第6話 甘いひとときですわ

 ふたつ用意されていたお品書きをひとつだけ、テーブルの上に広げて置く。

 それぞれで持って選ぶほうが賢いし、見やすいのだろうけど。トレッドはそうしたかったのだ。


「何を頼む?」

「ううん、どうしましょう。このお部屋に案内されたからにはパンケーキは外せないのですけれど、そうするとお腹が膨れてしまいますものね。森の木の実パフェは無理かしら。いやだわ、はちくまサイダーがあるのね! 飲み物まで絵本を題材にしているなんて。知っていたら朝食を食べずに来ましたのに……」


 広げられたお品書きをふたりで覗き込み、ローレンシアはあれもこれもと目移りをする。

 一生懸命に選ぶ姿があまりにかわいらしくて、トレッドは胸がいっぱいになってしまいそうだった。

 とはいえ、トレッドは十八の健康な男。それも身体を動かす騎士だ。実際には、ローレンシアが悩んでいる品をすべて食べても、まだまだ余裕だという自信があった。


 だからいっしょになって覗き込んでいた身体を起こし、神妙な顔を作る。


「ロール嬢。俺の秘密をひとつ教えよう。実はな、けっこうな甘党なんだ」

「え」


 声をひそめてささやけば、ローレンシアは目をぱちくり。


「ははっ、こまどりみたいな顔だな」

「まあっ」

「ああ、怒らないでくれ」


 かわいいと思って、つい。

 そう言おうとした自分に気がついて、トレッドは驚き口をつぐんだ。

 

(彼女を前にすると俺の口は軽薄になるのか)


 気づいた事実は、案外とすんなり彼の胸に落ちた。


 はじめは、やらかく微笑む彼女の笑顔に目を奪われた。

 できたばかりの義妹を叱るしっかりしたご令嬢かと思えば、トレッドの手が大きいと無邪気に振る舞う。その落差が面白かった。

 きりりとした品のある振る舞いとは裏腹に、絵本に出てくるお菓子が好きだというのもかわいらしい。

 何より、トレッドが同じように絵本の菓子に惹かれると知って、喜んでくれた姿がうれしかった。


(そうか、俺はローレンシアが好きなのだな)


 納得してしまえば、まっすぐな彼のこと。

 誤魔化しのない愛おしさを込めてローレンシアに視線を向ける。


「好きなだけ頼んでくれて構わない。君が食べきれない分は俺が引き受けよう。もちろん、君が気にしないのであればだが」

「まあ……なんて頼もしいのかしら、トレッド様!」


 対するローレンシアは、注文を決められないという悩みが吹き飛んできらきらの笑顔。

 夢にまで見た甘味のことで頭がいっぱいで、トレッドの視線にこもる甘さには気づかない。


 店員を呼び、ローレンシアがあれもこれもと目を輝かせて注文をする。その姿をトレッドは堪能し、運ばれてくるのを待つ間。


「そういえば、先ほどのエメローナ嬢といったか。ブレイド家が養子を取るのは珍しいのではないか?」


 空いた時間に話題になったのは、互いに面識のある相手のこと。


「ええ。我が家の歴史はじまって以来のこと、と父は申しておりましたわ」

「ブレイド家がはじまってからというと、この国の教会ができたときと同義だろう? それはまた、ずいぶんと長い歴史だな……」


 トレッドがうめくように口にしたとおり。

 ブレイド家の歴史は、建国史の冒頭からはじまる。


「光と闇があった。生まれた神もまた表と裏があった。慈しむ神を崇め祀る人々が集まり国ができた。一方で人々を惑わす神が光のなかにまぎれぬよう、神に選ばれた人がいた」

「それが爵位も王位も持たぬ代わりに、神意を託されたブレイド家である、ですわね」


 トレッドのそらんじた建国史のはじまりをローレンシアが引き継いだ。


「よく覚えておられますわね。歴史がお好きなのでしょうか」

「いいや、騎士見習いの朝礼で毎朝となえるんだ。騎士団は民の暮らしを守るための組織だからな。教会が道を踏み外さぬよう目を光らせるブレイド家とは、良い関係を築かねばと教えられるんだ」

