第5章 想

16時3分、その電車は発車した。札幌発函館着の電車である。春の空はまだ少し明るく札幌を出た頃には夕日が沈みかけていた。

札幌から函館まで電車で行くと3時間半はかかる。くつろぐことのできない椅子に座り3時間が過ぎるのをただ待つということはとても退屈なことのように思えた。

まずは1980年代にヒットした歌手のアルバムを聞いて時間を潰すことにした。流れる曲に耳を傾け移り行く景色を見ていると僕の隣の空いていた座席に一人の女性が座った。

彼女は70歳を過ぎているように見えた。少し茶色がかった紫色のコートを着ていて、ベージュのズボン黒いブーツを履き、サングラスをかけ、柄のマフラーを首に巻いていた。よく町中を歩けば見かける服装ではあったが、仕草が上品で座っている姿勢もしっかりと背筋を伸ばしていて凛々しかった。

彼女は僕から哀愁のようなものを感じ取ったのだろう、何やら僕に話かけてきた。僕はそれまで聞いていた音楽の再生を止め、耳についていたイヤホンを外し、

「はい?」

と聞くと、彼女は

「今おいくつなの?」

と聞いていたようだ。

「20歳です。」

僕は素っ気なく返した。その時の僕は退屈な時間と感じながらも月川愛のことを考えることに集中していたため、素っ気なく返すので精一杯だった。

「あら、そうなの。ごめんなさいね。いきなり話しかけちゃって。今から一人でどこか行くの?お仕事かなにか?」

僕はどう答えればよいのか考えた。僕は何をしに行くのだろう。確かに彼女の自殺した海に行くことは確かだ。しかしそこに行ってなにをする。衝動的に動いていた僕の感情が冷静さを取り戻した。

「海に行くんですよ。今はそれだけ。」

僕はそう答える他なかった。

「あら海になにか思い入れでもあるのかしら。」

何か彼女は僕の心を見透かしたように少し微笑んでそういった。

僕はここで会ったらもうこの人に会うことはないだろうと思い、

「昨日のニュースで報道されていた自殺した若い女性ご存じですか。」

と言ってみた。

「あまり覚えていないわね。ごめんなさい。」

当然の反応だ。人一人の命といったってなにも関わりのない人たちからしたら興味の対象にもならない。わかっていた。だがここまで行ってしまったのなら話をここで終わらせる必要もないだろうと思い、話せるところまで話してしまおうと思い、話してみた。

「その自殺した女性っていうのが僕が元々付き合っていた人だったんですよ。それでどうしてか彼女が最期を迎えた場所に行ってみたくなったというか。」

言ってしまった。彼女のように人生経験を重ねてきた人達に人生相談のようなことをしてみたかった。これ聞いた彼女は

「そう、なかなかロマンチストね、貴方。」

僕は彼女の言っていることが理解できた。

「これは老人の憶測に過ぎないのだけれど、貴方そこで彼女と同じ場所で死ぬことができたらなんて考えているでしょう。」

心を見透かされた気分だ。だが不快感はなかった。

「まあ、そういうことも心のどこかで思ってしまっていますね。」

彼女はそれでも微笑んでいた。

次に彼女は僕にどんな言葉をかけてくれるのだろう。とても気になった。だが沈黙は続いた。

「そうね、それで貴方の心が晴れるのなら行ってみて良いと思うけど。」

僕は彼女に期待しすぎていた。いやこれで良かったのかもしれない。人生とはそういうものだ。自分の欲しいものがいつも手に入る世の中ではない。その後彼女が下りるまでその沈黙は続いた。彼女は

「それじゃあね。」

と言い、去って行ってしまった。

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