第3話

 出発して三十分も歩くと森を抜けた。そこから目的地まではひたすら乾いた荒野が広がっている。ところどころに背の低い草木が茂っているだけで視界を遮るようなものはほとんどない。おかげでこちらより先に敵から発見される心配もなく、僕らはかなり気楽に進むことができた。

 僕らが今夜やってきたのは、地球でいえば「中東」と呼ばれている地域だ。基本的に乾燥した気候で、年間を通して降水量が少なく土地も肥沃とは言い難い。人間が生きてゆくには厳しい環境だ。だからこそ、この土地では未だに魔法使い一族を中心とした部族ごとの自治がまかり通っているのだろう。

 そして同時に多くの魔力湧出地が集中している地域でもある。魔力湧出地とは読んで字のごとく、大量の魔力が湧きだしている土地のことだ。かつては霊場だとか聖域などと呼ばれていたが、今日では一般的にそう呼ぶ。といっても、魔力を感じ取ることのできない僕には魔力が湧きだすとは具体的にどういうことなのか説明することはできないのだけれど。

 そういえば、例のファンタジー小説でも中東は「石油」の採れる場所が集中している地域だと設定されている。石油はこの世界で言うところの魔力の代わりになるもので、魔導技術技によって作られた道具を動かすために魔力が必要となるように、科学技術を使って作りだされた機械を動かすためのエネルギー源になるのだ。石油の多く集まる場所は「油田」と呼ばれていて、地球の中東にはそれが多く集まっている。

 そもそも地球が現実世界をモデルに創作されたのだから当然かもしれないが、こうした地理的条件のせいで昔から紛争の絶えない土地柄であるというのも共通している。

 というのも、この辺りを治めている部族の多くが先祖代々受け継いできたという魔力湧出地を聖地と呼んで力の拠り所にしているのだが、一つの土地に対して複数の部族が所有権を主張していることが多く、それが紛争の主な原因だ。数年ほど前に、アメティカを始めとした複数の大国が紛争地域へ平和調停という名の武力介入を行ったのだが、むしろそのせいで情勢がさらに混沌を極めてしまったような気がしないでもない。親アメティカの近隣諸国に駐留するアメティカとその同盟国の軍隊を、聖地を奪いにきた異教の軍勢と見做した一部の勢力がその矛先をこちらへ向けたからだ。

 まあ、実際アメティカ軍が駐留している国の魔力湧出地はその全てがアメティカの管理下に置かれているから彼ら主張もあながち間違いではないのだけれど。

 要するに、地球の国々が石油を求めて土地を奪い合っているように、現実世界の僕らも魔力を求めて土地を奪い合っているのだ。そのための手段としてしばしば軍事力が行使される点についても変わりはない。まさに世には異なれど、人の愚かさに違いはない。石油と油田の設定にはそんな作者の皮肉が込められているような気がした。


 そんなわけで今夜。僕らに与えられた任務はこの混沌の大地に点在する魔力湧出地の中でも有数の湧出量を誇るという土地を実効支配している、とある部族の長を秘密裡に排除、暗殺することだった。その部族はこれまでも魔力湧出地から得られる豊富な魔力資源を背景に、近隣諸国に駐屯しているアメティカとその同盟国の軍に対して挑発的な言動を繰り返しており、この地における平和の建設への重大な支障となっていたらしい。そこへこの頃、どうもその部族が妙な動きをしているという情報をアメティカの情報機関が入手した。なにやら大規模な行動の準備をしている兆候があるという。しかし、証拠を押さえたわけでも、まだ実際に行動を起こしたわけでもないから、こちらから先に手を出すわけにもいかない。それでは相手に報復という大義名分を与えてしまうからだ。

 そこで僕らの出番というわけだった。


 二時間ほど、ひたすら歩き続けたところで僕らは一旦休憩を取ることにした。手ごろな草むらがあったので、その中に伏せて乱れかけていた呼吸を整える。歩いたといっても、ほとんど駆け足に近い速度でここまで来たのだ。僕も、体力自慢のアダムスも流石に息が上がっていた。と、横でどさりと音がした。僕の隣にラトレルが座った、というか倒れ込んだ音だった。ここまでは遅れずに着いてこれたが、やはり新品少尉にはキツイ行軍だったのだろう。地面の上で大の字になっている。

「大丈夫か?」

 声をかけると、喘ぎながらラトレルは頷いた。声を出すどころではないのだろう。少しいじめ過ぎたかなと思わなくもない。しかし、この程度の行軍に着いて来れないようでは特殊部隊員としてお話にもならない。

