第3話 用事を済ませて楽しいお出かけ、とはいかないようですわ

 騎士団からの連絡で、聴取が行われるのはそれから七日後に決まった。

 場所は盗難の現場、オージィ男爵の屋敷。馬車で送り迎えするとのことであった。


 その日は瞬く間にやってくる。

 このところ、ローレンシアは怪盗としての活動が忙しい。

 何でもないお出かけをするのなんて久しぶり。ドレスは気に入りのものを選び、長い銀髪を丁寧にすいた。

「華やかに結い上げてちょうだい」と頼む声もどこかはずんでいたのだろう。使用人は丁寧に髪を結い、美しく飾り付けた。

 その支度っぷりはいつになく念入りだ。


 なぜって、用事が済んだあとにお楽しみが待っているから。

 気になっていた甘味処に連れて行ってくれるという約束を兄に取り付けたからだ。

 支度が終わった彼女の足取りは軽い。令嬢らしくしとやかに、けれどほんのすこしだけはずみながら兄の元へと向かっていた。


 ※※※


 一台の馬車が、花の咲き誇るゲートを抜けて男爵家の庭に入る。美しく刻まれた紋章はブレイド家のもの。


 昼間に見るオージィ家の敷地はいっそう豪華だった。建物ばかりでなく、庭までもが広く、華やかだ。

 敷地のぐるりを囲む生垣には大輪の薔薇が咲き誇り、庭のいたるところで種々様々な花が咲き乱れている。

 植物に詳しいものが見たならば、その種類の豊富さに目を丸くしたことだろう。


 窓の外に顔を向けたローレンシアも当然、夜には見えなかったその景色にさぞや心を弾ませている、と思いきや。

 眉間には深いしわ。赤い紅をひいた唇はへの字。ふわりと広がるドレスの袖は腕組みしてぺっちゃんこ。

 絵に描いたような不機嫌を全身で表すローレンシアが、ティンの向かい側に座っていた。

 それというのも、ティンにべったりくっつき座るふたつ年下の少女のせい。


「兄様、姉様、着きましたよ!」


 馬車の扉が開かれるなり、少女はぴょんと飛び降りた。おてんばな動作に合わせ、ゆるく編まれた金の髪がふわりと揺れ花柄のスカートがひらりと舞う。

 天真爛漫を絵に描いたような可憐な美少女だ。


 その姿にティンは苦笑を浮かべる。けれど苦言はそっと飲み込んで、御者が踏み台を出すのを待って馬車を降りる。

 あとに続いたのはローレンシアだ。

 兄の差し伸べた手を取り踏み台に足を下ろすその姿は、少女に手本を見せるかのよう。

 そのとき、屋敷のなかからやってくる人がいた。


「ティン! 悪いな。足を運んでもらって」


 早足に近づいてきたのはトレッドだ。

 たてがみのごとき色濃い金髪がきらりとなびく。

 純白の騎士服をまとった彼は勇壮で、誰もが見惚れため息をこぼすほど。


 それはティンの隣に乗ってやってきた少女も例外ではなかった。


「はわぁ……とってもかっこいい方っ。はじめまして、わたしエメローナです。エミィって呼んでくださいね!」


 言うがはやいか、彼女はトレッドの胸にぶつかりそうな勢いで身を乗り出す。

 にこにこ笑顔でぐいぐい迫るエメローナ。その距離感は紳士淑女のそれではない。


 ティンたちのおでかけをどこで察知したのか、彼女は呼ばれてもいないのに馬車に飛び乗った。そんな彼女こそが、ローレンシアを不機嫌にさせている元凶であった。


 慌てて立ち止まったトレッドと、身を乗り出したエメローナ。

 ふたりの距離はひどく近く、今にも互いの身体が触れてしまいそう。

 トレッドは戸惑いを隠せないようで、じりじりと後退りながら、友人に視線で助けを求めた。


「てぃ、ティン。こちらのご令嬢は?」

「ああ、うん。まだ話していなかったかな。この子はエメローナ=ブレイドと言って」

「エメローナ、下がりなさい」


 紹介する声をさえぎったのは、ローレンシアの静かながらも厳しい声。

 名を呼ばれたエメローナは眉を下げ、おびえて見せる。

 