「まあ、そうでしたの」


 ブレイド家の一員であるローレンシアは、自身の家に関わる初耳な話しに目を丸くする。


「つまり、ティンと友でありロール嬢とも親しくなろうとしている俺は、騎士の鏡というわけだ」

「あら、今日限りではなくて?」

「君が許してくれるなら、また次の甘味処にもご一緒させてもらいたい。俺の兄弟はみな甘いものを好まなくてね。むしろ誘ってもらえたら、堂々と楽しめて助かるんだ」

「うれしいですわ」


 トレッドがちゃっかりと次につながるよう話を持っていったとき。

 扉のない入り口とは別の扉がコンコンコン、と軽やかに鳴らされる。


「どうぞ」


 トレッドが応えれば、扉が開いて台車を押した給仕が入ってくる。

 小人の、と銘打つだけあってちいさな扉だ。

 身を守る屈めてくぐった給仕係が起き上がると、ローレンシアは両手を合わせて目を輝かせる。


「まあ! まあ! 小人のお召物!」

「はい。食いしん坊の赤色小人です」


 絵本の小人になりきって、給仕係がカップと皿をテーブルの上へ。


「おいしいおいしいケーキになあれ」


 唱えながらふかふかのパンケーキにかけるのは、金色のはちみつとやわらかな白色をしたクリーム。

 とろりとろとろ、狐色のパンケーキが宝石のようにきらめいて。

 それを見つめるローレンシアの瞳もきらきら輝く。


「甘くてうっとり、ミルクティー」


 ローレンシアのカップに注がれたミルクが、紅茶のなかで花のように広がる。


「ちょっぴり大人のカフェオーレ」


 トレッドのコーヒーにはミルクポットをぐるぐる回して、うずまき模様。


「素敵なあまーいお城のうえに、きらきら魔法をかけましょう」


 細長いガラスの器に盛られたパフェに、輝くアラザンがちりばめられた。


「小人のおまじない、できあがり!」


 にっこり笑ってお辞儀をひとつ。

 小人に扮した給仕係は小さな扉に消えていった。


「温かいうちに」

「溶けないうちに」


 同時に言いかけて、ローレンシアとトレッドは顔を見合わせて笑う。


「恵みに感謝を」


 トレッドが胸の前で手を組む。それは食前の神への祈り。


「いただきます」


 ローレンシアは胸の前で手のひらを合わせる。これが彼女にとっての食前の祈り。


「東国の作法だったか」

「ええ。兄がお話ししましたかしら? 我が家はすこし変わった立ち位置にいますでしょう。ですから神に祈るのではなく、糧となった食物や調理してくれた者への感謝を込めて祈る東国に習ったのですわ」

「食物や調理人への感謝、か」


 トレッドがティンから聞いて覚えていたのは、東国の作法だという話だけ。

 その祈りの意味を改めて知った。トレッドには新鮮で、好ましくうつる。


「いただきます、で合っているか?」


 ぱちりと手のひらを合わせ、見よう見まねでトレッドが首をかしげる。


「ええ、間違いありませんわ」


 大柄な青年が子どものように真似る姿に、ローレンシアはくすりと笑いながら頷く。


「そうか、良いあいさつだな。俺も日常的に使いたいものだ」

「えっ」


 ほっこり笑っていたローレンシアは、トレッドの何気ないつぶやきに驚き、赤面した。


 手のひらを合わせ「いただきます」と食材や調理人に感謝を告げるのは、国内ではブレイド家くらいのもの。

 そのあいさつを日常的に使いたいということは、ブレイド家の一員になりたいと言っていると、ローレンシアは受け取ったのだ。


(これは、遠回しな婚約の申し込み? いいえ、そんな。本日お会いしてから今までの間に、わたくしと婚約する旨みなど見出せないはず……騎士とブレイド家の架け橋になりたいということ? そうなの? そういうことなの?)


 ぐるぐる考えてぽわわわわと頬を染める。

 ローレンシアの様子に、トレッドは首をかしげる。

 単純に、良いと思ったから取り入れたいと発言したつもりなのだ。


「ロール嬢、どちらも半分ずつに分ければ良いだろうか?」

「えっ、ええ! そうですわね」

「気の利いた店だな、言わずとも取り分け用の皿が添えられているとは」

「そうですわね」


 答えながら、ローレンシアはついついトレッドを見つめてしまう。

 どの線で切り分けるべきか、見定める横顔がかっこいい。

 

(まったく気にするそぶりが無いわ……からかわれたのかしら)


 パンケーキを切り分け、次はパフェ。

 菓子と向き合う彼は、真剣そのもの。

 かっこいい横顔のはずなのに、どうしてかローレンシアの胸はちくりと痛む。


(この痛みはなにかしら)


 なぜ痛むのか。何が原因なのか。

 考えるよりも先に、トレッドが顔を上げた。


「ロール嬢、さあ食べよう」

「ええ、いただきましょう」


(今は考えないでおきましょう。だって、念願のお店に来ているのだもの)


 ローレンシアはトレッドから皿を受け取り、微笑んだ。

 美しい笑顔の作り方を身につけておいて良かった、と胸を撫でおろしながら。

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