第二部 魔都強襲
第10話
ある日の任務明け。
いつものように朝早く職場を後にした僕は、アパートへの帰り道にあるカフェに立ち寄っていた。普段なら少しくらいの空腹は無視して、アパートの自室で陽が沈みだす頃まで惰眠を貪ってからピザのデリバリーでも頼むのだが、その日の任務はそれほどキツイ内容でもなく体力的に余裕があったのと、店の前を通りかかったのがたまたまモーニングサービスの時間帯だったのが決め手になった。
そして、偶然立ち寄ったこのカフェで、僕はルアハ・エデルフェルトと再会したのだった。
「ウィル?」
「ん?」
注文したモーニングセットのサンドイッチも食べ終わり、珈琲を飲み終えるまでの間、読書に耽っていた僕はふいに声をかけられて、本から顔をあげた。そこにいたのは小柄な女性だった。少しあどけなさの残る面立ちに、小さな驚きを浮かべて僕を見ている。
「あ。突然、ごめんなさい」
どこかで見たことのある顔だな、と思いながら。しかし誰だったかを思い出せず、しばらく女性の顔を見つめていると、彼女はハッと思い出したようにそう謝った。
「あの。ウィリアム・クロードくん、ですよね? アルスタンダム孤児院で一緒だった」
窺うような視線とともにそう尋ねる彼女に、僕は曖昧に頷きを返す。
僕が幼少期から軍に入るまでの間を過ごしたアルスタンダム孤児院は、軍人だった親を戦争や軍務中の事故などで亡くした子供たちを養育するために軍が運営している福祉施設の一つだ。そこで一緒だったということは、目の前の女性もその孤児院出身ということなのだろう。そう思って、僕は少年時代の記憶を掘り返しながら彼女のことを観察した。緩くウェーブのかかったプラチナブロンドの長い髪に、ラピスラズリを思わせる深い藍色の瞳。特徴的な髪色や瞳の色は、魔法使いの血筋であることを示している。そこで、僕は「あ」と声を漏らした。
「ルアハ?」
「良かった。憶えていてくれたんだ」
思い出した名前を口にすると、彼女はほっとしたように笑み崩れた。
ルアハ・エデルフェルドは確か、僕とほとんど同時期にアルスタンダム孤児院に入所してきた女の子だった。とは言っても、当時の僕は彼女とほとんど接点もなく、思い出と呼べるような記憶もない。それでも僕が彼女を憶えていたのは幾つか理由がある。一つはもちろん、その目立つ外見だ。プラチナブロンドの女の子なんてそうそういるものじゃない。物珍しさも相まって、彼女は子供たちの中でもちょっとした注目の的だった。
「ここ、良いかしら?」
そういってルアハが僕の向かいの椅子を指さす。僕はそれに何を思うわけでもなく、「どうぞ」と頷いた。彼女はやけに嬉しそうな顔をすると、近くを通りかかった店員にカフェオレを注文すると、羽織っていたショールを脱いで椅子の背もたれに掛けてから席につく。
「公認魔法使いになったんだ」
向かい合って座った彼女の胸元に水晶の嵌め込まれた銀色のバッジが光っているのを見つけて、僕はそう言った。国家公認魔法使いとは、公職に就くための資格を得た魔法使いのことをいう。要するに、公務員のようなものだ。
「うん。まだシルバー・クォーツだけどね」
ルアハは胸元のバッジを指先で弄りながら照れくさそうに笑った。国家公認魔法使いには五段階の階級がある。シルバー・クォーツはその一番下。初級術士と呼ばれる階級で、身分としては公務員見習いのような立場だ。軍でいえば、士官候補生といったところだろうか。
「今は学校で、治癒術の勉強をしているの」
「それはすごいや」
僕は素直に感心した。数ある魔法職の中でも、治癒術士は特に難関とされているからだ。人体を治療する魔法は幅広く専門的な知識と生来の才能が必要だからだという。その治癒術士の中でも最上位のプラチナ、魔法医の資格を持つ者はアメティカ全土にも数十人しかいない。軍民問わず最優秀の人材が集まっている先進魔導戦開発グループの研究開発班にさえ、魔法医は一人もいなかった。
極めて狭い門だが、それでも魔法医を目指しているというのは、とても彼女らしいと僕は思った。
「ウィルは……軍隊に入ったんだよね」
自分の近況について一通り話終えたらしいルアハが、今度は僕にそう訊いた。「まあね」と答える僕に彼女が顔を翳らせるのを見て、やっぱり変わらないなと思った。
ルアハは昔から軍隊が嫌いだった。と、これだけでは彼女の異常性が伝わらないと思うので補足すると、軍人の親を持ち、その親を戦争か事故で亡くした僕らは軍の施設で養育されたのだ。そんなところで軍を批判するような教育が行われるわけがない。軍人こそがこの世で最も名誉ある職業であり、僕らの親は軍の崇高な使命を果たすための尊い犠牲になったのだ。僕ら孤児は施設で繰り返し、そう教えられる。そしてまた、親の英雄的な行為に敬意を表すとして、優先的に僕らは軍へ入隊することができるとも。そうして育てられた孤児はほとんど疑うこともなく、それが自らに与えられた特権だと信じるようになる。同時に、軍に対して個人的な恩義のようなものを感じるようにもなる。今にして思えば、あそこは軍への忠誠心に篤い兵士を養成するための施設だったのだろう。
ここまで説明すれば、そんな環境の中であっても公然と軍への批判を口にしていたルアハが如何に異端な存在だったのかを理解してもらえると思う。
彼女は事あるごとに、施設の大人たちとぶつかっていた。僕も何度かそうしたところを見たことがある。初めの頃は子供の彼女が大人相手に怯むことなく口論している様子に驚きもしたが、数年も同じ施設で過ごせばそれも物珍しい事ではなくなる。「ああ、またやっているな」と遠巻きに眺めるばかりだった。
そんな彼女と唯一、間近で接した事が一度だけある。それは僕の入隊が決まった日の事だった。一緒に軍へ入ることになった同期たちと集まっている部屋に飛び込んでくるなり、「絶対にやめておいた方がいい」「みんなは騙されている」「貴方たちが兵士になる必要なんてない」「どうして見ず知らずの人たちのために貴方たちが戦わなくちゃいけないの」と。施設の大人たちに引きずられて、入隊組の僕らが集まっていた部屋から連れだされる寸前まで、彼女は凄まじい剣幕でそんなことを訴えていた。
それが、僕が彼女のことを憶えていたもう一つの理由だった。
「思っていたよりも元気そうでよかった」
砂糖を入れたカフェオレを、スプーンでかき混ぜながらルアハが言う。
「心配だったのよ。あなたが軍に入るって知った時」
「どうして?」
僕は訊き返した。というよりも、その頃の僕を彼女が認識していたということが驚きだった。孤児院で過ごした数年間。大した関りもなかったというのに。そう思っている僕に彼女は言う。
「だって、あなたって本ばかり読んでる静かな子だったじゃない。あまり人と話そうともしないし、軍隊なんかに入って、上手くやれるのかなって」
今もそれは変わっていないみたいだけどね、と。彼女はテーブルの上においてある本を指して笑った。確かに子供の頃の僕は彼女の言う通り、自分の世界に閉じこもり気味で他人とはあまり関わらないタイプだった。いや、しかし。もしかしたら、それが逆に目立っていたのかもしれない。そう思うと、なんとも気恥ずかしくなった。
「まあ、なんとかやってるよ」
恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをしてから、僕は肩を竦めてそう答えた。もちろん、実際に僕がどんな仕事をしているのかは言えない。まあ、一般人に
「……ねえ、ウィルも戦争に行ったの?」
と、そこで。ルアハが声を落として、そんなことを訊いてきた。
「まあ。何度か」
実際は何度どころじゃないのだが。そんなことを心の中で思いながら、僕は彼女から視線を逸らしつつ、わざと歯切れの悪い口調で答えた。
「そっか」
暗い顔でルアハが呟く。彼女はそれ以上、何も聞いて来なかった。だから僕も何も言わない。
戦場に行ったことがあるかと兵士に尋ねる人は多い。しかし、戦場の外で戦場の話をするべきじゃないというのが僕の持論だ。そしてきっと、この考えには少なからぬ兵士が同意してくれると思う。何故なら、戦場に行ったことのない人間にその話をしたところで無意味だからだ。戦場がどんな場所か。恐ろしくて、退屈で、暑くて、寒くて、寝苦しくて、食事は不味くて。まあそんなところだ。けれど、真の意味で戦場とはどんな場所か。それを理解できるのは、実際にそこで苦しみと痛みを味わったことのある人間だけだ。
だから僕らは戦場の外で戦場の話をしない。分からない人には分からないし、分かっているヤツとわざわざそんな話をする必要はないからだ。幸いにして、戦場に行ったことがあるかと訊かれても、僕らがそれを話したがらない素振りさえ見せれば何かを察してそれ以上しつこく訊いてくる人はあまりいない。たまに戦場に行ったというと、人を殺したかどうか訊いてくる輩がいるが、良くもそんな悪趣味なことを尋ねる気になれるなと呆れてしまう。
それから少しの間、重苦しい雰囲気になってしまった。けれど、しばらくするとルアハは気分を切り替えるように息を吐いてから、施設を出てからこれまでのことなどを話し出した。特に話に付き合う理由もないが、付き合わない理由も見つからなかったので他愛もない話題に相槌を打っていると一つの発見があった。なんと、ルアハも僕と同じ小説のファンだったのだ。どうやら、子供時代の僕を彼女が知っていたのはそれが理由だったらしい。
思わずファン談議に盛り上がった僕らだったが、やがて時計に目をやった彼女が「そろそろ行かなくちゃ」と立ち上がったためお開きとなった。
別れ際、彼女から連絡先が知りたいと言われたので個人用として持っている交信端末のアドレスを教えた。個人用とはいっても、ほとんど仕事の連絡にしか使っていない。思えば、仕事と関係のない人物と連絡先を交換したのはルアハが初めてだった。
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