隣のあの子とホワイトデー
昼休み終了五分前に、佐藤さんは隣の席に戻ってきた。
頬杖をついていた僕は慌てて姿勢を正した。
そして帰ってきた佐藤さんの手に、青いリボンの袋を見つけてどきっとする。
あれはコンビニで売ってるクッキーの詰め合わせだ。ホワイトデーのお返し用に並べられたクッキー類が、買い物の度に僕の目に留まるのが厄介だった。
ホワイトデーなんて関係ないし、スルーしようと思っていた。
だけど佐藤さんはクッキーを手にしている。
そして今日が、そのホワイトデーだ。
そわそわする僕に、席に着いた佐藤さんが声をかけてきた。
「山口くん」
ぎこちなくそちらを向くと、彼女はさすが気が早い。青いリボンを解いてクッキーの袋を開けていた。
中から三枚ほど取って、こちらに差し出す。
「よかったら食べる? クッキー」
「え……」
僕は唖然とした。
クッキーは嫌いじゃない。甘い物は好きな方だ。だけどそういう問題ではなくて、今日はホワイトデーじゃないのか。
佐藤さんの手にしているそのクッキーは、今日の為のものじゃないのか。
「いいの?」
思わず尋ね返す。
すると佐藤さんは愛想のいい笑みを浮かべた。
「うん。山口くんにもお裾分け!」
「いや、そういうことじゃなくて……」
一瞬だけためらった。
でも、結局聞いてしまった。
「それさ、誰かからもらったお返しじゃないのかなって」
今日はホワイトデーだ。
佐藤さんが誰かにチョコレートをあげたかなんて僕は知らない。そんなことを尋ねられる仲でもない。興味もない。
ない、はずだった。
ともかく佐藤さんが一ヶ月前のバレンタインに、誰かにチョコレートをあげていたとして、そのお返しにもらったのがそのクッキーだっていうなら、僕は――。
「お返し?」
彼女が小首を傾げる。
この期に及んでとぼけているのか。噛み砕いて説明するのも結構な苦痛だった。
「だからさ、今日はホワイトデーだろ?」
「うん、そうだね」
「そのクッキーは誰かにもらったんだろ? だとしたら僕にくれるのは……」
「あ、そういうこと! ううん、違うよ」
ようやく腑に落ちた様子で、佐藤さんがかぶりを振った。
「これね、自分用に買ってきたものなの」
「自分用?」
僕が聞き返すと、照れ笑いの佐藤さんがうんと頷く。
「ほら、ホワイトデーフェアってずっとやってたじゃない。お店の棚にずらっとクッキーが並んでるの見たら、何だか食べたくなっちゃって……」
何だ、そういうことか。
全く人騒がせな食い意地だ。
「さっきもお弁当の後に食べてたの。美味しかったよ」
佐藤さんは手に乗せたクッキーを指差した。
僕は彼女の言葉に訳もなく安堵していた。でも、そんなことはおくびにも出さない。出せるはずがない。
代わりに苦笑いが浮かんだ。
「佐藤さん、クッキー好きなんだ」
「うん、大好き」
佐藤さんは素直だ。だからホワイトデーの意味なんて考えないで、売り出されているクッキーを自分で買ってしまうんだろう。食べたいからって理由だけで。
一方の僕は、素直になんてなれるはずもなかった。
さっきから片方の手だけを机の引き出しに突っ込んで、佐藤さんには見えないところでうろうろと逡巡していた。
「だから山口くんもよかったら、どうぞ」
クッキーを三枚ほど差し出され、
「ありがとう……」
空いた方の手でしょうがなく受け取る。
別に欲しいとは言っていない。もらっても困るくらいだ。
僕がクッキーを手にしているのを、佐藤さんにこにこと満面の笑みで見つめてくる。
見られていると食べにくいし、それ以前に決心がつかない。
彼女はそんなにクッキーの美味しさを他人と共有したいのか。どこまで食い意地が張ってるんだ。クッキーの話題が続くと、こっちはますます切り出しにくいのに。
彼女の視線がなかなか逸れないので、僕は仕方なく意を決した。
机の引き出しに突っ込んでいた手を恐る恐る外へ出す。
「実は、さ」
そして掴んでいたものを、そっと彼女に突きつけた。
「僕も――僕も買ってたんだ、そのクッキー」
僕の手も、見覚えのある袋を掴んでいる。
青いリボンがついているクッキーの袋。コンビニのホワイトデーフェアで売られていたものだ。
それからちらりと窺えば、佐藤さんは目を丸くしていた。
「山口くんも買ってたの?」
「う、うん、まあね……」
「そっかあ。やっぱり、買っちゃうよね。美味しそうだもんね」
彼女は僕の行動に共感を覚えたようだ。しきりに頷いている。
だから僕も、曖昧に頷き返しておいた。
「コンビニは売り方上手だよね。あれだとつい買っちゃうよ」
「わかるわかる! すごく食べたくなっちゃうよね!」
はしゃぐ佐藤さんを見ていると、とてもじゃないけど本当のことは言えない。まるで僕も、コンビニの商法に負けてクッキーを買わされた人みたいになっている。
僕は佐藤さんほど単純じゃない。
それなのに、一緒になってはしゃぐ羽目になった。
「じゃあ、僕が買ってきた分も少しあげるよ。お裾分けだ」
「わあ、ありがとう! 食べ比べてみるね!」
結局僕が買ってきたクッキーも、少しだけ彼女に分けてあげた。
分けてあげた、だけだった。
タイミングが悪すぎた。
本当はバレンタインデーのお返しのつもりだったなんて、到底言えるはずがない。
やっぱりホワイトデーなんて知らないふりをしていればよかった。クッキーの残りを全部自分で食べるのは、結構大変だったから。
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