隣のあの子と日曜日
店内のBGMが切り替わったタイミングで、僕は読んでいた情報誌を棚に戻した。
日曜日、出かけたついでにコンビニに立ち寄るのが習慣になっている。何か面白いことがあるわけでもなく、せいぜい立ち読みをしてガムを買って時間を潰すだけだ。なのに休みの度に足を運んでしまう。
悪い癖がついたもんだなと思いながら、まだ雑誌の棚を眺めている。
ちょうどその時、視界の隅で自動ドアが開いた。
「……あ」
入ってきた女の子が小さく声を上げる。
僕も彼女に気づいた。
どうしてここでも会うんだろう。彼女の家は東高の近くだって聞いてたのに――とっさに逸らしたから目は合わなかったはずだ。このまま知らないふりを決め込もう。
なのにスニーカーの足音が近づいてくる。
僕は慌てて手近にあった映画雑誌を手に取り、大して興味もない新作情報に目を走らせた。
足音はすぐ隣で止まり、僕の努力も空しく聞き覚えのある声がした。
「あの……もしかして、山口くん?」
名前を呼ばれたら無視もできない。
僕は顔を上げ、見慣れた顔に渋々応えた。
「……佐藤さん」
隣の席の、佐藤さんだ。
彼女は作業着みたいな生地の、薄いベージュのワンピースを着ていた。髪はいつもと同じ色気のない一つ結びで、足元は飾り気のないスニーカーだ。制服だってそうだけど、私服も全然可愛くない。
クラスの女子と校外で会ったら、普段着の可愛さにちょっとどきっとするもんだけどな。佐藤さんだとそういうこともなく、ただただ気まずいだけだった。
「やっぱり山口くんだった」
僕の内心をよそに、佐藤さんは顔をほころばせる。
「学校以外で会うなんて偶然だね」
「そうだね」
僕は雑誌を閉じ、曖昧に笑い返した。
偶然の出会いを喜んでるなんて思われたくない。喜んでもないし。
それに佐藤さんなんて、クラスメイトなら誰と会ったって喜ぶに決まってる。
「山口くんのおうちってこの辺なの?」
「歩いて十五分くらい」
「そうなんだ、知らなかったな」
佐藤さんはやっぱり嬉しそうに笑っていた。
「私は友達と待ち合わせなんだ。ここまでバスで来たの」
「へえ」
「でもその子、まだ来てなくて。よかった、山口くんと会えて」
何がよかったんだろう。
佐藤さんでも一人ぼっちで待ちぼうけるのは寂しい、なんて思うのか。
それはちょっと意外だ。一人でぼんやりしてても平気な子だと思ってた。
僕が反応に困っていれば、彼女は隣に立ってこちらをしげしげと見た。
「山口くん、私服だと雰囲気違うね」
驚いたように言われて、僕はますます居心地悪くなる。
「そうかな。普通だよ」
「ううん、すごく大人っぽいよ。年上の人みたい。最初見た時、あれって思ったもん」
佐藤さんは両手を合わせて僕を誉めそやす。
「山口くんって服のセンスいいんだね」
「そうでもないって」
誉めてくれなんて頼んでないのに、しつこい。佐藤さんは『誰でも誉めてあげたら喜ぶ』なんて思い込んででもいるんだろうか。
あいにくだけど、地味で野暮ったい佐藤さんに誉められたところで嬉しくはない。
着ているワンピースは薄くぼやけたベージュ色で、すとんと落ちる素っ気ないデザインだ。膝が出る丈だと彼女の場合、中学生みたいに見える。髪型はいつもと全く同じだし、誉めどころがまるでない。
でもこれだけ誉められて、こっちがスルーってわけにもいかないだろう。
「そういう佐藤さんだって」
結局、僕は褒め所を見つけられなかった。
だから心にもないことを口にする。
「その服、可愛いね」
「え」
たちまち佐藤さんが目を見開く。
「だから、着てる服。佐藤さんに似合う、可愛いデザインだと思うな」
実際、佐藤さんにはこの上なく似合ってる。
センスがいいとは思わないけど、子供っぽくて可愛いと言えば可愛い。そういうことにしておこう。
「本当?」
「うん」
聞き返されたので僕はやむを得ず頷いた。
すると佐藤さんは一転、恥ずかしそうにはにかんだ
「あ、ありがとう」
「いや、別に」
お礼を言われるようなことじゃない。
僕がそう言おうとする前に、佐藤さんが頬をほんのり染める。
「誉められることってあんまりないから……。ちょっと照れるけど、嬉しいな」
うっすら赤らんだ微笑みは湯上がりの顔を連想させた。
誉められて照れるその表情を、学校では見たことがなかった。
学校以外の場所で佐藤さんと会うのは、そういえばこれが初めてだ。
彼女のことを誉めたのも、もしかすると初めてだったかもしれない。
いつだって誉めどころが見当たらない子だったし、単に隣の席のクラスメイトというだけの僕にそんな義務もないはずだ。
だけど僕は、何だか無性にさっきの発言を悔やみたくなった。
佐藤さんは素直だ。
きっと誰に誉められたって喜ぶんだろうし、たとえ嘘つきのお世辞だって全く見抜けずに嬉しいと言うんだろう。
たとえ僕が、あからさまに服しか誉めてなくたって。
でも嘘だ。彼女の着てる服は別に可愛くない。
服は、可愛くなんかない。
「あっ」
不意に佐藤さんが声を上げた。
雑誌コーナーが背にしている一枚ガラスの向こうで、見知らぬ女の子がこちらに手を振っている。待ち合わせの相手のようだ。
「友達が来たから行くね。また明日ね、山口くん」
そう言うと、佐藤さんはコンビニの出入り口まで駆けていく。
ちょうど入ってきた女の子と言葉を交わすと、あとはこちらを見ることもなく、二人並んで買い物を始めた。
コンビニのBGMと重なるように、彼女と友達のはしゃぐ声が聴こえてくる。
僕は溜息をつき、そして映画雑誌を手にしていたのを今頃になって思い出す。
どうせ買わないし興味もないから、棚に戻して知らないふりをする。
佐藤さんとコンビニは少し似ているような気がした。
習慣になっているのかもしれない。一日のうちでわずかな時間だけ、何かのついでに彼女と話すことがある。自然と彼女のことを考えては無意味な時間を潰す。
明日から始まる一週間で、僕はどのくらい佐藤さんのことを考えるだろう。
つまらない習慣にいちいち戸惑いつつ、心にもないことばかり言わされるだろう。
そうしてこの日曜日も、よくわからない後悔を残して潰れていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます