第2話 怪盗だなんて、不本意ですわ!

 ろうそくの薄明かりのなか、ローレンシアは自身の胸元に手を伸ばす。

 触れたのは、ぴたりと身体を覆う黒衣の留め具。鳥の脚にも似たそれを外すと、はらりと解けた衣はみるみるうちに小さくなっていく。

 瞬く間に縮んだ布はローレンシアの手のひらの上、黒い羽根の飾りへと形を変えていた。

 怪盗の装束を脱いだ彼女が身につけているのは、色の濃いドレス。


「ふう、やはりドレスのほうが落ち着きますわ」


 吊りぎみの目をやや和らげて、ローレンシアタはほっとひと息。

 その手の中には、本物の羽根以上に本物らしい作り物の羽根と、鴉の面。

 少々奇妙な品ではあるが、ふたつを手にしたローレンシアは至ってふつうの令嬢だ。

 しかし、手に持つ物は瞬きの間にかき消えた。代わりに白い手袋をはめた彼女の手に乗っていたのは、男爵から盗んだばかりのブローチ。


「ロールは本当に器用だね。さすがは怪盗令嬢だ」


 まるで手品師のような見事な手腕。見慣れているティンでさえも、惚れ惚れと眺めてしまう。


 一方で、巷で呼ばれる通り名で褒められたローレンシアは、不機嫌顔。内心を隠す気もないのだろう、すがめた目で兄を見る。


「わたくしは好きで盗みを働いているわけではありません。それに、お兄さまと比べれば誰だって器用ですわ。そんなことよりも、見てくださいな」


 微笑む兄に無情なひと言。

 肩をすくめて、ローレンシアはつまんだブローチを差し出した。

 受け取るティンは慌ててポケットをさぐる。

 目当ては黒のハーフグローブ。

 取り出す際にひとつを取り落とし、拾うために屈んでもうひとつを落とす。

 二度、三度と指を入れ損ないつつもどうにかはめて、ブローチを丁寧に受け止めた。


 ろうそくの明かりがゆらりと揺れる。それを受けてブローチがきらりと光る。


 手のひら大の土台に彫られた貴婦人の横顔にただようのは憂い。今にもため息をこぼしそうなほどに精巧だ。

 麗しい横顔を飾り立てるのは、雨粒のような模様。ひとつひとつが滴る音を立てんばかりに美しい。

 端から端までの細部に至るすべてが丁寧に彫り込まれていた。


 だというのに、それを覗き込む兄妹はしかめ面。


「遠目に見てわかるほどだから相当だとは思っていたけれど。これはまた、ずいぶんと禍々しい……」

「ええ。すっかりと黒く染まっていますわね」


 常人の目には美しいとしか思えないブローチ。それを前にティンとローレンシアは眉をひそめる。


 なぜならば、彼らの目が見ていたのは、美しいブローチではないから。

 彼らが見据えているのは、そこにまとわりつく黒く澱んだものだ。


 『禍』と呼ばれるそれは誰にでも見えはしない。目で捉えられるのは限られたものだけ。


 ひとつは獣。

 感覚の優れた獣は禍を嫌う。


 ひとつは邪悪に身を落とした者。

 闇中にあって暗闇がよく見えるように、禍々しい思いに意志を飲まれた者は、禍に惹かれる。


 そしてもうひとつが、神の息吹きを受けた者。

 多くは神に届くほどの祈りを捧げた神官だが、血筋としてその力を顕現する者がブレイド家には現れやすかった。


 ブレイド本家の直系であるティンとローレンシアもまた、禍を見る目を持つ者である。


「お兄様、ブローチの禍が与える力は読み取れまして?」

「ううん、ちょっと待っておくれよ」


 手のひらに顔を近づけ、目を細め。

 まじまじと見つめながらティンはつぶやく。


「嫉妬、羨望、目移り……おそらく、欲の増幅といったところかなあ」


 常人の目に映らないものを見る。

 それだけでなく、ティンの目は禍をより深く見抜く力を持っていた。

 それは兄妹の両親を含めたブレイド家のなかでも飛び抜けた力。


 ゆえにその鑑定は簡易的なものとはいえ、正しく禍の本質を暴いていた。


 本日、彼らが手に入れた品は『欲を増幅させるもの』。

 禍付きの品としてはよくあるものだ。


「細かいところは帰ってから、調べるよ」


 そう言ったティンの前に、ローレンシアが布袋を広げる。

 どこから取り出したのか、それは禍を封じ込める祈祷を受けた袋。兄が取り落としては大変、とばかりにローレンシアはさっさとブローチを回収し、ドレスのひだの間にあるポケットのなかへと仕舞い込む。

