第5話

 密やかに街の中へ潜入した僕らは、住民たちに見つからぬよう細心の注意を払いつ目標の建物を目指した。細心の注意とはいっても、足音はブーツが勝手に消してくれるし、足跡も残らない。僕らが着用している戦闘法衣には特に夜間の視認性を著しく低下させる隠蔽の魔法迷彩が施されているため、目の前にでも断たない限り姿を見られるということもない。それでももちろん、道のど真ん中を歩くような真似はせず、建物の影から影へと縫うように進んでゆく。

 やがて、街の中心部にあたる十字路へ出た。その一画に面している大きな石造りの建物が今夜の目的地だ。巨岩をそのままくりぬいて造られた礼拝堂のような建物だった。恐らく、これも滅んだ古代の帝国による魔法建築の遺物なのだろう。時の流れから切り離された外壁にはいかにも旧時代的というか、伝統的な装飾が施されている。確か、こういうスタイルを地球ではオリエンタル風というのだったか。そんなことを考えながら、僕は建物をじっと観察する。情報によれば、この礼拝堂は普段、この土地を支配している魔法使い一族の有力者たちが会合の場として使っているらしい。今夜はその会合も行われていないが、標的である族長はそれでも普段からここに詰めているのだという。その仕事熱心さが仇になったというわけである。


「突っ込むか、潜り込むか。どうする?」

 通りを一つ挟んだところから目標の建物を窺っていると、アダムスからそう訊かれた。それにちょっと待てと答えてから、僕は光術バイザーのディスプレイ上に街の偵察情報を呼び出した。礼拝堂を上空からとらえた部分をズームアップして、魔法探査による透視映像に切り替える。すると、ディスプレイ上に礼拝堂の立体的な透過映像が映し出された。大昔の魔法を使って造られた建物は魔法的であれ、物理的であれ破壊はほぼ不可能だが、透視妨害などの防壁は施されていないことが多いのだ。映像によれば、建物は入ってすぐの礼拝堂部分は吹き抜けになっているが、奥側は三階建ての構造になっている。大部分を占める一階部分と鐘楼になっている三階分は無人だが、二階の西側最奥にあたる小部屋に人らしき反応が一つあった。

「結界やその他魔法的防御は?」

「感じ取れません。施錠もされていないようです」

 建物に目をやりつつ、フリッツが答えた。

「随分と不用心だな」

 本当か、と疑うようにアダムスが眉を顰める。

「その分、頑丈ですよ。魔法がかけられてからかなりの年月が経っているでしょうから。壁に穴をあけるのも、傷をつけるのも無理です。いざとなれば入り口を封印してしまえばいいと思っているんでしょう」

「つまり、強行突入はできないと」

 確認した僕に、フリッツは頷いた。魔法というのは一度かけられてから年月を経るごとにどんどん強くなるのだという。神秘性が増す、ということらしいのだが、やはり魔法使いではない僕にはいまいち理解できない。


 透過映像と実際の建物を見比べてから、僕は作戦を決めた。屋内への突入は僕とラトレルでやる。アダムスとフリッツには周辺を警戒しつつ、退路の確保をしておいてもらう。ほんらいであれば魔法による戦闘支援を行えるフリッツか、歴戦の特殊部隊員であるアダムスを連れて行ったほうがいいのかもしれないが。しかし、屋内での接近戦となれば支援魔法も大したアドバンテージにはならないし、何より今のフリッツには使い魔へ指示を出すという仕事もある。これ以上、彼のタスクを増やしたくはない。アダムスを残してゆく理由はもっと単純で、もしも僕になにかあれば、彼がチームの士気を引き継がなければならないからだ。まあ、人選の理由はそれだけじゃなく、いい機会だから新人に経験を積ませてやろうという老婆心もあったりする。


「存在を気取られないように、標的を始末するまでは星辰波交信もオフにする。もし十五分経っても僕からの連絡がなければ、その場合は本部に指示を仰げ」

 アダムスとフリッツにそう言い残して、僕はラトレルを連れて通りを横切った。施錠されていない上に侵入を検知する結界すら張られていないのだから、入るのは堂々と正面玄関からだ。というか、礼拝堂だからか、それとも施錠という概念すらない頃の建物なのか。入り口には扉すらなかった。なんとも不用心な、とは先ほどアダムスも言っていたけれど。しかし、考えてみればここは敵の本拠地なのだ。相手にしてみれば、この街の中でなにかを警戒する必要などないと考えていても不思議なことじゃない。

 屋内へと踏み込むと手前から奥へ向かって横長の椅子が等間隔で置かれており、正面奥に女性を象ったと思しき石像が安置されていた。なんの変哲もない礼拝堂といった雰囲気だ。僕らは息を潜めながら壁際に沿って奥へと進み、階段を上がって二階へと出る。そこからまっすぐ伸びている通路の突き当りにある部屋から、明かりが漏れていた。魔法探査で人の反応がったのと同じ部屋だ。