 新兵教育の際、教官は新兵たちに「兵隊は走るのが商売」と繰り返し教えるが、それは真実だ。一般社会ではどう思われているか知らないが、戦地に派遣された兵士が到着と同時に戦闘へ投入されてアクション三昧なんてことは、無いとは言わないが、ほとんどあり得ない。戦地へ送られた兵士の仕事はまずもって移動、移動、移動に次ぐ移動の連続だ。それも車なんかがあればいいが、無い事の方が多い。もしくはあっても動かない。結果、己の足に頼るより他になくなる。

 そして、特殊部隊員でもそれは変わらない。いくら転移陣で世界中のどこへでも一瞬で移動できるとはいっても、まさか敵の真横に転移するわけにはいかないからだ。起動中の転移陣はとてもナイーブで、ちょっとした妨害を受けただけでも転移に失敗して大惨事を起こしてしまうとなれば、なおさらそんな危険は犯せない。

 そんなわけで、どれほど神秘が解明されて魔導技術が進歩しようとも、重い装備を担いで目的地まで歩くという兵士の仕事は中々なくなってくれないのである。

 まあ、見通しが良かったおかげでここまではかなりのハイペースで来ることができた。計算が正しければ、行程の半分はもう済んでいる。休憩後は少しペースを落としても問題ないだろう。


「皆さんはどうして軍に入ろうと思ったんですか?」

 テストを突破してきただけあって、すぐに復活したラトレルが休憩中にそんなことをみんなに訊いていた。

「そりゃ決まってます」

 真っ先に答えたのはチョコレートバーを齧っていたアダムスだ。

「かっちょいい戦闘法衣をびしっと着込んで、突撃呪杖を担いで悪い魔法使いをやっつける! それがガキの頃からの夢でしたからね」

 実際に銃を構えてみせながら、アダムスはにかっと笑う。そんな彼を見て、なんてステレオタイプな回答だと僕は呆れてしまう。けれど実際、軍に入隊してくる者の中にはアダムスのような連中が多い。

 なんでかといえば、アメティカの子供たちにとって軍人は人々を苦しめる悪い魔法使いを懲らしめるヒーローだからだ。実際はどうであれ、アメティカの子供はみんなそう教わる。もちろん軍広報の抜かりない宣伝戦略の賜物でもあるのだろうが。

 ためしにアメティカの小学校に行って、将来なりたい職業は何か、と子供たちに訊けば、ほとんどの子が軍人だと答えるだろう。男の子はみんな、いまアダムスが言ったように軍服と呪杖に憧れているし、女の子たちはそんな軍人のお嫁さんになりたがる。何も子供に限った話じゃない。大人だって、相手が軍人だと知れば一定の敬意を示してくれる。問題なく軍役を務めあげた兵士が民間に戻れば、大抵の再就職はうまくいく。それくらい、アメティカ国民にとって軍隊というのは身近なもので、軍人は憧れの的なのだ。


「フリッツ軍曹は?」

 アダムスの入隊志望動機に苦笑いで応えてから、ラトレルは次に少し離れた場所で休んでいるフリッツへ話を振った。

「そういえば、聞いたことなかったな。魔法適性があったんなら、なにも兵士になんぞならなくても良かっただろうに」

「まあ、そうですね」

 茶化すようなアダムスに、フリッツは困ったように頭を掻きながら答えた。

「そりゃまあ、公認魔法使いの資格でも取れば、軍よりもよほど待遇の良い就職先はあったんでしょうけど。でも、魔法職ってのは大半が研究職か技術職なんですよね。自分はどうにも昔っから机に齧りつくのが苦手な性質でして。それよりは、杖を抱えて走り回っているほうが性に合っていたんです」

 我ながら馬鹿馬鹿しい理由でしょう、とフリッツが照れ臭そうに肩を竦める。アダムスがそうだなと頷いていた。そうもあっさりと肯定されてしまうと少し可哀そうだが、確かに国家公認の魔法使いとして安定した将来を蹴ってまで軍人になろうとする者はアメティカでもあまりいない。自由と平等を掲げ、支配者を打ち倒して独立したアメティカでは、特別な力を持った魔法使いは公に貢献するのが当然だという考えが強い。それに従えば確かに軍人になるというのも一つの手だが、しかし試験を経て国家公認魔法使いの資格を取得すれば公共の福祉への献身が義務付けられる代わりに、公職に就く権利を得ることができる。そして、そちらの道の方が軍人になどなるよりもよほど大きく社会や国家に貢献できる。

