第4話

 前半に大きく時間を稼げたおかげで、後半は比較的のんびりとした行軍になった。荒野は見通しが良く、人工使い魔による空中偵察もあって、こちらよりも早く敵に発見される心配はほとんどない。だからといって気を緩めすぎるということはないが、肩ひじ張らずに済むというのはそれだけで余計な体力や神経を使わなくていいからありがたい。行軍中もアダムスが軽口を叩くのを止めないのだけは閉口ものだったが。

 それにしても、アダムスは任務中でもよく笑う。それに僕は呆れを通り越して、感心してしまう。僕らのような特殊部隊員は任務の前に感情を抑制するための暗示処置を受けている。命の危険が差し迫った極限状態の中で冷静さを保ち続けるためには、強い感情というものが邪魔になるからだ。恐怖や怒りのみならず、喜びや楽しさといった感情でさえ、切羽詰まった状況では判断を鈍らせる。だから、危険な任務に従事することの多い特殊部隊員は任務の前に必ず、この手の暗示処置を受けることが義務付けられていた。

 もちろん、暗示処置を受けたからといってまったく感情が無くなるというわけではない。軍も兵士を心無い魔導人形(ゴーレム)扱いするほど冷酷ではなかった。単に、いつもよりも感情の起伏が平坦になるだけだ。だとしても、笑うほどの可笑しさを感じることなどできないはずだ。

 だというのに、アダムスはそんな暗示になどかかっていないかの様に屈託のない自然な笑みを浮かべたり、時にはくすくすと笑い声をたてている。それは恐らく、彼の中でこうした時には笑うべきだという習慣づけが成されているからだろう。だから、実際には笑うほどの可笑しさを感じていなくても笑うことができる。愛想笑いというよりは、条件反射のようなものなのだが、それにしたって僕には真似できない。彼のおかげで、感情抑制下での任務中はどうしても暗くなりがちなチームの雰囲気が悪くならないというのはまあ、良い事なのだろう。そう思うからこそ、よほど大きな声を出しでもしない限り、僕もアダムスを強く注意したりはしなかった。


 荒野をさらに進み、真夜中も過ぎようかという頃。ようやく、今夜の目的地が僕らの目の前に現れた。

 それは乾いた大地のただ中に突如として湧きでた湖の畔に寄り添うようにして佇む、古い古い街だった。三日月型をした湖に抱かれるようにして築かれた街は、多くの建物がレンガと漆喰で造られている。その建物のほとんどが風と砂、そして昼間の強烈な太陽光線に晒されて風化しつつある中、街の中央に建つ寺院のような建物だけがまるで時の流れから取り残されたかのように、新築同然の真新しさを残していた。間違いなく、魔法を使って作られたであろうその建築は、かつてこの一帯を支配していた巨大な古代魔法帝国の名残なのだという。北の山岳地帯から南の砂漠地帯まで、広大な地域を支配していたと伝わるこの古代帝国について分かっていることは少ない。分かっているのは優れた魔法技術を持っていたことと、そしてある時を境に忽然と歴史から姿を消してしまったということだけだ。といっても、こういった話はこの世界の歴史では珍しいことではない。どころか、優れた魔法技術を持った巨大な国家が一夜にして滅亡したという話は世界中で良くある話だった。国中の人間が姿を消したという伝承から、国中に燃え盛る硫黄の雨が降り注いだとか、街が住人ごと塩の塊に変わったというもの、極めつけは国ごと異界の扉に飲み込まれてしまったというものまで。滅亡のバリエーションは多彩であるが、何の前触れもなく、ある日突然ぱったりと滅んでしまったと伝わっている点だけがどこも共通している。

 まあ中にはほとんど神話のような話も混じっているとはいうが、ともかくかつて栄えた国の多くがその痕跡だけを残してぱったりと消えてなくなってしまったというのは事実であるらしい。実際に何が起きたのかは未だに解明されておらず、歴史学者たちは史実の究明と忘れ去られた魔法の探求に血道をあげているという。

と、ここまでいっておいてなんだが、僕のような軍人にはあまり関わりのない話だ。門外漢による歴史の講義はこれくらいにしておこう。


 使い魔に街を上空から偵察させている間。僕らは街から少し離れた丘の上に伏せて突入前の最後の休憩を取っていた。

「妙なものですね。ここはこんなにも魔力に溢れた場所なのに、この街の人々は未だあんなにも原始的な生活を送っている」

 使い魔から送られてくる街の映像を光術バイザーのディスプレイ上で確認していると、ラトレルがそんなことを呟いた。いつの間に魔力が感じ取れるようになったのかと思って見れば、魔力計を手にしている。

魔力計は文字通り、周囲の魔力量を計るための道具だ。密封されたガラス管の中に緑色の輝石が封じ込められていて、辺りの大気中に含まれる魔力量が多いほど輝石が明るく輝く。正直、あまり意味がある道具とは言えない。魔法使いならばこんなものがなくても周囲の魔力を感じ取ることができるし、僕のような魔法使いでもない人間からしてみればその場の魔力量の多寡を知ったところでどうしようもないからだ。