 ラトレルに視線で合図を送ってから、僕はゆっくりとその部屋に近づいた。やはり、扉は付いていない。中を覗き込むとひょろりと痩せた老人の後姿があった。書類が散乱する文机の上を整理しているところのようだ。入り口に背を向けたまま、僕らに気付く様子もない。

 確実に標的かどうかを確かめるため、僕はしばらくその老人を観察した。しばらくすると、老人が顔を横に向けた。その横顔の特徴は資料にあった標的の写真と一致する。

 間違いないようだ。僕はゆっくりと杖を構えた。魔法の杖を一振り、とは魔法使いたちがよく使う言い回しだが、現代の杖は振る必要がない。目標に狙いをつけて、トリガーをちょいと引いてやればマガジン内に圧縮充填されている精製魔力が一発分だけ杖身内に流れ込み、杖先から呪いの弾を吐きだしてくれる。気が遠くなるほど呪撃訓練を繰り返してきた僕なら、この距離で外すことは絶対にない。頭でも、頸椎でも心臓でも、一撃で確実に息の根を止められる。

 冷静に老人へ死を突きつけながら、ふと横に目をやるとラトレルの緊張した面持ちがそこにあった。人が人を殺すところを見るのも、人が死ぬのを見るのも初めてなのだろう。と、そこで僕の中でちょっとした悪戯心が芽生えた。

 ちょうどいいから、この新入りに一つ、魔法使いの殺し方をレッスンしてやろう。


 杖を下ろした僕をみて、ラトレルが不可解そうな顔をした。そんな彼に小さく微笑みかけると、僕は肩に括りつけてあるナイフを鞘から引き抜くと部屋に踏み込んだ。素早く老人の背後へと駆け寄り、その首に腕を回すと喉を強く圧迫する。完全に虚を突けたようだ。腕の中で老人が身体を硬直させ、次いで激しく咳き込んだ。それでも僕は容赦なく、さらに腕で老人の首を締め上げる。これでしばらくはまともに発声できないだろう。魔法使いを拘束する際には、まずもって口を塞ぐか喉を潰すかして声を奪わなければならない。でなければ、身体の自由を奪ったとしても呪文で反撃されてしまうからだ。

 僕が締め上げている老人ごと、くるりと部屋の入口側に体の向きを変えた。そこには唖然とした顔でこちらを見ているラトレルがいる。そんな彼の目の前で、僕は老人の喉元にナイフを突きつけた。

「ゼノ・アルザークだな」

「アメティカ人か……っ」

 老人はしばらく咳き込んでから、ようやくのことでそう言った。

「私を殺しに来たのか」

 声は酷く潰れていて苦しそうだが、意外にも落ち着いた反応だった。

「質問しているのはこちらだ」

 僕は有無を言わせぬ口調で、老人の喉にナイフの刃をぴたりと当てた。それでも彼は大した動揺もみせない。

「まさに。ゼノ・アルザークは私だ」

 老人が自らを、この地を治める一族の長であると認める。今さら気が付いたが、彼が話しているのは流暢な西方公用語だ。なるほど。一族を治めているだけあって、それなりの教養を身に着けているらしい。

「なるほど。空に妙なものが迷い込んでいると思っていたら、そういうことか。君らだろう。噂に聞く、アメティカの暗殺部隊というやつは」

「そんな噂があるとは知らなかった」

 僕はそう嘯く。確かに僕らの存在は極秘だ。けれど、実在する以上、活動の結果は現実として残る。もちろん証拠は残していないし、そんな派手にやっているつもりもないけれど。それでも反アメティカを表明している魔法使いが相次いで死ねば、アメティカには影の暗殺部隊がある、という陰謀論の一つや二つ、囁かれることがあっても不思議はない。

「しかし、君は狙う相手を間違えているのではないかね」

「なに?」

 暗殺者に凶器を突きつけられているとは思えないほど、奇妙な落ち着きに満ちている彼の言葉に僕は思わず聞き返す。

「私は若い者たちのようにアメティカと争おうなどとは考えていない。もちろん、聖地を明け渡すつもりもないが」

「へえ、そうか」

 僕は適当に頷いた。心底どうでもよかったからだ。たとえ彼から何を聞かされたところで、僕のやることは変わらない。この老人の死はもう決定されたことなのだ。そんな僕に老人は続けた。