 その仕草もまたさりげなさ過ぎて、ティンの目からは袋が消えたようにしか見えなかった。


 けれどローレンシアは誇るでもなく、なんでもないような顔をして兄にたずねる。


「所持していた男爵とはお会いしましたの? お兄さまのおっしゃられた影響の兆候は見られましたかしら」

「直接言葉をかわしてはいないけれどね。元来、温厚で堅実な人柄だそうだから、おおむね間違った見立てではないと思うよ」


 言いながら、ティンは男爵の姿を思い出していた。

 呆けたように空を見上げ、怪盗を見送っていた男爵。

 己の美術品が盗まれたというのに彼はあっけに取られるばかり。激昂する様子も慌てる様子も全くなかった。


 とはいえ、憶測ばかりで語るのはうまくない。それはまだ年若い彼も知っている。


「後日、騎士団の聴取があるからその時に男爵と話してみよう。影響が残っていないかも気にかかるからね。ローレンシアも来ておくれ」

「嫌ですわ」


 兄の

 間髪入れず断ると、ローレンシアは眉間にしわを寄せてあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。


「私が禍付きの品を回収する係。お兄様は情報を集める係。そう決めたじゃありませんか」


 ローレンシアが口にしたのは数か月前の約束。

 彼女が十六になるのを待って、ブレイド家当主である父親から禍が民の間に広まるのを防ぐべく暗躍してほしいと願われたときのこと。その場には、ブレイドの直系長子として、ティンも同席していた。


「それは確かに言ったけれども」


 三つ年上のティンもまた十六の年から禍の回収に携わってはいる。

 けれども、彼は不器用だった。

 禍を取り除くために利用している禍付きの品々を扱いきれなかったのだ。

 といっても、物にこもる禍の力に負けたわけではない。


 とにかく、彼は不器用だった。

 鳥の仮面をつけようとしては取り落とし、黒い羽根を身に着けることでまとえる黒衣に絡まって転ぶ。そのほかの品をあれこれと試しても、結果は同じ。

 三年間、彼なりに努力を重ねどうにか使いこなそうと頑張った。当主である父もまた、あれでもないこれでもないと品を変え息子を支えようとした。

 けれども努力が実を結ばないこともこの世にはある。


 ティンが不器用をどうにかするよりも、ローレンシアが一人前の大人とみなされる十六を迎えるほうが早かった。


「わたくしが怪盗として禍付きの品を集め、衆目を集める。そのかわりお兄様には未だ表に出ていない禍付きの品を探し、禍の根を探す。それならば、騎士団に聴取されるのもその際に男爵と言葉を交わすのも、お兄様の仕事ですわ」


 ローレンシアとて、好き好んで怪盗の恰好をしているわけではない。本来であれば貴族家の令嬢らしくしとやかに在りたいところ、民衆のためとこらえてぴたりとした怪盗の装束を身にまとっているのだ。

 ならば兄だって多少は苦労してくるべきだ、とふっくり膨れた彼女の頬をそっと撫でて、ティンが微笑む。


「でもね、ローレンシア。男爵は他にも様々な品を買い集めているんだよ」

「それがどうかいたしまして?」

「騎士団の目を盗んでそれらの品を調べるなんて芸当、僕にできると思うかい?」


 にっこり。

 それはそれは美しく微笑みながら、ティンが口にしたのは己の不器用さ。

 欠点さえも利用してみせるその図太さにローレンシアはあきれるばかり。


「ああ、ロールが来てくれないと僕は困ってしまうなあ。欲に関わる禍付きは他の禍付きを引き寄せるというのに、もしも僕がうっかりそんな品を落として壊し、禍がばら撒かれてしまったらどうなることだろう。もしもその場にいる騎士団の誰かが禍に魅入られてしまったなら。鍛え上げられた肉体を持つ暴漢になりでもしたらと思うと、僕は不安で不安で眠れそうもない!」

「……わかりましたわよ」


 芝居がかった兄の長口上は、ローレンシアを呆れ返らせるには十分だった。

 

「その代わり! 騎士様の聴取が終わりましたら、私の甘味処めぐりに付き合っていただきますからねっ」

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