「ご、ごめんなさい姉様。私、こんなすてきな騎士様にお会いするのはじめてで」

「言い訳は結構。わたくしは下がりなさい、と言ったのよ」

「に、兄様ぁ」


 ローレンシアがぴしゃりとたしなめるたび、エメローナはびくびくおびえる。

 目を潤ませたエメローナがすがりつくのに苦笑しつつ、ティンがトレッドに向き直る。


「ええと、こちらは僕の妹のローレンシア」

「はじめまして、ローレンシア=ブレイドと申します」

「ああ。トレッド=スウィビスだ。兄君とは仲良くさせてもらっている」


 ローレンシアは口元だけで笑みをつくり、返事の代わりとした。

 裏で怪盗をしている身としては、騎士と仲良くなどしたくはない。

 記憶に残らないよう、当り障りのない令嬢だと思われますように、と笑顔に隠して祈っておく。


「そしてこちらはさっきも言ったけど、エメローナ。先月、我が家にやってきた義妹だよ」

「エミィって呼んでください。十四歳です! 教会で暮らしていた私をブレイドの父様がぜひ、って養子にしてくださったんです!」


 待ちわびたようにエメローナが話し出す。


「本当は生涯、教会で祈りをささげているはずだったんですけど、聖女ならちゃんとしたお家の子になるべきだって司教さまが言うものだから」

「聖女?」


 耳慣れない単語にトレッドが聞き返せば、エメローナは待ってましたとばかりに身を乗り出す。


「ほら、見てください!」


 言って、エメローナは勢いよくドレスの胸元を広げた。

 その突拍子もない行動にぎょっとしたのは、迫られたトレッドだけではない。

 予想外の行動にティンとローレンシアが固まっている間にも、エメローナは前かがみになってますます肌を見せつける。

 そして彼女の口がくるくると回りだした。


「ほらここ。鎖骨のちょっと下あたりにあざがあるでしょう? これが神様のお印に似てるからって、聖女だなんて呼ばれてるんです」


 何の力もないのに、恥ずかしい。とエメローナは頬を染めた。

 だが、ローレンシアにしてみれば異性に肌を晒しに行くその行為こそ恥ずかしい。

 トレッドの顔にも戸惑いの色が濃く、彼は今度こそ大きく後退りした。


「妹たちの紹介はまた今度ゆっくりするとして」


 にっこり笑ったティンが、エメローナの肩に手を置きそっと下がらせる。


「今日は先日の騒ぎの件で呼び出されたのだったよね?」

「ああ! そう、そうなんだ。お前は俺と一緒に居たから免除されても良いと思ったんだが、他の方々の手前そうもいかなくてな」


 これ幸い、ともたらされた話題に乗ったトレッドだが、すぐに申し訳なさそうに眉を下げる。


「正直なところ、あのブローチを盗んだ怪盗について何ひとつ手掛かりが見つけられていない。情けないがあの時その場にいたすべての者の目だけが頼りだからと、圧力がかかっていてな」

「僕は妹の外出のついでに来たから、構わないよ。ところでオージィ男爵はこの件についてどのような解決を求めておられるのかな?」


 ティンの問いにトレッドが答えようとした時。

 屋敷の扉からひょっこりと現れたのは丸い顔。


 ふっくらほっぺに丸い鼻。人の良さそうなつぶらな瞳のうえには豊かな眉毛。

 けれどその額から頭頂部にかけて髪の毛はなく、両耳の上の高さの白髪だけがふっかりふさふさと生えている。

 その髪型に覚えはなかったが、その顔に見覚えのあったティンは、戸惑いながらも相手の名を呼ぶ。


「オージィ男爵、ですか?」

「ブレイド家の若様! ようこそおいでくださいました」


 呼ばれた中年の男がにこにこしながらやってきた。


「男爵、夜会以来ですね。お変わりないようで安心しました」

「はっはっは! ブレイド家の若様は気遣いに長けてらっしゃる。ですが、気になさらないでください。わしの頭はずいぶん前から禿げていますから。むしろ、似合いもしないかつらをかぶっていたことを笑ってやってください」


 オージィ男爵が禿頭をぺちんと叩き、良い音を響かせた。笑う彼は憑き物が落ちたように朗らかな表情を見せていた。。

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