第5話 予定変更、楽しみますわ!

 急な予定変更に、ローレンシアは慌てて耳に着けたイヤリングを撫でた。


(ちょっとお兄様、どういうおつもりですの! 品の確認ならわたくしもいっしょにしますわ)


 心の中で念じれば、もう一方のイヤリングを身に着けたティンに伝わる。

 念のためと用意してきた禍付きの品が役立った。


(ローレンシアにはティンを引き付けておいてほしいんだ)

(お兄様のご友人を?)

(ああ、ティンは真面目な男だからね。自分も残って一緒に男爵の持ち物を確認する、なんて言い出しかねない。もし騎士団で保管する、なんてことになったら回収の手間がうんと上がってしまうよ)

(それは、そうですけれど……)


 兄の言わんとするところもわかる。ローレンシアが言葉を鈍らせた隙に、ティンはトレッドに向けて続ける。


「もう仕事は終わるんだろう? 僕は今日ローレンシアとお茶をする約束をしていてね。店ももう予約してあるんだ。だけどエメローナが男爵のところに残りたいというなら、兄として叶えてあげたくってね」

「え~、騎士様が姉様とお出かけするなら、わたしもそっちが」

「エメローナ、遠慮しなくて良いんだよ。君も義理とはいえ僕の妹だもの。今日は君を優先するよ」


 エメローナが意見を翻そうとするのをティンは颯爽と阻止する。美しい義兄に微笑みかけられて、エメローナは満更でもないのだろう。頬を染めて言葉を呑んだ。

 けれど、ローレンシアは義妹の存在が気がかりだった。


(お兄様、エメローナがいては動きづらいのではなくて? わたくし、トレッド様とエメローナの三人で出かけた方が良いのではないかしら)

(いやいや、ちょうど良い機会だからね。エメローナがどんな目的で教会から我が家に送り込まれてきたのか、突いてみようと思うんだ)

(……くれぐれも無理はしないでくださいましね。所在さえわかっていれば、怪盗クロウが華麗に頂戴するのですから)

(ありがとう、ローレンシア)


 兄妹がこそりとやりとりをしていると、トレッドはようやく急なお願いを理解できたらしい。


「俺が、ローレンシア嬢とふたりで出かけても、その……良いのか?」


 そわそわ、ちらり。

 視線をうろつかせローレンシアを控えめに視界に映す。

 トレッドのしぐさに、ティンは「おや?」と勘づいた。


「わたくしは構いません。その、スウィビス様がお嫌でなければ、ですけれど」


 ローレンシアは素直にトレッドへの迷惑を考えて、遠慮がちに彼の返事を伺う。

 意識的でない上目遣いを向けられたトレッドの耳が、じわじわと赤くなるのが隣に座るティンには見えていた。


「嫌なものか! 武骨な騎士だが、俺などで良ければあなたのお供をさせてほしい」

「まあ、頼もしい。でしたら、よろしくお願いいたしますね、スウィビス様」

「トレッドと呼んでくれないか」


 すかさず名前呼びをねだる友人の姿に、ティンは驚く。

 トレッド=スウィビスといえば、いつだって真面目な男だった。

 貴族の子が集まる会ではいつも一番に到着し、開始を待っていた。もちろん会の間も無闇と騒ぐことはなく、終了の時刻になれば颯爽と去っていく。


 年が上がってきて悪さを覚えるころ。

 誰かのいたずらで叱られたときには、決して逃げずに正直に状況を述べて「止められなくてごめんなさい」頭を下げていた。

 ティンはといえば、いつも転んで逃げ遅れ大人に見つかる。


 ティンと逃げない彼とは、大人の前に並ぶことが多くあり、いつの間にか一番の友になったのだ。

 何が縁となるか、わからないものである。


 その場しのぎに逃げることを良しとしない彼は、色恋沙汰についても「今はまだ若輩者ゆえ考えられない」と数々の令嬢を袖にしてきた。


 見目が良く、騎士団の上位に入るものをたびたび輩出する家柄。

 縁続きになりたいと送られる手紙にはこの年になるまで見向きもしなかった。今はまだ、自分を鍛えるので手一杯だと宣って。


 そんな彼が、熱のこもった視線をローレンシアに向けているではないか。

 驚くと同時、友人の見る目の高さにティンは誇らしくなる。

 

 ローレンシアは兄のひいき目を抜きにしても、良い令嬢だ。

 十六になったばかりとは思えない気遣いで、ブレイド家の一員としてがんばっている。

 もしかしたら、ローレンシアよりふたつ年下の急に現れた義妹があまりに幼い言動を繰り返すせいなのかもしれないけれど。


「トレッド、頼んだよ。ローレンシア、幸せにね」

「お兄様、何を言っていますの?」

 

