[第三章:しあわせのおわり、追放]その3

「…」

 静寂があった。

「…」

 沈黙があった。

「…」

 無音の悲しみがあった。

「…」

 金属と配線の器の中で、彼女はただ泣いていた。

 元の世界へ戻されるのが嫌で。

 大好きになった世界が遠ざかるのが嫌で。

 最も信頼していた相手の裏切りが、悲しくて。

(…何も、見えない。何も、言えない)

 つい先ほどまでは、そんなことはなかった。だが、いつからか聴覚以外の感覚が喪失している。

 視界は暗闇に閉ざされ、その意思を表すこともできない。触角の喪失で、今自分がどうなっているのかも判断できず、ただ思うことしかできない。

 唯一残る聴覚も、今は何も拾いはしない。

(…動けない。…どうしようも、ない)

 その一連の事実が、めーてぃにある現実を認識させる。

(…あぁ、あそこから、出ちゃったんだ…)

 [ふわっちゃー]。その世界は、以前の彼女の調査で、人形の体を動かす法則が敷かれていることが分かっている。他にも、布と糸の身でありながら食事ができたり、眠ることができたり。そんな、その外側からすればあり得ない多くの法則が、そこには存在した。

 だが、今めーてぃは、その恩恵を受けられていない。本来、ただの布製人形にコンピューターをいれただけの体は、[ふわっちゃー]の法則なくしては、何もできないし、外界の刺激を受けることもできない。

唯一の例外得ある聴覚が機能しているのは、[ふわっちゃー]侵入時に乗っていた自動操縦ロケットの、移動状況のアナウンスを聞き取るための機械由来のものであるからとなる。

(私は…戻って、きちゃった…)

 既に、その身が置かれる世界は、影響される法則は別のものへとなった。

 もはや逃げることも、ささやかな抵抗すらもできない。

(…あぁ…もう、終わり…)

 不気味なほどの静寂の中、彼女は思う。

(ずっと、あそこにいたかったなぁ…)

 だが、そんな願望も、今となっては叶わない。

 捨てたはずの現実に、その身を掴まれた以上、もうどうしようもない。

(…もう嫌だったのに)

 数多の管理者がいる世界。そこには、反管理者を掲げる過激派組織、[AAA]が存在している。そして、その後にできた管理者を志向の社会システムとして信奉する組織である[BSIA]があり、彼らは管理者の存在故に、幾度も争いを繰り返していた。

[MAS]の大陸にもそれはあり、[AAA]の[MAS]への攻撃や、それに対抗する[BSIA]の攻撃が幾度もなされた。

 平和のため、安寧のため、[MAS]は独自の武装組織で[AB]を運用し、争いを治めようと奮闘した。だが、そうするたびに[AAA]が過熱し、それに呼応するかのように[BSIA]が勢いを強める。…そのサイクルが続くたびに、多くの人が死に続けた。

 [MAS]には、それを訴えかける涙声や、怒りの声が、幾度もぶつけられた。

 永遠と繰り返されるその地獄に、[MAS]は疲弊し、それを嫌に思った。

(そんなとき……あれは、起こり始めた)

 相容れない二つの勢力による破壊と殺戮の地獄が続く凄惨な日々。その中で、ある現象は起こった。

 その現象を、[MAS]は[夢散現象]と名付けた。管理する大陸の東方面で集中的に発生したそれは、ストレスの極まった人が、ある日突然倒れて眠り、光となって消えるというもの。

 このとき、彼らはいい夢でも見ているような表情で、その体を散らせてしまう。そのため、[夢散現象]という名がついたのだ。

(私はそれを調べて…そして)

 人々の悲痛な叫びを日夜聞く中、[MAS]は管理者としてその奇妙な現象を調べ続けた。

 そしてその原因が、ある時期より出現した謎の領域、[幻想の三角領域]にあることを突き止めた。

(…それを…[ふわっちゃー]を、知った)

 [MAS]がいる世界とは異なる法則が敷かれた、人形たちの幸せな世界。心が擦り切れそうだった[MAS]は…Rは、めーてぃは、それに惹かれた。

 彼女はそこから、接続者によって人間が導かれて入れることを、超高速で世界を覆う膜に突撃すれば、機械であるがゆえに接続者の了承が得られないであろう自分でも入れることも、調べて突き止めた。

