。
「お帰りなさい、姉さま!」
「ただいま戻りました。エメローナ」
出迎えの挨拶にローレンシアはきっちり返す。
あいさつはきちんとすべき、というのがブレイド家の教えである。また、ローレンシアとてエメローナ本人を嫌っているわけではないのだ。
(どう向き合えば良いか探っている最中だから、対応しづらくはあるけれど)
貴族としての常識はないものの、人として悪ではない。
ローレンシアは今のところエメローナをそう評価していた。
「お兄さまはお出かけ中かしら」
たずねたのは、兄の所在。
昼過ぎの待ち合わせだったけれど、前回のように時間を忘れて過ごしたわけではない。
まだ日は落ちず、あたりは明るい。
次期当主として忙しくしている兄のティンが家にいるのか否か、ローレンシアは把握していなかった。
「兄さま、朝からお出かけしてまだ帰ってこないの。姉さまもいないから、わたしとっても退屈してたんだから!」
問いに対してエメローナは首を振り、ぷくりと頬を膨れさせる。
愛らしい彼女には似合いのしぐさであるが、十四という年を考えると少々幼すぎる振る舞いだろう。
「まだ帰ってらっしゃらないのね」
指摘するのではなく振る舞いを見せる。
それがローレンシアの選んだ接し方であるけれど、エメローナに伝わるのはいつのことになるだろうか。
「姉さまは今からなにするの? もしかしてわたしと遊んでくれる?」
エメローナはそわそわと落ち着きがない。
まるきり、誰かに遊んでもらいたくてたまらない幼児のよう。
ローレンシアはついため息をつきたくなってしまうけれど。
(使用人に無理をいって遊び相手をつとめさせているわけでもないようだし、振る舞いについては今は不問にいたしますわ)
自由奔放に見えるエメローナだが、相手を選んでいるのはわかっていた。
問題は、そこに彼女のどんな意図が隠されているか、だ。
「よろしくってよ。夕食の前にエメローナと遊んでさしあげるわ」
「本当ですか! わあ、何しましょう!」
うきうき、わくわくを隠しもせず、エメローナがぴょんぴょん跳ねる。
令嬢になったからには行いに気を配りなさい、と言いたいのを我慢してローレンシアはたずねた。
「そうですわね。エメローナに希望はあって?」
エメローナは目をぱちくり。ぱああ、と喜色を顔に広げる。
「わたしが決めていいんですか! 何でも?」
「何でもは無理ですわ」
弾む声にローレンシアは思わずぴしゃり。
しょぼんと眉を下げたエメローナの顔を見て、慌てて付け足す。
「わたくし、お茶をして帰ってきたところですから、もうお茶は結構だわ。今からお茶とお菓子をつまんで、夕食が入らなくなってはいけませんし」
「それもそうですね! お菓子はおいしいけど、食べすぎちゃだめ」
エメローナは納得したらしい。にっこり笑って頷いて、もう一度「むう」と唇をとがらせる。
「じゃあじゃあ、何があるかな。お花を摘んで冠づくり?」
「……庭師の方にたずねれば切り花を用意してくださるでしょうけれど。ティアラなら、お母様の宝石箱にあるのではなかったかしら」
花と冠がローレンシアのなかで結びつかない。
戸惑いながらも自身の知るなかで該当しそうなものを挙げてみる。
「わあ! 本物のティアラを持ってるんですか。母さまお姫さまなの?」
エメローナの反応は予想の斜め上を行く。
「いいえ、結婚式で身につけたものだと伺っているわ。わたくしたちが結婚をする時にも、つけられるかもしれませんわね」
言いながら、ローレンシアがふと思い描いたのはティアラを身につけた自分の姿。
(となりで腕を絡め、笑う殿方は……)
想像が形を結びそうになり、慌ててかぶりをふった。
エメローナは「結婚……」とぼんやり宙を見つめている。
そろって甘い空想をするのも悪くはないのかもしれないが、今はその時ではない。
ローレンシアは咳払いをひとつ。
「わたくし、あなたとゆっくりお話をしてみたいと思っておりますの」
「わあ! おしゃべりですか!」
うれしそうに笑うエメローナに、ローレンシアはきゅうっと目を細めた。
「ええ、あなたのことをもっとよく知りたいの。ですからあなたのお部屋にお邪魔してもよろしくって?」
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