第6話

 長老はしばらくの間、思いつく限りの罵詈と雑言を僕にぶつけた。それは途中から彼らの言葉になってしまい、何を言っているのかいまいち理解できなくなってしまったが。それでも捲し立てるその語気の荒さから、おおよその見当は付いた。悪魔、人でなし、地獄へ落ちろ。まあ、そんなところだろう。

 僕の行動を、人格を、全てを否定して糾弾する言葉の嵐。少しくらいは傷つくべきなのかもしれないが、抑制されている僕の心はそんな言葉を浴びせかけられてもどこ吹く風だ。本来は許容量を超えた恐怖や興奮から兵士の心を守るための、感情抑制暗示の副作用ともいえる。

 さて。もう少し罵倒されていたいところなのだけれど、残念ながら任務には制限時間がある。もうそろそろ突入してから十五分が立つ頃合いだろう。外で待っているアダムスたちがやきもきしているかもしれない。

 僕は名残惜しみながらも、ナイフを握る手に力を込めた。殺気を感じ取ったのか。ほぼ同時に老人の口が呪いの言葉を紡ぎ始める。呪文を唱え終わるよりも先に、僕はその喉を掻き切った。迸る血を避けるように首に回していた手を素早く解いて、老人の背中を蹴り飛ばす。ごぼごぼと自らの血に溺れながら、老人は壁に勢いよく激突した。続けざまに僕は杖を構えると、ずるずると床に沈んでゆく老人の喉元めがけて呪いの弾を数発撃ち込んだ。キン、という硬質の音とともに結晶化した魔力の弾丸が老人の細い首に風穴を空ける。わざわざそうしたのは、ナイフによる致命傷を隠すためだ。魔法使いをナイフで殺せる人間はそうそういない。僕らのように特殊な訓練を受け、特殊な装備を持つ軍人か。或いはそれに類する殺し屋でもない限り。だからもし、このままナイフで喉を切り裂かれた老人の遺体を残してゆけば、それを発見した彼の遺族は真っ先に対立しているアメティカ軍の仕業と疑うだろう。

 もちろん、それは紛うことなき事実であり、たとえ死因がなんであれ長老が殺されているのを発見すれば彼らは間違いなくアメティカに疑いの目を向けるだろうが。しかし、魔法による殺人だったという証拠を残しておけば、一族の内紛というストーリーを作ることができる。アメティカにはそうした作り話を実しやかに語る訓練を受けた者が大勢いるのだ。

 というわけで、ナイフによる刀傷を結晶の呪弾による傷で上書きしようとしたのだが。っしかし、老人の首は僕が思っていたよりも脆く、数発撃ち込んだだけで頭がもげてしまった。

「おっと」

 しまった。ここまでするつもりはなかったんだけどな。そう思いながら、僕は血塗れの惨劇染みた部屋に転がる老人の身体と、その傍らに落ちた頭部を見下ろした。死亡しているかどうかの確認は必要なさそうだった。


 さて。任務は達成した。後は帰るだけだ。気分を切り替えて顔をあげた僕は、部屋の入口に突っ立ったままこちらをじっと見ているラトレルと目が合った。明らかに、いま僕がこの老人に対して行った一連の行為について、一言物申したいといった様子だ。彼が僕にどんなことをいうのか興味はあるのだが、今はそれを聞いている時間がない。あと三十秒で、ここに突入してから十五分経ってしまうからだ。

「標的の死亡を確認した。今から外に出る」

 僕は交信装置のスイッチを入れると、至ってなんでもない声でそう報告した。

「遅いぞ。なにしてた」

 すぐにマイクの向こうで顔を顰めているアダムスがありありと思い描ける声が返ってくる。それに「ちょっとな」と応じつつ、僕は部屋の出口へ向かった。ラトレルの横をすり抜ける際に、行くぞとその肩を軽く叩く。建物を出てアダムスたちと合流した僕らは、そのまま街を脱出し、事前に当たりをつけておいた脱出地点へと急いだ。その間、ラトレルはずっと何か言いたげな顔で僕を睨んでいた。彼の様子がおかしい事にはアダムスとフリッツも気付いていたようだが、何も言わなかった。


 僕らが脱出地点に選んだのは周囲を小高い丘に囲まれている窪地だった。転移陣は夜明けを待って起動させる。転移陣が起動する際に放つ強烈な閃光を、朝焼けに紛れ込ませるためだ。

「大尉」

 周辺の安全を確認し、後は夜明けを待つだけという段になって、ラトレルが声をかけてきた。

「どうした。少尉」

 僕は白々しい態度で彼に応えた。

「大尉、何故あんなことをしたのですか」

「あんなこと?」

「わざわざ標的と言葉を交わす必要はなかったと思います」

 惚ける僕に、ラトレルがそう詰め寄る。

「正しく標的かどうか確かめる必要があった。相手を間違えたりしたら大変だろう?」

 もちろん、万が一相手を間違えたところで、存在を知られた以上生かしておくわけにはいかないのだが。そんな子供でも見抜けるような惚け方をする僕に、ラトレルはますます顔を渋くさせる。

「それともう一つ。実際の魔法使いとの戦い方ってやつを君に見せてやろうと思ったんだよ。勉強になったろ?」

「何をっ……」

 ラトレルは信じられないものを見るような顔で絶句した。しかし、それも束の間。彼は一度大きく息を吸いこんで続ける。

「大尉は今回の任務が正しいものだったと思えますか」

「任務に疑問があるのか」

 僕は意識して高圧的な声を出した。それにラトレルはまずムッとした顔になり、次いで戸惑うような表情を浮かべ、最後になにかを決意したかのように口を引き結ぶと言った。

「大いにあります」

「大した覚悟だな」

 脅すように応じつつ、僕は心の中で「いいぞ、いいぞ」とこの若い少尉にエールを送る。

 僕には今、ラトレルが何を考え、なにを感じているのかが手に取るように分かった。士官学校を卒業したばかりの、アメティカが掲げる正義と理想を信じ切っているこの純粋な若者は、先ほど目の前で行われた許されざる殺人に怒りを抱こうとしたのだ。けれど、暗示によって感情が抑えられているため、その怒りが湧いてこない。先ほどの戸惑ったような表情は、怒るべきなのに怒れないという、初めての感覚に対するものだろう。

「正直、自分にはあの老人を殺害することに正当性を感じられませんでした」

 感情の抑制された平淡な声で、けれどラトレルははっきりと言った。

「何を今さら」

 心の中では頑張れ、頑張れと繰り返しつつ、僕は鼻を鳴らした。生憎、今の僕はこの場の指揮官だ。だから、たとえ本心がどうであれ、任務の正統性を疑うような発言をするわけにはいかない。

「君が何をどう考え、どう感じようとも勝手だが。しかし、任務が正しいかどうかは僕らが判断すべきことじゃない。僕らは命じられた。だから実行した。それだけだ。それに、事前に知らされていたはずだぞ。この部隊は時に非合法な任務にも従事することがあると。君は納得して入隊したはずだ」

「それはっ……」

 どこまでもクソったれの指揮官を演じる僕に、ラトレルが否定の声を張り上げた。意識してそうしたのだと分かる、如何にも作り物っぽい怒鳴り声だった。自分でもそう感じたのか。ラトレルは一つ息を吐くと、静かに続けた。

「非合法な行為と、非道徳的な行いは必ずしも両立するものではありません」

「もちろん、理解しているよ。けれど、道徳的な行いが常に合法とは限らない」

 涼しい顔で応じる僕に、ラトレルはますます顔を険しくさせた。

「貴方に良心はないんですか」

 ラトレルが低い声を出す。あの手この手で懸命に怒りを模倣しようとしているこの若者が、僕は愛おしくて堪らなくなった。もしも、僕が「そんなものはない」と答えたらどんな顔をするのだろうか。やってみたい衝動を抑え込みつつ、僕はクソったれの指揮官であり続ける。

「もちろん、人を殺すのはいけないことだ。命を奪うのはいつだって辛いし、悲しい。けれど、これが僕らの仕事なんだ」

 想像していたのとは違ったか、と。僕は育ちのいいお坊ちゃまを嘲るチンピラのような笑みで尋ねる。それとも、今回の標的が無差別破壊テロでもしでかしたような、分かりやすい連中だったらよかったのか。けれど、そういった連中を吹っ飛ばすのは陸軍か海軍の対テロ部隊の仕事で、僕らのところへ持ち込まれるのはいつだってギリギリアウトな案件だけだ。そりゃそうだろう。表立って敵対している相手なら、わざわざ暗殺なんて薄暗い方法を取る必要なんてない。

 それに、あの老人は口では自分は穏健派だといっていたが、それが真実であるかどうかを確かめる術などない。もしかしたら裏ではせっせとアメティカと戦うための準備を進めていたかもしれない。もう一つ言えば、彼の一族の中にアメティカを敵視している者が多いのは事実なのだ。中には湧出地から得られる豊富な魔力を使って、周辺国に駐留しているアメティカ軍へ攻撃を仕掛けようと企んでいる者だっているかもしれない。そんな危険な連中を放っておくわけにはいかないのだ。

 そもそも、絵に描いたような悪党というヤツはこの世のどこにも存在しない。そんなものは物語の中だけだ。どんな悪行をやらかしたヤツであれ、それなりの正義と論理を持っている。少なくとも、僕がこれまでに出会ってきた連中はそうだった。

 だから、よく考えてみろと。僕は新品少尉を微笑ましく見守るような顔で、ラトレルに今夜の任務の意義を説く。

 あの族長の死によって、残された彼の一族がアメティカに攻撃を仕掛けてくるようなら、仕方ないが戦うしかない。そうではなく、これまで通り一族が大人しくしていてくれるのなら、良し。族長の死によって一族の統率が乱れ、アメティカと敵対している場合ではなくなるのなら、なお良し。けれどその結果、内戦でも起きてあの土地の治安が乱れるようなら、アメティカは安全保障的にも人道的にも介入せざるを得なくなるだろう。この地域でも一、二を争うほど有力な魔力湧出地を、そんな不安定な状況に置いておくわけにはいかないからだ。