 それはそうとして。今、ラトレルの持っている魔力計はその表情が読み取れるほど明るい輝きを放っている。つまり、かなりの量の魔力がこの辺りに漂っているということになる。彼の視線は街の西側にある湖へ向けられていた。ブリーフィングで聞いたところによると、その湖こそがこの土地を治めている魔法使い一族が実効支配しているという魔力湧出地という話だった。

 魔力湧出地に隣接して街が築かれているというのは珍しい事じゃない。むしろ、当然のことと言える。かつては魔法使いが魔法を行使するために。そして現在は都市機能の多くを支える魔導機関を動かすために、その動力源である魔力が滞りなく供給される必要があるからだ。だから、この世界の街は大抵、魔力湧出地の近くに造られる。それに大規模な湧出地の近くにある都市ほど発展していることが多い。

 しかし、僕らがいま見下ろしている街は、この地域でも有数の魔力湧出量を誇る土地のすぐ脇にありながら、魔力灯の明かりどころか魔法火一つ灯っていない。映像で確認した限り、魔導施設や魔導具の類も一切見当たらなかった。その理由は語るまでもない。あの街を支配している魔法使い一族が、魔道技術の使用を人々に許していないからだ。事前の情報によれば、あの街に住む人々は今もなお、夜明けとともに起きて枯れた大地を耕し、家畜の世話をして日没とともに眠るという暮らしを送っているという。

 本来であれば、もっと発展していて然るべき場所なのに。

 ラトレルはそう言いたかったのだろう。

「だから、俺たちが来たんだろ」

 彼の呟きに答えたのはアダムスだった。魔法の力と知識を独占して人々を支配する悪い魔法使いを倒し、より多くの人に魔導技術の恩恵を分け与える。そのために戦う。アダムスの住む世界はいつだってシンプルだ。

「けれど、まあ。ここが開発されてしまうのは少し惜しい気もしますが。こんなにも自然の魔力に溢れている場所は、アメティカじゃもう珍しいですからね」

 そこにしみじみとした声で割り込んだのはフリッツだった。

「自然の魔力って。そもそも魔力ってのは自然に湧いてるもんじゃないのか」

 そんな彼の言葉にアダムスが首を捻る。

「ええ。まあそうなんですが」

「アメティカの魔力湧出地には大なり小なり精製炉があるからな」

 少し困ったように頬を掻くフリッツの代わりに、僕はアダムスに答えてやった。

「自然のまま湧き出ている魔力と、精製された魔力では感じ方が違うんだ」

「詳しいですね、大尉。その通りです」

 突然会話に割り込んできた僕に、フリッツは「どうしてわかるんですか」と驚いたようだった。

「昔、魔法使いの先生からそう教えてもらった。自然に湧いている魔力にはその土地によって色だとか、匂いのようなものがついていて、魔法使いはそれを一度体内に取り込んで脱色したり脱臭したりしてまっさらな状態にしてから魔法に使うのだってね。その作業を自動化したものが精製炉だとも」

「概ね、その通りの認識で間違いないです」

 感心したようにフリッツが頷く。それに僕は魔法使いでもない自分が偉そうに講釈を垂れていることが急に恥ずかしくなって、なんとなく光術バイザーをオフにすると空を見上げた。任務でアメティカを遠く離れるたびに幾度となく思う。魔法の灯りがない世界はこんなにも暗く。そして夜空にはこれほど多くの星々が輝いているのかと。

 何気なしに見上げた空には、ちょっとびっくりするくらいたくさんの星が瞬いていた。星が降ってきそうな夜、というのはなるほど。こんな夜空のことをいうのだろう。アメティカではもう滅多に目にすることのできない光景に、この土地が開発されるのが惜しいといったフリッツの気持ちが少しだけ分かるような気がした。

「色と匂い、ねえ。いまいち分かんねえな。結局、魔力ってのはなんなんだ」

 夜でも魔力灯の灯りに照らされ、魔法の光文字が躍るアメティカの街からはすっかり失われてしまった自然の原風景に目を奪われていると、アダムスがすんすんと鼻を鳴らしながらそんな疑問を口に出した。

「魔力とはなにか、ですか。それは永遠の謎かもしれませんね」

 フリッツが答えながら、片腕を虚空に向けて伸ばす。その指先に淡い緑色の光が灯った。

「魔力とはなんなのか。太古の昔から、大勢の魔法使いがその正体を追い求めてきました。けれど、未だに明確な説明のできた者はいません。いえ、遥か神代には、我々人間もその正体を正しく知っていたという伝承はありますが。現在では一応、魔力とはこの世のあらゆる物質、存在、そして生命の源になっているものだと考えられています。しかし、この考えも未だ仮説の域を出ていません。なにせ、この説が正しいとすれば、魔力を持たず、魔法を扱うことのできない人間がいることに説明がつきませんから。だから、なんなのか分からない力、というのが本当のところなのです」

