第9話

「まさか、そんな」

 脳裏に過ぎ去ったその可能性を打ち消すように僕は首を振った。

「ああ。まさに、まさかだな」

 先生は失笑のようなものを漏らした。それから、これは無論、ただの憶測にすぎないがなと一言付け加える。その飾りつけるような言い方が、むしろ僕に一つの考えを想起させた。

「あの、先生」

「なんだ」

「もしかして、テロや内戦なんかが起きて、この国の情勢が不安定になってもバナナの値段はあがりますか?」

 おずおずと、確認を取るように尋ねた僕に、先生はふふふと低く笑った。ゆっくりと後ろに顔を振り向かせる。その時ちょうど、雲の切れ間から月の光が差し込んだ。

「良く分かったな」

 それがこの話の最後のピースだと、褒めるような声。月光に照らされた先生の横顔は凄惨な笑みに彩られていた。

「それじゃあ……」

 僕の脳内で、これまで先生が提示してくれた全てのピースがとんでもない速さで組み立てられてゆく。先生はまだ全てを説明してくれていない。けれど、けれど。これまでの話に、残された二つのヒントを。僕らが極秘部隊であるという事と、この任務を持ち掛けてきたのが国家経済会議の高官だということを組み合わせれば。

「なんてこった」

 僕は唖然としてしまった。

 今夜、僕らがこの国へやってきた理由は。辛く苦しい訓練を乗り越え、戦闘技術を極限まで磨き上げ。世界最高の技術を使って造り出された最新鋭の装備を身に纏い。高高度を飛行する絨毯機から飛び降りたのは。

 ただ、バナナの値上がりを阻止するためだったというのか。

 そうであったとすれば。

「僕らはどうしてこんなにも愚かなんだ」

 あまりにもあまりなことに、僕はびっくりしてしまった。

「なんだ。今さら気が付いたのか」

 先生も驚いたように目を丸くしていた。

「我々の戦争はいつだってそうだったじゃないか。アメティカの国益を保護し、拡大するために世界中のあちこちで今も戦友たちが任務に邁進しているのだ。自由と平等なんていう大義名分は、それを誤魔化すための方便に過ぎない。なんだ。本当に知らなかったのか」

 ぽかんと口を開けている僕を見て、先生が「この愚かものめ」と苦笑した。

「たとえば、何処の敵と戦うにせよ、我々はまず真っ先に敵の支配下にある魔力湧出地の制圧を行うが、そこが戦後、どうなるか知っているか?」

 先生の唐突な質問に僕は首を振った。

 開戦と同時に、敵が支配している魔力湧出地へ強襲を仕掛けてこれを奪うのは軍事の基本中の基本だ。そうすることにより敵の魔力供給を断って継戦能力を奪い、逆にこちらは現地における魔力供給源を確保することができる。戦闘に特化した魔法戦士は一人で一個魔導化歩兵中隊を相手取れる力があるが、それも絶え間ない魔力の供給があってこそだ。でなければすぐに魔力を使い果たしてしまい、回復するまで戦闘力はただの人間と変わらない。

 大抵、敵支配下にある魔力湧出地を制圧するのは本隊よりも先行して戦地入りする特殊部隊の仕事だった。なので、僕も何度かその手の作戦に従事したことがある。

 しかし、そうして奪った魔力湧出地が戦後、どうなっているのかまでは知らなかった。というよりも、気にしたことがなかった。けれど普通に考えれば、大量の魔力が溢れだす魔力湧出地は軍事利用されやすいため、アメティカ政府がその管理を行うのではないだろうか。

 そんな予想をした僕に、先生はまったく異なる現実を告げた。

「我々が制圧した魔力湧出地は戦後、よほど特別な場合を除き、魔力の採集権が競売に掛けられる。そして競り落とした企業が開発を行うことになる」

 大抵、競り落とすのはアメティカの大企業だがな、と先生は付け加えた。

 そして競り落とした企業はその地に精製炉を建設し、生産された精製魔力は現地で消費される分とアメティカ国内へ送られる分を差し引いたものが世界へ輸出されるのだという。

 その話を聞いた僕の頭に疑問が浮かんだ。アメティカ国内には既に、大小数多くの魔力湧出地がある。そこで精製される魔力の量は国中の都市を養ってなお余りあるほどだ。なのに、どうして外国からさらに輸入する必要があるのだろうか。

「そりゃ、国内で生産される量だけではいずれ足らなくなるからさ」

 僕の疑問に、先生は実にあっさりとした声で答えた。

「いまでも国民一人当たりの魔力消費量は世界でも突出しているアメティカだが、それはなおも増加傾向にある。そしてこの先も魔導技術が発展し、日常の様々な部分で魔導機関化が進めば国内生産分だけではとても足らなくなる。だから、そうなる前に先んじて供給先を確保しているというわけだ」

 何でもない事のようにそう言ってから、先生はふと立ち止まると僕を振り返った。

「つまらない話をしてしまった。ショックだったか?」

「ああ、いえ。そんなことは」

 ちょっと困った様子の先生に僕は首を振って答えた。

「それはまあ、少し驚きましたけど。好きな小説の話によく似ているな、と」

 あの小説に登場する国々も、本当は石油のためでありなが、しかしそうではないと理由をつけて戦争をしている。先生と出会うまで、僕の知識や考え方は全てあの小説から仕入れたものだった。今回、先生から話を聞いて案外、現実も似たようなものなんだなと思った。

 先生はそんな僕を妙なものを見るような目で見てから、まあいいかと肩を竦めていた。

「それにしても、意外だな。お前はぼんやりしているようで察しはいいからな。とっくに感づいているものだと思っていた」

 そんなことをいいながら、先生が再び歩き出した。そんな風に思われていたのかと、僕は少し気恥ずかしくなりながらその後について行く。すると。

「どうだ。仕事を続けられそうか?」

 前を行く先生が振り返ることもなく、そう訊いた。

 今にしても思えば、これは先生が僕に対して与えた最後の選択肢であり、警告だったのだと思う。恐らく、先生はこの時にはもう分かっていたのだろう。この任務を成功させたあと、僕らの部隊がどんな風に扱われ、どんな任務を割り当てられるようになるのかを。

 けれど、なにも分かっていなかった馬鹿な僕は、どうして先生がそんなことを訊くのか不思議に思っただけだった。だって作戦は順調で、それまでのところ任務を放棄するような問題は何一つ起きていなかったのだから。

「はい。任務を続行しようと思います」

 僕は先生にそう答えた。

「そうか」

 先生は小さく呟いて、それ以上は何も言わなかった。


 農園を抜け、別行動をとっていた二人の隊員と合流した僕らは標的が潜んでいるという建物を発見した。それは林の中にある、大きな屋敷だった。かつてこの国の支配層が使っていたのだろう。二階建てで、豪華な造りをしていた。

 情報によれば、標的は今夜ここで協力者たちと集会を行っているらしい。その事前情報に基づいて内部の状況を偵察したところ、一階のリビングと思しき部屋に複数の人間が集まっていることが分かった。

 短い打ち合わせの後、僕らは自分たちで作成したマニュアル通りの方法で屋内へと突入した。強烈な光と音を発する術が封じ込められている水晶瓶を、窓ガラスを叩き割って投げ込む。その炸裂と同時に壁の一部を吹き飛ばして一気に屋内へと突入した僕らは、中にいた人間の頭部へ確実に呪いの弾を撃ち込んでいく。数えきれないほどの訓練を積み重ねてきた僕の肉体は、ほとんど自動的にその動きを実行した。

 屋内の制圧はほとんど一瞬で済んだ。まだ生き残っている者もすっかり抵抗する気を失っていて、膝を突いて両手をあげるなどして降伏の意思を示していた。しかし、あらゆる痕跡を残すなと厳命されていた僕らはそんな人たちも躊躇いなく撃ち殺した。

 と、その時。突然、呪いの言葉が響いた。敵の中に魔法使いは一人しかいない。そいつが今日の標的である、旧支配者一族の生き残りなのだろう。この家にいた他の人間たちよりも少しだけ上等な仕立ての服に身を包んだ、初老の男だった。物陰に潜んで反撃の機会を窺っていたようだ。しかし、よほど混乱していたのか。ろくに狙いもつけぬまま手当たり次第に呪いを撒き散らしたせいで、そのほとんどは本来、彼の味方だった人たちを襲った。呪いを受けて皮膚が焼け爛れ、肉体の一部が弾け飛んだ人たちの絶叫が響き渡る中。僕らは冷静にその事態に対処した。人間に対して使われる呪いの大抵は人体にあたって初めて効果を発揮する。なので、家具や壁などを盾にしてしまえば防ぐのは簡単だった。

 男は室内に動くものが無くなるまで、ひたすら両手から呪いの閃光を放ちまくった。やがて、静かになった暗がりの中に敵魔法使いの荒い息だけが響くようになった頃。軍靴が床を打つ、固い音が聞こえた。僕は隠れていた机の影からそっと様子を窺う。先生だった。

 突如、正面から堂々と姿を見せた先生に怯えた敵魔法使いが呪いを放つ。その指先から迸った赤い閃光を、先生は片手でひょいと弾いた。恐らくは渾身の力を込めた呪いが、まるで羽虫でも払うかのような何気なさで弾かれ、そして霧散してゆくのを目の当たりにした敵魔法使いが愕然とした表情を浮かべる。敵の魔法攻撃に自らの魔力を打ち合わせて相殺する術は近接魔法戦闘術の基礎にして、最も難しい技術であるという。先生はその達人だった。

 先生は超然とした足取りで男の前に立った。そしてゆっくりと、その長い指先を男の額へと突きつける。男の顔に絶望が浮かんだ。己の死を悟ったのだろう。が、しかし。

「クロード軍曹」

 先生はそこで何故か、思い出したように僕を呼んだ。僕は先ほどから机の影に身を隠したままじっとしていた。敵の魔法使いが健在である限り、不用意に姿を見せたり居場所を知らせるような真似をしてはならない。それが、非術技兵が魔法戦で生き残るための基本中の基本だからだ。

 それを忠実に守っていた僕にしかし、先生は言った。

「お前がやれ」

 と。

 やれ、とはつまり、僕がその魔法使いを殺せという意味だろう。しかし、どうして僕に任せるのだろうか。そう疑問に思いながらも、僕の肉体は先生の命令を忠実に実行した。

 物陰から勢いよく飛び出した僕は、未だに事態が飲みこめていない様子の敵魔法使いへ一気に肉薄すると突撃呪杖の杖頭でその喉を力いっぱい突いた。一時的に呼吸と発声ができなくなり苦しそうに喘いでいる敵魔法使いを床に蹴り倒して胸に三発、頭に一発。計四発の呪弾を叩きこんで確実に命を奪う。たぶん、かかった時間は五秒にも満たなかっただろう。

 静かになった家の中で、僕は先生に振り向いた。どうしてこの魔法使いの始末を僕に任せたのか理由を訊こうと思ったのだけれど。しかし。

「よろしい。合格だ」

 先生は僕に頷いてそう告げると、さっさと家から出て行ってしまった。どういう意味だろうかと首を捻りながら、僕はその後を追う。

 外へ出た僕らは、屋敷に火を放った。僕らが今夜、ここで行ったほとんど一方的な殺人の痕跡を消すには燃やしてしまうのが一番手っ取り早かったからだ。外で待機していた隊員によれば、僕らが突入してから外へ逃げた者は一人もいなかったという。

こうして、首尾よく標的と目撃者を殲滅した僕らは急いでその場を離れて回収地点へと急いだ。魔法使いとの戦闘になったというのに、結局こちらの損害は皆無だった。四人ともかすり傷一つ負わぬまま、何の問題もなく僕らは任務を完遂した。

 翌日も、その翌日も。翌週になっても、僕らがそこでやったことはニュースにもならなかった。


 その任務を終えてから、ほどなくしたある日のことだった。

 先生が軍を辞めることになった。

「子供を産んでみたいと思ってな」

 理由を尋ねた僕に、先生はそう答えた。

「実は随分前から夫にもせっつかれていたんだ。しかし、一度請け負った仕事を途中で放り出すのはどうにも性に合わなくてな。結局、今まで先延ばしにしてきてしまった」

 先生が結婚していたとは知らなかったので、僕はとても驚いた。そんな僕に先生は照れくさそうな笑みを浮かべながら続けた。

「だが、大きな仕事を一つやり終えたし、後を任せられる優秀な跡取りも育った。だから、ここらでそろそろ引退させてもらうことにしたんだ。年齢的にも、子供を産むにはそろそろ限界だろうしな」

 先生は僕の目を覗き込み、僕の肩に手を置いてそう言った。そんな先生に、僕は「そうなんですか」と答えることしかできなかった。

 先生に年齢を尋ねたことはなかったが、伝え聞いた軍歴から察するに三十代後半か、四十代に入ったばかりといったところだろう。女性の身体の仕組みについてなどろくすっぽ知りもしない僕だが、確かに子供を育てるのならギリギリの年齢化もしれないということは分かった。先生のことだから体力的な心配はないだろうけれど。しかし、これから一体誰がチームの指揮を執るのだろうか。などと、様々な考えが頭の中を駆け巡ってしまい、ほとんど放心状態だった僕に先生が片手を差し出した。その手を数秒見つめてから、ようやく握手を求められているのだと理解した僕は「頑張ってください」と月並みな言葉を口にしながら、その手を取った。

「後を頼むぞ、ウィル」

 先生が激励の言葉をかけてくれた。

「僕はこれからどうすればいいんでしょうか」

 僕は途方に暮れた気分で先生に尋ねた。

「この愚か者め」

 先生は呆れたように笑いながら、優しく僕を叱った。

「お前には私の知る全ての技術と知識を叩きこんだ。もう私なしでも十分、やっていけるよ」

 そう言って先生が僕の肩をぽんと叩く。これまで、先生の言葉をただの一度も疑ったことのない僕だが、その言葉にだけは素直に頷くことができなかった。

 そのやりとりの翌日、先生は軍を去った。

 僕は、僕を叱ってくれる唯一の人を失ったのだった。

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