二
大王の居る部屋へと入る。
「
両手を合わせ、頭を袖の下へ下げるように礼をする。すると聞き覚えのある男の声がした。
「おお、来てくれたか」
顔を上げ、前を見る。犬上の視界に入ったきたのは、紫色の高貴な衣を身にまとった笑顔の男だった。彼の名は蘇我蝦夷――天皇を補佐しながら政治を行っている大臣である。
「大臣と大王がお呼びと聞き、参上いたしました。何用でございましょうか」
「そうであったな」
蝦夷が後方を振り返った。
「大王。犬上御田鍬が参りました」
蝦夷につられて部屋の奥に目をやると、そこには薄い
「犬上御田鍬、ここに参上しました」
もう一度名乗って、返事をうかがう。すると御簾の奥から、ゆっくりとした声が聞こえた。
「来てくれて、ありがとう。お前には頼みたいことがあって、蝦夷を通じてここに来てもらった」
犬上はびっくりして思わず声を上げた。
「えっ……! お、大王自らとは、なにようでございましょうか」
「そなたには、遣唐使になってもらいたい」
一瞬、大王の言葉が聞き取れなかった。
「お、大王。すみません、なにになってもらいたいと?」
「遣唐使、だ」
聞き返した犬上に答えたのは、蘇我蝦夷だった。犬上は顔を上げて、蝦夷と目を合わせる。
「ケントウシ」
「ああ、そうだ。お前は、遣隋使として隋に渡ったことがあるだろう。しかしその隋は、もう滅んでしまった。これは周知の事実であろう」
蝦夷がなんともなさそうに言ってのけるのを見て、犬上は心のなかで焦る。
(言えない……ほんのさっき、佐伯から聞いてようやく思い出したとか言えねーぜ……)
そんなことを思っているとはおくびにも出さず、犬上は頷いた。
「そうでございました。あれが最後の遣隋使であったと後に知りました」
「そのとおりだ。そして、これも知っていると思うが、隋の次に興った国が、『唐』だ。聞けば長安という場所を王都として、隋よりも栄えているらしいとのこと」
蝦夷がふっと笑った。
「犬上、そなたにはこの唐へ渡ってもらい、隋のときと同じように、この日ノ本の為に色々と学んできてほしいのだ。頼まれてくれるか?」
遣隋使、ではなく遣唐使。それは戦乱の時を終え、更に発展を続ける中国という国へ崇敬を示し、同時に進んだ文化を日本に持ち帰り、学んでくるという国家の発展のための大事な遣い。
それを、
「そのお話、お受けいたします」
犬上はその目に真っ直ぐな光を宿らせ、蝦夷、そして大王の居る方へと顔を向けた。
「この犬上御田鍬、唐に渡り国交を結び、見聞を広めて参りまする。命をかけて、このご命令を遂行いたします」
当時の航海技術では、日本と中国という近い距離でも、海を渡る命がけの所業だった。遣隋使、遣唐使になるというのは名誉な事であると同時に、命の保証の無い旅路へのスタートラインでもあったのだ。
しかし犬上御田鍬は、この話を受けた。
「では、犬上御田鍬――そなたを、第一次遣唐使、大使に任命する!」
「はい!」
こうして、最後の遣隋使は最初の遣唐使となったのであった。
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