 ハンカチを取り出し見送るティンは、やはり兄のひいき目がたっぷりなのかもしれない。

 ローレンシアは怪訝そうにしながらも、トレッドの差し出した手を取り立ち上がった。


 ※※※


 目的の店の場所までは、ブレイド家の馬車で移動した。

 御者は前もってティンから予定を聞いていたらしい。ローレンシアとトレッドを店の前で下ろすと去っていく。

 店のそばの馬車留めで待っているそうだ。


「ローレンシア嬢、行こうか」

「長いからロールで構いませんわ」

「そうか? ロ、ロール嬢」


 トレッドはそわそわとしながらも嬉々として愛称を口にする。

 そして、手のひらを上にして左手を差し出した。


「?」


 目の前に差し出された手のひらをしげしげと見下ろすローレンシア。


「その、エスコートをだな」

「まあ。ありがとうございます」


 照れを含んだトレッドの申し出に、ローレンシアは素直に手を預ける。


 これから向かうのは庶民の店だ。

 貴族らしく振る舞う必要もないだろうと、ローレンシアは自分で歩いていくつもりだった。

 馬車からおりるときも、混み合う道端で長居はできないからとひとりで降りたくらいだ。


(これはトレッド様のやさしさだもの)


 差し出された手を取っても良いだろう。ほんのすこし歩けば、離すことになるけれど。

 店の入り口は並んで通ることはできなさそうだけれど、せめてその手前まで。


 そう思って手を乗せて、ローレンシアは驚いた。


「トレッド様の手、とても大きいのですね。それにすごくかたい。騎士様の手とは皆様、こうなのかしら。お兄様とはずいぶん違うわ」


 ぺたぺた、ぎゅっぎゅっ。

 広げた自身の手のひらを合わせてみたり、手のひらや指にできたたこを押してみたり。

 はじめて目にする戦う者の手に、ローレンシアは感心しきり。

 

 無邪気に声を弾ませる様に、トレッドは天を仰ぎ空いた右手で目元を覆った。

 その間も、ローレンシアは指の太さを比べてみたり、手のひらの厚さに驚いてみたりと忙しい。


「……ロール嬢」

「はい?」

「その、すこし、恥ずかしいのだが」

「あっ」


 ためらいがちに言われて、ローレンシアは慌てて手を離した。

 客観的に自分の姿をとらえた彼女の顔は一瞬で真っ赤っか。  


「いやだわ、わたくしったら。ごめんなさい!」


 熟れた頬を両手で抑えて謝るその姿に、トレッドはいっそ穏やかな気持ちになった。

 

(かわいいなあ)


 このままいつまででも眺めていられる自信がある。

 けれど、行き交う人々にローレンシアの赤面を見せるのはもったいない。

 

 トレッドは恥じらうローレンシアの手を取って歩き出す。


「かまわないが、続きは席についてからにしよう」

「はい……」

 

 しおしおと項垂れたローレンシアは、トレッドに手を引かれるまま店の中へ。

 店員にティンの名を告げ、案内された個室がローレンシアの心を弾ませる。


「まあ! 『パンケーキ小人』のお家だわ!」


 思わず口にしたのは、ローレンシアが幼いころから愛読している絵本の題名。

 それほどに、絵本の中の小人の家と店の個室の内装がそっくりだったのだ。


「ああ、個室の方は部屋ごとに内装が違うのか。ほかの個室の入り口にも見覚えのある題名が書かれていたな」

「まあ! わたくし、見逃してしまいましたわ」


 くるりくるりと部屋の中を見てまわっていたローレンシアは、しょんぼり。

 恥ずかしさにうつむいたまま、手を引かれてここまでたどり着いてしまった。

 絵本を題材にした店だということは知っていたのだ。顔を上げていればほかにどんな部屋があったのか、見られたのに。


 トレッドは部屋の外に意識をやるローレンシアのために椅子を引いて、座らせる。

 向かい合うように自身も腰掛けて、にこりと笑った。


「俺が見たもので良ければ教えよう。これでも菓子の出てくる絵本には、詳しいんだ」

「まあ……! わたくしもです」


 ローレンシアは、絵本に出てくるおいしそうなお菓子を見るのが大好きなのだ。

 だから、絵本を題材にしたこのお店にはずっとずっと来てみたくて。


「憧れのお店に、トレッド様と来られてとってもうれしいです! お好きな本について聞かせてくださいませ」

「ああ、もちろん。ロール嬢のおすすめも聞かせてくれよ。その前に、注文をしてしまおうか」

「そうだわ、うれしくって忘れてしまうところでした」

 

 うっかりしていたローレンシアに、トレッドが楽しげに笑う。

 予定外に初対面の異性と出かけることになったふたりだったが、言葉を交わすたびに互いの距離は縮まる一方。


 ローレンシアはわくわくで胸がはちきれそうだった。

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