第12話 こんなところに花畑ですの?
石壁の道はどんどん暗くなっていく。
今やすっかりと地の下にいるのだろう。天井付近にあった窓は無くなり、壁のところどころで蝋燭の火が揺れている。
前を進んでいるはずの一行の足跡は聞こえない。
逃げ隠れする場所がないと見て、足音が届かないだけの距離をあけて追っているためだ。
それでもローレンシアとトレッドが迷わず進んでいるのは、暗い通路が一本道だから。
その一本道に、ついに終わりが見えた。
(扉……物音は、聞こえない)
扉に耳を押し当て、ローレンシアは確かめた。同じように扉の向こうの音を探ったトレッドと頷き合い、取っ手を握る。
そうっと開いた隙間から見えた景色に、ローレンシアは言葉を失った。
扉の向こうには、広い空洞があった。
剥き出しの岩壁を見るに、自然にできた場所なのだろう。扉をくぐってやってきたローレンシアたちの頭のうえの天井を起点に、深く、下にえぐれたような形の空間が奥へと続いていた。
けれどローレンシアが声もなく驚いたのは、その空間の広さのせいではない。
窪んだ広場の底に青白い花がいくつもいくつも咲いていたのだ。
一輪一輪が光を放っているようで、明かりもない地下深くのその広場は、淡くはかない光に包まれていた。
そして、その花のひとつひとつのそばには寝かされた人の姿がある。
どの人も眠っているのか、静けさと青白い光だけがその空間を支配していた。
それぞれの人のそばにはひざをつき、両手を合わせて祈る者がいる。
大勢の人が地底に寝かされ、あるいはそれを取り囲むようにしゃがみこんでいた。
それなのに、ひどく静かだ。
ささやきや身じろぐ音のひとつも聞こえない空間は、まるで時が止まったかのよう。
幻想的というにはどこか冷ややかな光景に、ローレンシアは言葉が出ない。
(これは一体……?)
「進もう」
立ち尽くすローレンシアの肩をトレッドがそっと押す。
促されるまま洞窟の壁沿いに進んでいけば、まもなく下り階段が現れた。
かすかなうめき声に目を凝らせば、地の底へ続くような暗い階段の先に、担架を持った一行の姿がある。
「あまり近づいては危険だ。ここから見ていいよう」
耳元でささやくトレッドの声がなければ、ローレンシアはどうしていいかわからなかっただろう。
(近づいてはダメ……だってあの花、禍をこぼしてますわ……)
寝かされた人の頭上に咲く花からは、黒いもやがほろほろとこぼれていた。
「担架を下ろすようだな」
トレッドのささやきにローレンシアがのろのろと視線を移せば、確かに今し方、運ばれたばかりの担架が蕾の花の所へ下されるところだった。
ゆっくりと丁寧に担架が下ろされれば、それを待っていたかのように、花がふわりとほころんだ。
ほろり、こぼれた黒いもやを浴びた途端。
うめき、もがいていた担架の上の人物が、寝入るようにすうっと大人しくなる。
(花の禍に触れて息絶えた!?)
