訳あって怪盗令嬢しています
exa(疋田あたる)
第1話 お宝、頂戴いたしますわ!
空に散りばめられた星が瞬く夜。豪奢な屋敷に馬車が集う。
降りてくるのは誰も皆、着飾った男女。
きちりと身なりを整えた使用人に案内され、向かうのはひときわ絢爛に飾り付けられた広いホール。
女性は皆、色とりどりのドレスで身を飾り、高く結い上げた髪に花や宝石を散りばめている。
男性陣もまた、負けじと刺繍のほどこされたジャケットをまとい、胸元のポケットには飾りのチーフ。
城のパーティもかくやと言わんばかりの華やかな集まりだ。
けれども誰よりもきらびやかな装いをしている人物が、人の輪の中心にいた。
「オージィ男爵、今宵はまた一段とまばゆいですな」
囲む紳士の一人の言葉通り、人々の真ん中にいる男は誰よりも多くの装飾品を身につけている。
ぽっこりと出たお腹に巻いたベルトは、ちりばめられた小粒の宝石できらきら。はちきれそうなシャツのボタンは大粒の真珠。人の三倍は布を要するだろうジャケットには、金を練り込んだ糸の刺繍がきらめいている。
それだけでは飽き足らなかったのだろう。すべての指と短い首、ふっさりと盛り上がったかつらにまで、きらきらとした飾りが散りばめられている。
端的に言えば、派手だ。
「わはははは! そうでしょう、そうでしょう。こちらは隣国から入ってきたばかりの品でしてな。どれも微妙に色味が違うものだから、悩むのならみな買ってしまえということで」
「まあ、すごい!」
「ははははは! それほどでもありませんよ」
謙遜を口にしつつも、オージィ男爵はまんざらでもないのだろう。大きな腹をゆすってうれしそうに笑う。
あわせるように、集った紳士淑女が笑い声が上がった。
その輪からいくらか離れた、壁のそば。
見目の良い青年がふたり。
身だしなみはきちりと整えつつも、豪華さよりも仕立ての良さが際立つ衣装を身につけ並んでいた。
「男爵の羽振りが異様に良いとは聞いていたが……これで三週連続で夜会を開いているぞ。商売がうまくいっているとはいえ、明らかにおかしい」
顔をしかめて言うのは、黄金に輝く癖っ毛をした大柄な青年。トレッド=スウィビス。
「そうだね。男爵を古くから知る人曰く、彼は朗らかで懐は広いものの、決して浪費家ではなかったそうだよ」
応えたのは銀髪をさらりと流した細身の青年。ティン=ブレイド。
夜空のような黒い瞳が向けられるのは、男爵の胸元を飾るひときわ大きなブローチ。じいっと見つめた青年がうっすらと笑みを浮かべる。
「あんなに禍が色濃いなんて。確かにあれはおかしいね」
つぶやきが喧騒のなかに消えた、その時。
黒い影が華やかな室内を横切った。
ほぼ同時、夜会のにぎわいを裂いたのは男爵の悲鳴。
「ない! わ、わしのブローチがない!」
叫んだのは誰あろう、夜会の主催者でありこの場の主であるジェム=オージィ男爵。
慌てて辺りを見回した男爵は、一点を見つめて口を大きく開けた。
「ああっ」
ごてごてと指輪で飾られた太い指がさしたのは斜め上。
つられたように視線をあげ、集った人々は目を丸くする。
美しく飾られた夜会会場の二階の窓辺。今まさに、軽やかに着地する人影があった。
「あれは! 怪盗令嬢!」
声をあげたのは誰だったか。
一見すればそれは少年。
きゃしゃな肢体にぴたりと沿う黒衣。長い黒髪は頭の高い位置でひとつに結われ、シャンデリアの明かりを受けてきらめいている。
顔の上半分は鳥を模した黒い面で覆われ、伺えない。
控えめな胸元も、足の形も露わな下衣も飾り気の無い黒一色。指の先から足の先まで覆い隠されている。
けれどよくよく見ればしなやかな身体つきから女性とわかる。
それを裏付けるように、形の良い唇が開いて華やかな声が告げた。
「いい品……確かに、名工トゥクルノ=ジョーズの作に違いありませんわ」
手袋越しでもほっそりとした指先がブローチを撫でる。ブローチが応えるようにきらりと光ったのは、偶然か。
それはオージィ男爵の胸を飾っていたものだった。
遠目にもわかる細やかで優美な一品。その美しさに、会場のどこからともなく感嘆のため息があがる。