 だから、軍では常に彼のような戦闘術技兵が不足している。一般兵士の採用倍率は年々上昇傾向にあるというのに、術技兵枠はすっからかんというのはなんともちぐはぐな話だった。


「そういう少尉はどうしてですか」

 自分の話はお終いというように、フリッツが聞き返した。

「世界平和に貢献したいと思ったからさ」

 ラトレルがあまりにも当たり前のようにそう答えたので、僕とアダムスは思わず顔を見合わせてしまった。

「高校で進学か就職かを選択する時期に、ちょうど軍の人が公演に来てね。軍では魔法が使えるか否かに限らず、全ての者が自由で平等な世界の創造に貢献することができるっていう話を聞いて、僕もそのために自分の力を役立ててみたいと思ったんだ」

 それに僕とアダムスは見つめ合ったまま、失笑のような吐息を漏らしてしまう。ラトレルが口にしたのは、軍の掲げる理想の戯言そのままだったからだ。

「流石、士官学校首席卒」

 アダムスが感服したように呟きながら、音を立てずに拍手をしていた。

「俺らにゃ、とても真似できないな」

 そういってにやりと笑うので、僕は特に何を思うでもなくそうだなと返した。

「大尉は? どうしてです?」

 満を持して、とでもいうようにラトレルが僕に向いた。

「僕は……」

 なぜ軍に入ったのか。その質問に、僕はすぐ答えられなかった。

 何故なら。究極的に云ってしまえば、僕には軍に入ろうと思った動機も目的も存在しなかったからだ。ただ周りのみんながそうするから。それが正しいことだと教えられたから。それだけの理由で、なんの疑問も抱かず周囲に流されただけだった。

 しかし、ラトレルはそんな話が聞きたいわけではないだろう。けれど、僕だって下らない自分の昔語りなどしたくなかった。だから、なにか適当な理由をでっちあげようと視線を彷徨わせる。

「……そうだな。アダムスと似たようなもんだよ」

 僕は最初に目が合った理由を冗談めかして口にした。

「それだけですか?」

 ラトレルが肩透かしを食らったような顔で訊き返してくる。それに、僕はこれ以上なにも答えるつもりはないというように肩を竦めた。

 学業優秀、スポーツ万能、人格的に清廉潔白で、本気でこの世界を良くしたいという理想に燃えている若者だけが入学を許されるスーパーエリート軍人を養成する聖地である士官学校の卒業生であるラトレルはきっと、将校たるもの誰もが高い志と高潔な精神の持ち主であると思っているのだろう。もちろん、それは一部では事実だ。けれど当然、誰もがそうであるわけではない。特に、僕のようなものは。

 そもそも僕は大学どころか高校すら出ていない。十五の歳から兵隊一筋だった。そんな僕がどうして大尉などという大層な肩書で呼ばれているのかといえば、その理由は単純明快。軍隊という組織が常に罹患している人材不足という病のせいだ。つまりは員数合わせ。他に適当な人材がいないから、とりあえず今いる者の中から一人選んで、必要な肩書を与えてしまえと、そういうわけだ。

 まさか軍が一大尉の経歴詐称に関与しているなんて新品少尉が知るには少しばかり汚れた大人の事情に過ぎる。

「まあそんだけ優秀だったってわけだ」

 納得できない様子のラトレルを、アダムスがそういってまるめこんでいた。そんな彼に僕は思わず非難するような目を向ける。僕は優秀なんかじゃない。僕の下手くそな指揮のせいで仲間を失ったことは一度や二度じゃないし、任務に失敗したことだって何度もある。長年の相棒であるアダムスはそれを知っているはずなのに。

 けれど、睨みつける僕の気持ちなどまるで知らないかのようにアダムスは自分で始めた馬鹿話で笑い転げていた。

 まったく。僕は諦めたように肩を落とす。ついでに時刻を確認すると、休憩を始めてからちょうど十五分が過ぎていた。

「そろそろ行くぞ」

 僕は装備を担ぎ直しながら、チームに声をかける。

「目的地までもう半分だ。頑張れよ」

 立ち上がり際、僕はラトレルの肩を励ますように叩いた。まったくもって、本当に。ラトレルには是が非でも頑張ってもらいたい。もしも彼がこの先も順調に出世してくれれば、いずれ僕もお役御免になるだろう。そうなれば階級も元通りになって、チームの命を預かる重圧からも解放され、気楽な特殊部隊員生活に戻れるのだから。

 若く、純粋な少尉にそんな淡い期待を寄せつつ、僕は夜の行軍を再開させた。

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