 フリッツが説明している間に、彼の指先に灯った緑色の光は炎のように揺らめきながら次第に色を変えた。そして、最後には青白い光となって彼の指先に吸い込まれていったように僕には見えた。

「そんな自分でもなんなのか分からないもので魔法を使ってんのか、お前らは」

 アダムスが納得できないと言い返す。それに自分の指先を見つめていたフリッツは顔をあげると「そうなんですよ」と情けなさそうに笑った。

「そもそも。魔法ってすべてが感覚なんです。どうすれば、どんなことができるのか。それを生まれた時から知っている。けれど、それを言葉にして説明するのは難しい。例えば曹長、自分がどうやって腕や足を動かしているのか。どうすれば物を掴めるのか。どうすれば歩いたり、走ったりできるのかとか、そんなことを一々考えながら身体を動かしていますか?」

「いや。まったくだな。思ったこともない」

 フリッツの問いかけに、アダムスは即答だった。それはそうだろう。僕だってそうだ。でも、そんなことを考えなくても手足は動かせる。つまり、フリッツは魔法使いにとって魔法とはそれくらい当たり前に使えるものなのだと言いたいのだろう。

「そう。言葉にして説明しろと言われても、どう説明したらいいのか分からない。しかも、人によって筋力や関節の柔らかさなんかも違いますから、きっと自分と曹長では同じように身体を動かしているつもりでも、実際の感覚には差異があるはずなんです。そんな感覚を平均化して、どうにかこうにか文字と記号で表したもの。それが魔導式です。だから、未だに魔導式化できていない魔法がたくさんあるわけですね」

「頭の痛くなりそうな話だな」

 いって、アダムスは降参するように両手をあげた。僕も同じ気分だった。そもそも魔法使いでも理解できていないものを、魔法使いでもない僕らが理解することなどできるわけがない。そう思っていると、そこへぴーひょろろという鳴き声が頭上から降ってきた。見上げると、偵察に出していた使い魔が戻ってきている。戦術交信で偵察結果を呼び出すと、光術バイザーのディスプレイ上に街の区画情報が表示された。

「さて。それじゃあそろそろお勉強の時間は切り上げて、仕事に集中しないとな」

 そういって、僕は街に潜入するためのルートをいくつか検討する。情報によれば、目標がいるのは街のほぼ中央にある建物だ。そこまで、街の住民の誰に見られることもなく辿り着かねばならない。

「大尉、大尉。知ってますか」

 顎に手を当てて考え込んでいると、フリッツがそっと近づいてきて話しかけてきた。

「なにをだ?」

 とっておきの秘密を打ち明けるようなその声に、僕はルートを絞りつつちょっとだけ付き合ってやることにする。

「魔力湧出地には、太古の、それこそ神代に生きていたとされる魔力生命体の亡骸が埋まっていると言われているんです」

「へえ」

 その話に僕は素直に感心してしまった。

「アメティカ国内で有名なのだと、北部のイースパルは巨人。東海岸裁断のサイコンダコタはドラゴンだ、なんて言われてます。魔力湧出地とは、そうした超密度の魔力の塊がゆっくりと分解されて湧き出している場所だというのが、現代魔力理学の定説なんです」

「面白いな。石油みたいだ」

 あのファンタジー小説に登場する石油も確か、太古の動植物なんかが地中で分解されて液状化したものだという設定だった。なるほど。あの設定はそこから着想を得たのか。

「ああ、石油ってのは……」

「はい」

 石油なんてあの小説の読者にしか通じない単語だろうと思って説明しようとした僕に、フリッツは何やら意味ありげな笑みを浮かべながら頷いた。

「だから、大尉にも教えてあげようかと」

 そういってふふふと笑うフリッツ。

「ちょっと待て、もしかして君もあの小説の?」

「ええ。生粋の“科学者”ですよ」

 尋ねた僕に、彼はウィンクをして答えた。科学者というのは、あの小説に登場する職業だ。この世界でいうところの魔法使いにあたる存在で、一部の熱狂的なファンたちは自らをそう呼ぶことがある。僕は気恥ずかしくてあまりそういうことはしないが、そう名乗ったということはつまり、フリッツも首までどっぷりと沼に嵌っているということだ。

「実は魔法使いのファンのほうが多いんですよ、あの作品」

「なんで今まで黙ってたんだ?」

 衝撃の事実を口にしたフリッツに、僕は訝しがりつつ訊いた。彼と同じチームになってから、これまで何度も任務を共にしてきたというのに。なんで今までその話が出なかったのか。

「そりゃ、任務中にまでそんな話するヤツはお前さんだけだからだろ」

 話を横で聞いていたらしいアダムスが呆れたように口を挟んだ。

「それに仕事が終わったらいつもさっさと帰っちまうしな、お前」

 言われてみれば確かにそうだと僕は反省した。ならば、今日は帰ったらフリッツと色々話そう。そう決意した僕は、今まで以上に気を引き締めた。久々に巡り合えた同好の士なのだ。こんなところで失うわけにはいかない。

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