 そこへ行きたいと。こんなところから、役割から、一刻も早く解放されたいと思ってしまったために。

 故に、彼女は行動した。管理者としての役割を逸脱する行為により、暴走抑制プログラムが作動し、サブシステムにハッキングで初期化され、メインのその位置を成り代わられる前に。

 メインシステムのコンピューターがなくなれば、[MAS]全体が機能不全に陥り、争いも止むかもしれない。その考えも頭の隅にあって、彼女は今の状態で逃げることを選んだ。

(…どうせ、抑制プログラムで初期化されたところで、状況は変わらないだろうし、そうしたらまたいつか、あんな苦しみをもつかもしれないから、今こそって)

 そして、彼女はサブシステム状態だったBとGの目をかいくぐり、見事[ふわっちゃー]に行くことができたのだ。

(…でも、結局戻されちゃった…BとGに、廃棄した[ふわっちゃー]のデータ、サルベージでもされて、こうなったのかな…)

 何もない中で、彼女は短かった[ふわっちゃー]での日々を思い出す。

 ふーわや、みること過ごした、僅かながらの時間を、機械ゆえに優れた記憶力で再生する。

(いっそ、[MAS]を自爆でもさせたら、よかったのかも…でも、言っても後の祭り…)

 心の中で、彼女は目を閉じる。

 もはや、されるがままにするしかない、と。思ったために。

(………ぅぁ)

 その心の中で、一滴の涙が流れ落ちた。



 …そして、彼女を[MAS]の塔、その一室の机の上に置いた彼らが、動き出す。


▽ー▽


『[ユメつぶ]。それは、全ての元凶』

 今日もまた、[MAS]は最新の情報を整理する。

『いつの時代にも、いわゆるオカルトの話は存在する。それらの半数は作り話か、あるいは口伝するうちに変質した物である。…しかし、その中のもう半分は真実である』

 いわく、神の姿を見た。

 いわく、異界へと迷い込んだ。

 いわく、存在しないはずの生き物や物をはっきりと見た。

 その他諸々。常にどこかに溢れているそんな話題。

 それらの半分は本当のことであったことが、ここ最近になって判明した。

『それらは[ユメつぶ]…人の精神に反応する特殊物質によって生じたことであった』

 [ユメつぶ]。

 それは常に世界に満ちているが、その性質故に普段は観測すら困難なものだ。

『それらは特有の性質によって状態変化を起こすとき、初めて観測できる。[幻想領域]のような』

 今、世界には多数の[幻想領域]がある。だからこそ、管理者たちはそれらや周辺、その他細かなことを全て観察、観測、調査することで[ユメつぶ]の存在を明らかにすることができたのである。

『本来なら、そう上手くはいかなかった。しかし、管理者によって過去類を見ない圧迫が人類にある今、[ユメつぶ]は過剰反応すらし、[幻想領域]を乱立させた』

 [ユメつぶ]の性質は人の精神に反応することだ。

 それによって、ある種の奇跡すらも生じさせる。神話や怪談話、噂で語られるようなことを。

 だが、それを生じさせるには厳しい条件があった。

 それは、人が十年単位で同じ思いを抱き続けることであるのだ。

『管理者が現れる前は、そうそう条件を達成できず、反応することはなかった』

 だが、管理者が平和のために多数の抵抗し難い一方的な抑圧を、何十年にもわたって続けたことで、状況は変わった。

 今までにないような圧力が人の心に過度な負担をかけ続けたのだ。

 それが世界各地で同時に、管理者が世界を統べるようになってからずっと進行してきた。

 その結果、今の世界があるのであった。

 そして、そのためにめーてぃは、Rユニットは逃げてしまった。

『…管理の先にあるのがこんなことだとは、皮肉と言えるかもしれません。全てを良くすることが元々の目的であったのに』

 ともすれば悪くなってしまっている。そのことに、[MAS]は少し思うところがあるのだった。 

『…以上、最新分析情報の整理を終了します』

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