手にした人物もまた、その出来を確かめるようにブローチをとっくりと眺め、満足げに頷く。
「傑作『貴婦人のため息』、怪盗クロウがいただいていきますわね!」
言うが早いか、怪盗は二階の窓を押し開く。
ひらり、窓から飛びだしたその姿に、貴婦人たちから悲鳴があがった。
二階の窓。それも豪華さを演出するために通常より大きく作られた屋敷のそれは、ずいぶんと高い位置にある。
そんな場所から飛び降りれば、ひとたまりもない。瞬きの後には地に落ち、無残な姿をさらすことになる。
はずだった。
大勢の悲観をよそに、怪盗を名乗ったその人は飛んだ。
窓から飛び立ったその姿のまま、夜空に向かって悠々と。
風で膨らむ黒衣はまるで翼のよう。
ひとつに結ばれた長い髪を尾のように風に遊ばせて、華奢な身体で颯爽と遠ざかっていく。
悲鳴は歓声に。
ブローチを奪われたオージィ男爵は呆けたようにその影を見送る。
そして夜会に参加していた青年たちもまた、遠ざかる影を見つめていた。
「あっと言う間に消えてしまったね。これでは警備も追いつけそうもない」
窓辺に寄ったティンがそうこぼす。その声は、いっそ感心したようにも聞こえる。
事実、屋敷の警備が幾人か慌てて駆け出しているけれど、空を飛ぶ相手には追いつけそうもない。
この分では、屋敷の外にいるであろう騎士団も取り逃してしまうことだろう。
自分の目の前で起きた事件に、正義感の強い友人はさぞや憤っていることだろうと思ったティンだったが、返事はない。
不思議に思ってとなりに視線をやったティンは、目をぱちくり。
トレッドは食い入るように空を見つめていた。
その青空のような晴れ渡った瞳に宿るのは、明らかな熱情。
おや、と瞬いたティンに見られているのにも気づかないのだろう。
トレッドは、黒い影の消えた彼方をいつまでも見つめていた。
※※※
騒然となった夜会会場から、客たちが三三五五と散っていく。
話を聞きに来た騎士団の者にティンは「後日、追って話をしに行くよ」と手を振った。
現場に残るというトレッドとわかれた彼は、馬車に乗る。
コンコン、カツン。
馬車の壁を叩いて合図すれば、御者も心得たもの。馬車が颯爽と走り出す。
夜道を抜けて向かう先はブレイド家の屋敷。ではなく、貴族街を抜けた街外れの古びた教会。
昼間、勤勉に働く住民たちはすでに家の明かりを落として夢の中。
道行を照らす馬車の明かりを見たものが居たとして、それは前後不覚の酔っ払いかやましいところのある者ばかり。
誰に見咎められることもなく、馬車は教会の裏手にすべるように入って行く。
教会の裏手はさみしいところだった。
古びた建物に四方を囲まれた、行き止まり。狭い空き地だ。朽ちかけた材木や吹き溜まった砂ぼこりしか無いその場所に、わざわざ立ち入る者など居ないだろう。
そんなさみしい空間に馬が足を止める。
窓から外を確認したティンは、御者を待たずに自分で扉を開けて降り立った。
暗い空き地を歩く主人のため、御者が明かりを手にしてあたりを照らす。
すると、馬車の外装がいつの間にかひどく質素に、いっそ行商の馬車と言われても信じるほどのものに変わっているではないか。
馬車のそばに立ったティンにも、もちろんそれは見えているはずだ。しかし馬車の変貌には一瞥もくれず、ティンは早足で歩き出す。 向かう先にあるのは、協会の横のこじんまりとした小屋。
「怪我はないかい!」
小屋の扉を勢いよく開けた。
そこにはまさに仮面を外さんとしている黒衣の怪盗クロウの姿。
「あら」
首をかしげるようにしてティンを向いた怪盗は、驚きも躊躇もなく仮面を外す。
その拍子に、はらりとこぼれた髪はみるみるうちに色を変えた。つややかな漆黒から、月光を集めたような銀髪へ。
「ティンお兄さま。お早い到着でしたわね」
髪がすっかりと銀色にきらめくころ。
吊り気味の黒目を笑みの形に細めた怪盗がティンの名を口にする。
「僕のかわいい妹、ローレンシアが心配でね」
「お上手だこと」
美青年の言葉を軽くあしらうのは、怪盗クロウあらため、ブレイド家の長女ローレンシア=ブレイドであった。
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