「私を殺せば、若者たちを抑える者がいなくなる。明日にでも戦争が始まるぞ」

 それは脅しのように聞こえるけど、実は懇願しているのだと僕には分かった。たぶん、彼はアメティカと戦争になればこの国がどんな有様になるのかを正しく予想できている。

「ああ、なるほど」

 だから、僕は老人の言葉に納得した。決して同意したわけではない。今夜、僕らがこの老人を殺すように命じられた理由が分かった様な気がしたからだった。

 軍の作戦行動は全て、国民の総意に基づいて行われると僕らは教わる。圧政に苦しむ人々を救うのも、独裁者を倒すのも、飢えた人々に食料を届けるのも、それを邪魔する悪党どもを皆殺しにするのも、全ては万民が自由で平等な世界の建設を目指すアメティカ国民の総意であると。

 であれば、僕らのこの仕事もまた国民の総意に基づいたものであるはずだ。

 ただし、平和調停や人道支援のための軍事介入がアメティカ国民の善意によって行われているものであるとすれば、僕らの任務はその真逆。悪意によるものだろう。

 それは誰もが我知らずに抱くことのある、利己的な悪意。あいつさえいなければ、自分が一番なのに。あの子さえいなければ、自分の思い通りになるのに。そんな、口には出さずともふとした拍子に思い浮かべてしまう身勝手な願望。それを人知れず実現させてやるのが、僕らの仕事なのだ。

 

 だから、僕はアメティカ国民の悪意の権化に相応しい邪悪さで老人に囁いた。

「望むところだ」

 と。それは明日にでも戦争が始まるぞという彼の言葉に対する返答だ。

 僕らは貴方たちに攻撃して欲しいのだと。

 そうなれば、どうなるか。これまで、彼の一族はこの地域に駐留するアメティカ軍の活動を非難しつつも、決して一線は超えてこなかった。他の連中のようにテロ行為を行うことも、それをこっそりと支援するようなこともしなかった。だから、アメティカ軍も実力行使に打って出るわけにはいかなかったのだ。

 それはどうやら、この老人が血気に逸る若者たちを抑えつけていたかららしい。ならば、この老人が死ねばどうなるか。若く純粋で、そうであるが故に過激な思想を抱く若者たちを抑える存在がいなくなり、暴走した彼らがアメティカ軍に対して攻撃を仕掛けてくれれば。アメティカは晴れて、この国へ侵攻するための大義名分を得ることができる。大手を振って彼らを撃滅せしめることができる。

 それはつまり、これまで外面を憚って直接手出しすることのできなかった有力な魔力湧出地の一つをアメティカの管理下に置くことができるということだ。如何にも、どこかの欲深い議員やら、政府の高官やらが望みそうな展開であり、同時にこの僕ですら思いつくことのできる筋書きだった。そしてそれが、部族の長として一族を纏め上げてきた賢い彼に分からないはずもない。

「まさか」

 老人が愕然と呟いた。

「君たちは正気なのか」

 震える声で問う彼に、僕はさあねと薄く笑った。相手の感情を逆なでにするような態度はもちろん、わざとだ。

「貴様っ!!」

 効果は覿面だった。それまでの落ち着きはどこへやら、老人が激高した。限界まで首を回して、血走った目を僕へ向けている。

 当然の反応だろう。僕はいま、この国を、ここに住む人々を、その生活を、その人生を、全て滅茶苦茶にしてやると言ったのだから。

「そこまで分かっていながら、なお私を殺そうというのか!? 貴様に人の心はないのか、この――」

 途轍もない罵詈雑言が老人の口から吐き出された。その叫びには、感情を抑制されている今の僕には決して抱くことのできない生の怒りに満ちていて。

 ああ。僕はその怒声にうっとりしてしまう。これから殺す相手に、その理由を。しかも最低でクソったれな理由をわざわざ説明するなんて、なんて悪趣味なヤツだと思われるかもしれない。

 けれど、こうでもしないと誰も僕を叱ってくれないのだ。

 流されるがままに軍隊へ入り、命じられるがままに戦い、人を殺す。確固たる信念があるわけでも、高邁な理想があるわけでも、狂信的な愛国者というわけでもなく。それでも任務を命じられる限り、僕はあと何度でもこれを繰り返すのだろう。そして、そんな自らの行いに疑問を抱きはしても、大した罪悪感に悩むこともない。

 要するに僕は人間の屑なのだ。軽蔑され、罵られて然るべき人間なのだ。

 こんな僕は誰かに叱られなければならない。

 けれど、僕の周りにいる人たちは誰一人として僕のことを叱ってなどくれない。どころか、上手く殺せば殺すほど称賛される始末だ。ならばせめて、これから殺す相手にくらい思う存分罵ってもらいたいと思うのは、おかしなことだろうか。

 もちろん、自分の子の行為が信じ難いほど傲慢で、救いようのない愚行だと分かってはいるけれど。僕はいつも、この誘惑に勝つことができない。

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