思わず身を乗り出しかけたローレンシアをトレッドが抱き止めた。
肩を抱きしめられていることにも気づかず、ローレンシアは花の下で起きていることを凝視する。
「ああ! 辛そうな声をあげずに寝ているなんて。いつぶりだろう」
寝かされた人の周りに集まったひとりが感極まったように言うのが聞こえて、花が命を奪ったのではないとわかった。
ほっとして肩のこわばりを解いたローレンシアだが、続く教会の者の言葉に眉を寄せる。
「祈ってください。ご家族の安寧を、苦しみが近寄らぬよう祈ってください。祈りが花の力を強くします。祈りを捧げることで花は苦痛をやわらげ、大切な方の命を永らえさせるでしょう」
厳かに告げられ、何度もうなずくのは寝かされたものの家族なのだろう。
いくらでも祈りますと言わんばかりの彼らに、すかさず半歩近寄ったのはカィビ=ルーンその人だった。
ここまで沈黙を保ってきた商人が動いたことで、トレッドとローレンシアに緊張が走る。
聞き逃すまいと、ふたりは息をいっそうひそめた。
「祈りを捧げる際には、どうぞこの宝玉を握っていて下さい」
優しい声で告げるカィビが広げた手のひらの上で、小さな粒白い光を受けてちらちらと光る。
(あれくらいの小ささなら、どんな宝飾品にでも付けられるわ。ちょうど、オージィ男爵のところにあった品々のように……)
嫌な類似に気づいたローレンシアが見つめるなか、宝玉を握り込んだ家族らしき人々が祈りを捧げる。
すると、花からこぼれた黒いもやが寝かされた人の体を通って宝玉へと流れ込んでいく。
(花からこぼれた禍が人の体に入って、宝玉に溜め込まれているの? あれは一体どんな効果があるというの……)
その様子が見えるのはローレンシアだけなのだろう。
洞窟の底では気味悪がるどころか、明るい声があがった。
「ああ、この子のこんなに穏やかな顔がまた見られるなんて」
「息子はもう苦しまなくて良いんですね、なんと感謝を申し上げればいいのか……!」
話す内容と手を取り合って涙を流す姿から、ふたりは夫婦なのだと知れた。
寝ているのは夫婦のもとに生まれた息子なのだろう。
地に伏して感謝を表すふたりに、カィビが懐から袋を取り出す。
からん、と袋の中で何かがたてるかすかな音が、広い洞窟にいやに響く。
「宝玉はあまり多くの苦難を収められないのです。色味が濃くなりましたら取り替えねばなりません」
「いくらでも支払います! どうぞ、ありったけの宝玉をお譲りください」
「お金ならここに。用意できるだけ全部持ってきましたから!」
すがりつく勢いで迫られても、カィビは慌てない。
袋を懐にしまい、代わりに取り出したのは小箱。
「ここに、特別な品がございます」
わずかに箱を開けて見せたのか、息をのむ様子がうかがえた。距離がありすぎて、ローレンシアたちの場所からは箱の中身まではうかがえない。
ただ、もったいぶったカィビの声ばかりが聞こえてくる。
「誰もが耳にしたことのある名品というのは、それだけで大きな力を持つものであります。すなわち、受け止められる苦難もまた大きくなるというもの」
「では、そちらの品を手にして祈れば!」
「長く、それこそ医者の告げた時を超えて苦難から逃れ永らえることも可能かと」
カィビはにこりと笑ったのだろうか。
離れて見つめるローレンシアの目には、商人の顔が歪んだようにしか見えなかった。
その時、やや離れた箇所に寝かされた人の周囲で悲鳴が上がる。
「ああっ、花が!」
目を向ければ、叫んだ人なのだろう。膝立ちになった婦人のすぐそばで、花の光が消えていくところであった。
すう、と息を引き取るかのように光が消えると同時、その花の下で寝かされていた男の身体が瞬く間にしおれていく。
「なんだ、あれは……!」
トレッドが思わず声をあげるのもうなずける。
光の消えた花は枯れ、その下にいた者もまた共に枯れ果てていた。
遠目にも、男の命が絶えていることは明らかであった。
残された婦人が泣きじゃくるなか、教会の人々がやってきて声をかけている。婦人の手からは、ちいさな宝玉のかけらがこぼれてあたりにばらまかれていた。
こぼれた宝玉はどれも禍を宿し、あやしく煌めいている。それを拾う教会の人々は、しっかりと手袋をはめているようだった。
(禍が見えているの? それとも扱いを誰かから教わった? いいえ、そんなことよりもあの花……)
ローレンシアが唇をかみしめているなか。
命絶える光景を目にした、担架で運ばれた人の両親は、飛びつくようにしてカィビの足元にすがりつく。
「ああ! どうかそれを、その品をお譲りください!」
「もちろん。と言いたいところなのですが、特別な品物ですので手に入れるにも少々、苦労いたしまして」
「金で解決するなら、いくらでも出します! ですから、どうか!」
「ええ、ええ。もちろんお渡しいたします。どうか落ち着いてください」
興奮した様子のふたりにカィビは手を焼いているようだ。
担架を運んで来た者も含め、教会の人々は泣き崩れる婦人の相手で忙しいらしい。
「注意がそれているうちに、退散しよう」
トレッドが囁くのに、ローレンシアは言葉もなく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます