第7話

 再び極彩色の最中さなかを通り抜けて、僕らは薄暗い地下の空間へと戻ってきた。時間にしてみれば、八時間ほどか。それだけの間に、僕らはこの星の裏側まで行き、老人を一人殺して帰ってきたわけだ。

「ご苦労。報告を」

 転移陣が輝きを失ったところで、ベックウェル大佐が僕らを出迎えた。報告のために大佐へ近づこうとする僕の横を、ラトレルが無言で通り過ぎてゆく。

「少尉、何処へ行く」

 大佐が呼び止めるのにすら取りあわず、彼は駆けるような早足でそのまま部屋を出ていってしまった。やれやれと溜息を吐いた大佐が窺うような目を僕へ向ける。僕は御覧の通りですとばかりに肩を竦めてみせた。戻ってくる前のやり取りは大佐も聞いていたはずだから、改めて事情を説明することもないだろう。

「軍事法廷にでも訴えるつもりですかね」

 フリッツが他人事のように言った。

「無駄だけどな」

 と、アダムスがそれに続ける。

 確かに、軍事法廷に訴えるというのはいかにも優等生が考えそうなことではある。だが、アダムスの言った通り、それは無駄だ。というか、無理といったほうが正しい。僕らのような極秘作戦に従事する特殊部隊員に秘密を守らせるために、軍が対策を取らないわけがない。その対策を具体的に説明すると、僕らのような特殊部隊員には、所属部隊や任務に関する情報を部外者に口外することができないよう強力な暗示がかけられている。無意識下に刷り込まれているというその暗示は、感情抑制処置などとは比べ物にならないくらい強力で、無理に抵抗しようとすれば心が壊れてしまう。僕も実際、そうなった人間を何人か知っている。


「まあ、ともかく報告を」

 大佐が仕切りなおすように咳払いをした。ラトレルがどこへ行こうとも、何をしようとも、機密保持の暗示がある限り、彼にはどうしようもない。軍が非合法な暗殺を行っていると知り義憤に燃えるもの、任務の正統性にケチをつけるもの自由だが、一度でも特殊部隊に入隊し、機密保持の魔法契約宣誓書にサインをしてしまった以上、それを外部へ訴えることなど不可能なのだ。

 僕は手短に報告を済ませた。それに大佐はちょっとした労いの言葉を口にしてから、解散を命じた。僕らはようやく緊張していた心身を弛緩させて、ほっと息を吐く。そんな僕らを残して、大佐はラトレルの後を追っていった。

「もったいねえ」

 隣でアダムスが呟いた。

「ここまでうまくやったのに、最終試験で落第とは。賭けてもいいが、あの坊主、明日からどこかの倉庫番になってるぜ。じゃなきゃ、会計係だ」

 独白するような彼の言葉に、僕もだろうなと頷いた。純粋な若者というのはえてして潔癖なものだ。たぶん、ラトレルは大佐の説得も虚しく、今後も先進魔導戦開発グループでの任務に従事することを拒むだろう。

 そうなれば、部隊に関する全ての記憶を封印処理されてから適当な経歴をでっちあげられて、他部隊へと放り出されることになる。封印された記憶が蘇らないよう定期的にチェックを受ける必要から、大抵は監視のしやすい首都近辺の基地で補給か経理の担当官に割り当てられることが多い。そして、備品の補給やら書類の整理、兵の給料の計算といって面白みの欠片もない仕事をこなしながら、どうして自分の出世はこんなに遅れているのだろうと首を捻り続ける。それでいて、軍を辞めることはできない。万一、記憶の封印が解けてしまい、全てを思い出した本人から機密情報が流出してしまうのを防ぐためだ。そのため、封印処置を受けると自発的に軍を辞めるという発想ができなくなる。つまりは、一生飼い殺しにされるわけだ。本人はそんなこと、露も知らぬままに。

 人の一生を台無しにして恥じないのが軍隊という組織であるが、このまま先進魔導戦開発グループで日の当たらない任務に従事し続けるのと比べ、どちらがあの若者にとってマシな未来だったのだろうか。僕には判断がつかない。そして、大して興味もなかった。

 ただ。これでまた一歩、気楽なオペレーター生活が遠のいたということだけが残念だった。


「初めから無理があったんだよ。新兵を入隊させるなんて」

 やれやれとアダムスが首を振る。

「特殊部隊の隊員なんてのは、一度ならず戦場に出て、良い感じに現実に打ちのめされて、理想だの信念だのが擦り切れた後も軍に縋りついてるような物好きじゃないと務まらないのさ」

 分かったようなことを口にするアダムスに、僕も「そうかもな」と分かったように応じた。

 といっても、僕はアダムスの言葉には全く共感できていない。僕にとって現実とはただそこにあるもので、理想や信念などというものはただの一度も抱いたことがないからだった。

 それに今回の人事の失敗は単に、理想に燃える清廉潔白な若者を選んでしまったことだと思う。士官学校首席なんていう優等生中の優等生ではなく、もっと落第すれすれの不良生徒の方がよかったのではないか。

 何故なら。人殺しをなんとも思わないような僕らの仲間になるのであれば、規則違反などなんとも思わないような人間の方が相応しいと思うからだ。

 もしも、ラトレルが他人を蹴落として主席の座を掴み取ってきたというのなら話は別だが。しかし、彼は道徳的な人間だった。聖人君子ではないかもしれないが、そうなろうとする人間だった。

 それでは僕らとこの仕事に馴染めないのは当然だ。何故なら、この場にいる僕らは一人の例外もなく人間の屑だからだ。

 任務中、ラトレルはみんなに何故軍隊に入ったのかと訊いていた。それに対して、僕らは適当にそれらしい理由を答えた。つまり、僕を含めて全員が嘘の回答をした。

 僕は知っている。アダムスが軍に入り、極秘中の極秘部隊であるこの先進魔導戦開発グループの隊員にまで登りつめた本当の理由。それはスリルのためだということを。僕らの仕事は四六時中誰かと命をやり取りし、一歩間違えばいともあっさりと死に、そして判断を一つでも誤ればこれまで見知ってきた世界がたちまちのうちに崩壊してしまう。アダムスはそんなギリギリのがけっぷちに追い詰められる事を心の底から楽しんでいるのだ。

 そしてフリッツはといえば。ラトレルの質問には研究職は肌に合わないからと答えていたがしかし、彼がこの部隊に入ったのは、実は魔法の研究のためだ。研究がしたいのなら、なにも軍の特殊部隊なんかに入る必要はないと思うかもしれないが、彼の研究対象、というよりも好奇心の対象は人を呪い殺すための魔法に向いていた。この世界はにはどんな呪いがあり、どんな効果によって人を殺すのか。そうした術式のサンプルを蒐集するのに、魔法使い殺し専門の先進魔導戦開発グループほど適した組織はない。彼にとってはここでの任務そのものが最高のフィールドワークなのだ。

 では、僕はといえば。答えは変わらず、特別な理由なんてない。

 僕ら人間の屑はいつだってどんな時だって、どんなことだって他人事だ。

 将来を失ったかもしれない若者についてそれ以上、言葉を交わすわけでも、思いを馳せるわけでもなく。僕らはロッカールームに戻って装備を解き、シャワーを浴びた。


 汗を流してシャツとジーンズに着替えた僕は、通勤用のろくに物も入っていないショルダーバックを肩に引っ掛けてロッカールームを出た。ちょうどそこでアダムスと鉢合わせたので、そのまま基地の外まで一緒に行くことにする。

 階段を上り地上階へ出ると、朝日の眩しさが目に痛かった。魔力灯の薄明かりだけで照らされた地下にずっといたから忘れていたが、今は早朝なのだ。

 先進魔導戦開発グループの本部が置かれているのは、魔導軍戦術行動研究センターという研究所の地下だ。研究所の地上階は白い建材で統一された造りとなっていて、地の底で蠢く僕ら魑魅魍魎の存在を覆い隠すかのように、過剰なまでの健全さに満ちている。

「あら、お二人さん。また徹夜だったの?」

 アダムスと連れ立ってエントランスホールに出ると、受付のジェシカ嬢がからかうような声をかけてきた。眩いばかりの笑顔を浮かべる彼女に、僕とアダムスは目を瞬かせながら「まあね」と答える。表向き、僕らはこの研究所の職員ということになっているから、彼女は実際に僕らがどんな仕事をしているのかなど知りもしない。もっとも、昨晩、世界の裏側まで行って人を殺してきたといっても、信じてもらえないだろうが。

「いやいや、大変だったんだ。何せ一晩中、なんの実験に使うんだかも分からない銀の板を延々と磨かされてさあ」

 それ以上、特にジェシカ嬢と交わす言葉も思いつかない僕とは違って、アダムスはそんな風に彼女と世間話を始めた。女性と会話するチャンスを決して見逃さないヤツなのだ。妻子持ちのくせにそれでいいのかとたまに思う。しかも会話の内容は真っ赤な嘘だ。「大変ねえ」とジェシカ嬢が労ってくれているが、毎度、毎度、アダムスが妙な嘘をつくせいで彼女から術技士にこき使われている可哀そうな平職員だと思われていることにこいつは気付いているのだろうか。

「なあ、ウィル?」

 とはいえ、本当のことを言うわけにもいかず。笑いながらジェシカ嬢と話しているアダムスの背中をじとっと睨みつけていると、突然、彼が僕に振り向いた。

「え?」

「確か、今度の土曜は非番だったよな?」

 話を聞いていなかったため聞き返した僕に、アダムスがそう尋ねる。僕は頭の中でスケジュール帳を開いてから、「そうだよ」と頷いた。

「その日って、なにか予定がある?」

 今度はジェシカ嬢から訊かれた。

「休むよ」

 休日なのだから、当然だろう。そう思って答えた僕にジェシカ嬢はなにやら困ったような笑みを作ってアダムスを見る。

「その日、お前さんが暇なら、ジェシカ嬢が一緒にホテルに行きたいってよ」

「ちょっと!!」

 にやにやしながらそんなことを言ったアダムスに、ジェシカ嬢が受付の椅子から立ち上がって大きな声をあげる。それに、エントランスにいる何人かがこちらを見た。ジェシカ嬢は恥ずかしげにゆっくり椅子へ腰を下ろすと、気を取り直したように咳払いをした。

「もう。変な言い方をするのはやめてよね」

 怒ったように唇を尖らせる彼女に、アダムスは「悪い悪い」と悪びれた様子もなく謝った。

「違うのよ、ウィル。ああ、いえ、違うわけじゃないのだけれど。その、最近、家の近所に新しいホテルが出来て。そこのビュッフェがとても美味しいらしいのだけど、一人じゃ行きずらい、っていう、話をしていたの」

「はあ」

 何やら歯切れ悪く説明する彼女に、僕は取りあえず相槌を打つ。

「で、その。今度の土曜日って、私も休みなんだけど」

「そうなんだ」

「だから。その、良かった、なんだけど……一緒にどう?」

「どう、って?」

「だから、そのホテルで一緒に食事でも」

「ああ」

 なるほど。そこでようやく僕は話の流れに追いついた。

 つまり、最近、家の近くにオープンしたホテルの食事がとても美味しいと話題だが、中々一人では行きづらい。だから、誰か一緒に行ってくれる人を探していると。けれどアダムスは家族がいるから誘いづらい。そこで、僕というわけか。

「まあ、別に構わないけど」

 食事に付き合うくらいなら、と僕は答える。しかし、誘うならもっと他に人がいるんじゃないか。そう続けようとした僕を。

「本当!?」

 酷く嬉しそうなジェシカ嬢の声が遮った。

「それじゃあ、あの。予約を取っておくわ! ええと、ランチ、と、ディナーもあるけど……ま、まあ、ランチよね。まずは。十二時くらいでいいかしら?」

「いいよ」

 捲し立てる彼女の勢いに押されて、僕は思わず頷いた。ふと横を見ると、アダムスがなんとも微笑ましそうな、それでいてどこか焦れているような、そんな笑みで僕らのことを見ていた。

「なんだよ」

「いや。ディナーじゃなくていいのかと思ってさ」

 聞き返した僕に、彼がそう答える。

「だって、せっかくのホテルだろ?」

「何考えてるのよ、もう!」

 なにか含むものがあるような言い方のアダムスに、ジェシカ嬢が再び大声を出した。怒ってように拳を振り上げる彼女に、アダムスが笑いながら謝る。まったくいつものことながら、仲が良い。

「それじゃあ、また明日」

 ジェシカ嬢に見送られて、僕らは研究所の外へ出た。それぞれ家が逆方向なので、ゲートを出たところでアダムスとは別れる。彼は家族の下へ、そして僕はアパートの自室へ。それぞれ帰ってゆく。

 これが僕の、先進魔導戦開発グループでの日常だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る