第10話 騎士様と鉢合わせてしまいましたわ!

 布越しに触れあった身体が熱くて、雨の冷たさなど吹き飛んだ。

 家族以外の異性と触れ合ったことなど無いローレンシアは混乱のさなか。

 必死で落ち着いて対処しようと、唯一動く口を働かせる。

 

「どうしてわたくしだとわかりましたの? 顔は隠れておりましたのに」


 トレッドと邂逅したのなど、オージィ男爵家でのあの一幕だけ。

 ティンの話ではトレッドが怪盗クロウに気づいたのは、立ち去る寸前。

 

 夜闇にまぎれる怪盗の装束など、ろくに見えなかったであろうに。

 怪盗だと決めつけて壁に押しやるなど、ローレンシアが本当にただの道に迷った婦女であったなら、大変なことだ。


 けれどもトレッドは自信たっぷりに「いいや、間違うはずがない」と首を振った。


「この黒衣に包まれた脚線美は、間違いなく怪盗クロウのものだ」

「あっ、脚?」


 素っ頓狂な声をあげるローレンシアの足に、トレッドの視線が向けられている。


「ああ。細すぎず、柔らかそうな曲線を描いたこの脚。あなたを初めて見たあの夜から、ずっと俺の脳裏に焼き付いているんだ」

「や、やめてくださいまし! 女性の足をじろじろと見るなんて、破廉恥でしてよっ」

「破廉恥というならばそのように脚の形を誇示するような恰好をしているあなたこそが、破廉恥なのではないか」

「なっ!」


 ローレンシアは絶句した。

 怪盗の衣装はブレイド家が代々所持している鴉の面によるもの。

 利便性を優先して採用しているだけであって、ローレンシア自身がその外観にどれほど文句を言おうとも、変えられないものなのだ。

 淑女らしくありたいローレンシアとは相容れない様相なのだ。


(それを、わたくしが好んで身に着けているようにおっしゃるなんて、あんまりだわ……!)


 それも、好ましく思っている異性に、意地悪く指摘されるだなんて。


「うっ、ううぅー!」


 悔しさと恥ずかしさとでぐちゃぐちゃになったローレンシアは、涙がこみあげてきてしまった。

 泣くものか、と唇をかみしめてこらえふけれど、涙はぽろぽろとこぼれて止まらない。


 鴉の面の下の頬をこぼれて落ちる透明な雫に気づいたのだろう。トレッドが慌ててローレンシアの顔をのぞきこんでくる。


「な、泣いているのか? すまない、しかしそれほどにあなたの脚はうつくしくてだな!」

「も、もう言わないでくださいましぃ!」

「すまない!」


 ぐすぐすと泣きながら怒るローレンシアをトレッドがおろおろとなぐさめる。

 そうしているうちに、ガラガラと車輪の音が聞こえてきた。


 ふたりはそろって、ハッと顔をあげる。


「このまま、口論をするふりで」

「仕方ありませんわねっ」


 トレッドがささやきローレンシアは短く返す。

 騎士の服を脱いだトレッドが真っ白なそれを裏返して羽織る。裏地は濃い藍色で、一気にその姿が闇に馴染む。

 ローレンシアもまた首元に落ちた布を頭にかぶってクロウの面を隠した。


 そうしてふたり向き合えば、あっという間に言い争う男女の出来上がりである。

 その頃には車輪の音はずいぶんと近づいていた。


 教会裏手の通りに曲がって入ってくる馬の姿を横目に見て、トレッドがローレンシアの両肩をつかむ。


「まったく! 毎夜毎夜、出歩いて。俺のことはほったらかしか!」


 ローレンシアはどきりとした。

 男女が言い争っているふりをしているのだとわかってはいたけれど、ローレンシアにはトレッド自身に返事をしていないことを責められているようで。


「だ、だって私だって色々と忙しいのよ。あなたのことを忘れたわけじゃないの。でも、あれこれと忙しくて時間がなくて」


 半ば本音で答えたころに、馬車がトレッドの背後へと迫る。

 通り過ぎざま、馬車の窓の向こうがちらり見えた。

 