「反アメティカであれ、なんであれ。危険な思想を持つ者に有力な魔力湧出地を支配する実権を握らせるわけにはいかないんだ。湧出地から得られる莫大な魔力は多くの人々の生活を豊かにすることができる一方で、使い方を間違えば核爆弾にもなってしまう危険なものだからな」

「カクバクダン?」

 僕が口にしたその単語を、ラトレルが何のことかと顔を顰めて反芻した。それに僕は、しまったと口元を手で隠す。思わずあの小説によく出てくる言い回しを使ってしまった。ファンでもなければ、核爆弾というものがどんなものかを知っているはずもないのに。そのせいで、僕が大真面目な議論の最中にとんでもなく場違いなジョークを口にしたかのような雰囲気になってしまった。

「強力で、破滅的な使い方もできるという意味だ」

 僕は咳払いをして、そう言い直した。フリッツが今にも吹き出しそうな顔で空を仰いでいるのを、僕は見逃さなかった。アダムスはといえば、将校の会話には口出ししないという上級曹長の地位に相応しい無関心さを発揮して、さきほどから自分のつま先と見つめ合っている。

「けれど、アメティカがあの場所を管理するようになればそんな心配もなくなる。それどころか、あの街に住む人々はようやく魔法使いの支配から抜け出し、魔導文明の恩恵を享受することができるようにもなる」

 それはつまり、アメティカが目指す自由で平等な世界に一歩近づくというわけだ。

 清いだけでは大義は成せない。時には汚い手を使わねばならないこともある。だから、僕らのような者がいるのだ。

 とはいえ、一応部隊の名誉のために付け加えておくが、いつも標的がああいう老人だというわけではない。むしろ、今回はかなりのレアケースと言える。僕らが殺すの大抵、本気でアメティカを月まで吹っ飛ばそうと考えているが、まだ実際には行動していない連中だからだ。

「つまり、今夜の僕らの働きは、間違いなく世界平和に寄与したわけだよ」

 ついでに、アメティカのさらなる繁栄にも。心の中でそう付け加える。

 暗殺という汚れ仕事をこなす自分たちを正当化する言葉をラトレルに滔々と説きながら、けれどその実、僕はこの若い彼がその全てを否定してくれることを心のどこかで期待していた。

 何故か。僕だって、好き好んでこんな仕事をしているわけじゃないのだ。

 やあ、大尉。ちょっとこの男を殺してきてくれないか。理由? ああ、コイツは我々が目指す自由で平等な世界の実現を邪魔する糞野郎だからさ。それじゃ、よろしく。

 そんな風に軍から命じられた時、それを否定しうるだけの正統な理由があるのだとすれば教えて欲しかった。

 だから、僕はラトレルの返答を静かに待った。

 士官学校を首席で卒業し、すぐアメティカ軍の中でも最高機密の一つである特殊部隊の隊員に選ばれるような優秀な彼ならば。もしかしたら、それが思いつくのではないか。そう期待して。

 けれど。

「それでも、こんなことは間違っている」

 ラトレルが絞り出したのは、そんなありきたりな答えだった。

 そんなことは分かっているよ。僕は焦れた。

 だから、その先が知りたいんだ。正しさなんて立場や見方によって容易にその姿を変えてしまう。それを知ってなお、己の真実と正しさを貫くことのできる者だけが正義という旗を掲げることができるのだ。

 僕にはない。だがきっと、彼にはある。

 だから教えてくれよ。僕は心の中で目の前の若者に懇願する。彼が心の底から信じてきたアメティカの大義名分、万民を支配から解放するという理想。それがそっくりそのまま、殺人を正当化するためのロジックに使われているという、その事実を今夜、僕は彼に教えてやった。

 だから代わりに教えてくれ。

 このまま殺し続けていった先に、本当に全ての人間が自由で平等な世界が待っているのか。本当はもっと別のやり方があるんじゃないか。

 僕を間違っているというのなら、何が正しいのかを僕に教えてくれよ。

 けれど、そんな僕の心の叫びにラトレルは遂に応えてくれなかった。彼がその答えを出すよりも先に、夜が明けてしまったからだ。

「さて。それじゃあ帰ろうか。少尉、初任務完遂、おめでとう」

 落胆を隠しつつ、僕は激励するようにラトレルの肩を叩く。

「こんなことが許されるはずがない」

 起動を始めた転移陣に踏み込んだ僕の後ろで、ラトレルがそう呟くのが聞こえた。

 僕はアダムスと顔を見合わせて、肩を竦める。こりゃ駄目だな、というようにアダムスが片方の眉を持ち上げた。僕はそれに頷きつつ、足元から発せられる閃光に目を閉じた。

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