「だが俺は待っていた。あなたからの便りが来るのを今か今かと待っていたというのに! あなたは本当にひどいひとだ」

「わ、私ばかりを責めるなんて。だったら強引に連れて行ってくれれば良かったのよ。私だって、待っていたのに」


 言い争いを続けるふたりをよそに、馬車は遠ざかっていく。

 がらがらと速度を落とした馬車は、やや離れたところで止まる。門番と一言二言、やりとりをすると教会の塀の内側へと消えていった。


 再び、塀が閉ざされるのを確認してからトレッドがローレンシアから身体を離す。


「確かに、カィビ=ルーンが乗っていましたわ」

「見えたのか!」

「ええ。ちらりとですけれど」


 ローレンシアは対象の人相を覚えるため、商会に出入りするところを兄のティンと確認していた。一瞬だが、あの狐のように吊り上がった目の細面は間違いない。


「そうか……しかし、あなたの狙いもあの男なのだな」

「ということは、騎士様も?」


 互いに横目で見つめ合う。


「目的はなんだ?」

「そうですわね。騎士様の前ですから、あの男と教会とがやり取りする物が何なのか、見届けること、とお答えいたしましょう。騎士様は?」


 演技をはさんだことでローレンシアはすこし落ち着きを取り戻していた。

 胸中で「わたくしは怪盗クロウ、わたくしは怪盗クロウ」と唱えているあたり、あまり落ち着けてはいなかったが。


「そうだな……俺は、職務で」

「あら。その割には他の騎士様のお姿がありませんけれど?」


 トレッドがむ、と口ごもる。


「……少々、日時を早めただけだ」

「それは職務違反というのではなくって?」


 本来、トレッドたち騎士が教会に立ち入るのは三日後の予定だった。

 騎士団はオージィ男爵が盗まれた品を売りつけたのがカィビ=ルーンだと突き止めた。

そしてルーン商会が頻繁に出入りするこの教会に目をつけた。


 そして騎士団が教会に調査へ入るための書類を作成していることをブレイド家は独自の伝でつかんだのだ。

 その情報があったからこそ、ローレンシアは連日の暗躍に続けて今夜、怪盗をしに来たのだ。騎士に先を越されては遅いからと。


「何が騎士様を駆り立てたのかしら。お仕事の決まりを破るだなんて、よっぽどでしょう」

「べつに……」


 トレッドが決まり悪げにそっぽを向く。


(あら、すねてしまわれたのかしら。ちょっとかわいい、なんて思っては失礼かしら)


 そのしぐさが子どもじみていて、楽しくなったローレンシアはくすりと笑った。


「ずいぶんと誤魔化すのが苦手なご様子ね。さっきの言い争うふりはずいぶんとお上手でしたのに」


 からかうつもりで言えば、トレッドが「あれは」となぜか顔を赤らめる。


「あれは、その。付き合いのある女性に向けた個人的な感情というか。いや、まだ付き合うとかそういった段階にはないのだが、まあ私情がまじったというかだな」


 もごもごと言い募る、その言葉にローレンシアまで赤くなった。


(個人的な感情? それってもしかして、わたくしのことではないの? まだ付き合っていない、ということはトレッド様はわたくしとお付き合いをしたいと思っておられるのかしら。わたくしから手紙の返事が届かないことをもどかしく思ってくださっているということなの?)


 どきどきそわそわ。

 落ち着かないローレンシアだが、まさか本人に「その女性の名前は?」とたずねるわけにもいかない。


 怪盗クロウが行き合っただけの騎士の個人的なことなど、気にするはずがないのだから。


(そうよ、わたくしは怪盗クロウ。怪盗クロウなの。落ち着きなさい。トレッド様の胸中はローレンシアのときにうかがいましょう)


 わたくしは解凍クロウ、ともうひとつ唱えて、ローレンシアは余裕のあるように微笑んで見せた。


「まあいいわ。それでは教会に向かいましょう。あしでまといになるようでしたら、置いていきますわよ?」

「ああ。いざという時には俺は騎士の身分で言い逃れができる。だが、怪盗クロウ。あなたも悪事を働くようであれば俺の捕縛対象であると覚えておくように」


 トレッドが騎士の顔をして言う。


(きりりとしたお姿もとてもかっこいいですわ)


 面に隠れて頬を赤く染めているローレンシアは、誤魔化すようにトレッドに背を向けた。


「怖いこと。では遠慮なく、参りますわ!」


 地を蹴れば黒衣の背中がふわりと広がり、ローレンシアの身体を宙へと誘う。飛べる身には塀などあってないようなもの。

 

「やはり美しいな、あなたは」


 夜闇に溶けそうな怪盗クロウの姿を見上げてつぶやくと、トレッドは腰の剣を塀に立てかけた。剣の鍔を踏み台に、軽々と塀を乗り越える。

 柄に結んだ飾り紐を引けば、通りにはふたりぶんの足跡と轍が残るだけ。

 それもしとしとと降り続く雨が消すだろう。


 暗い色の服をまとったふたりの姿は闇に溶けて、すぐに見えなくなった。


 静かな夜がふけていく。

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