[第二章:ふたつのばしょ、動いて]その2
寝室のカーテンの隙間から、朝日の光が漏れていた。
「……朝」
そう呟き、ふーわは起き上がる。
「ふわぁ…」
人形であるがゆえに、昨日と同じ服装(要は体の一部と言うこと)の彼女は、眠気眼であくびをしつつ、部屋のカーテンを開ける。
「…明るい」
窓の外に広がる空に見えるのは、絵本の絵のような、渦を巻く線と全方向へ広がる線で構成された太陽。その光が、計五人が眠っていた部屋を明るく照らし出す。
「…いつも通りに平和」
ふーわはそう呟きながら、ベッド横の戸棚の中で眠っている音符三人を起こそうと振り向く。
すると、一人の人形が目に入った。
「…めーてぃ」
ふーわは昨日のことをぼんやり思い出しながら、めーてぃをゆっくりと見る。
掛け布団に体を覆われた彼女は、布団の中で気持ちよさそうに寝ている。
しかしながら昨晩は、非常に気分が悪そうであった。その理由は、例の穴であるロゴを見たこととふーわは聞いている。
奇妙な懐かしさと既視感、そして不快感を与えた[MAS]のロゴ。
それは、ふーわも昨晩のうちに、シオンの案内で見に行っている。
「…めーてぃは記憶喪失。そして…、調べても何も分からなかった」
ふーわは昨日の自分の行動を思い出す。午前と午後の二度に分け、彼女は住人について調べていた。だが、いくら探しても、聞いても、めーてぃと特徴が一致する人形はいなかったのである。
「…ヒントは、あのロゴだけ」
(めーてぃは、一体…)
そう思うふーわではあるが、現状ではこれ以上何も分からない。
そのため、ひとまず朝食づくりに移ることにする。
「…昨日と同じ。自分は今から、めーてぃの分も作らないといけない」
言って、ふーわはどんな料理を出すか考える。
「…食材は十分ある。朝ご飯は…パンがある。それに野菜の炒め物で…」
そう言ってメニューを決めた彼女は、めーてぃを再び見る。
「…ただの炒め物を、あんなに好きって言ってた。めーてぃは」
そのことを思い出すと、ふーわは少し嬉しい気持ちになる。
(…他にも、何かするたびに、感謝してくれた。心から)
ふーわはそんなめーてぃのことを、まだ短い付き合いながらも、友人として少なからず好いている。
言葉遣いの粗さ故に、他人とさして良い関係を築けないのが、常であることが影響して。
感じの悪い言葉遣いの自分に、明るく接して、色々感謝して褒めてくれることが嬉しくて。
(音符三人を起こしたら、邪魔するかもしれない…)
あの悪戯好き共なのだから、と考え、ふーわはそのまま部屋を後にする。
扉を開け、リビングに入って向かうのは台所だ。
「準備しよう」
そう言う彼女の前に広がるの台所の構造は、以下のようなものだ。
まず、長方形の空間の片側は入り口で、広くとられている。その先には木製の流し台と石製の竈のようなものが左、右と置かれる。
前者の左横には、木でできた冷蔵庫に似た形状の棚があり、食材はその中だ。
調理用具はというと、流し台の下にある引き出しにあり、ふーわはそこを引く。
「フライパンと、油と、野菜…」
流し台とかまどの間にはある程度スペースがあり、彼女はそこに木製のフライパンと、木のボトルと、左側の棚から出した食材を並べる。
食材は、たまねぎとにんじん。
ただし、おままごとで使われるような、硬そうなものである。
ふーわはそれらを切るため、石できた包丁とまな板も追加で置く。そして、フライパンはかまどの上の専用スペースに移動させ、木のボトルを奥へ、まな板、包丁、野菜を手元に持ってくる。
「…めーてぃは口が小っさい。なら、小さめに切る…」
そう呟きつつ、ふーわはたまねぎの皮をむき、流しにおいてある三角コーナーへ落とす。
コーナー内へ皮が消えるように吸い込まれたのを確認したのち、玉ねぎをまな板の上に移動させ、包丁を握る。
「これぐらい…?」
とりあえず一切りして、ふーわはめーてぃの口の大きさを思い出す。
(昨日はこれより少し大きいので、食べるのに苦戦していた…なら、これでいいはず)
「…いや、みじん切りに」
そう決め、彼女は手早くたまねぎと野菜を切りきる。
「そろそろ火についてもらおう」
言って、かまどの下の方の穴に両手を浅めに突っ込み、二度手を打ち合わせる。
すると、ぽんという軽快な音共に、火が点く。
まぁ、火とは言っても、昨日めーてぃが使った松明のように、フェルトの縫物が光と共に、熱を放ってゆらめいているだけであるのだが。
…ともかくその熱は、上部に空いた穴から、載っているフライパンへと伝わっていく。
そうして三十秒もしないうちに、フライパンが温まる。その時には既にボトルから油がたらされており、ふーわはそこに、みじん切りにしたたまねぎとピーマンを、まな板から入れる。
「後は調味料」
言って、流し台の横にあった塩コショウの容器を手に取り、すかさず少量振りかける。
それから菜箸を使い、ふーわは野菜を炒めていく。
「…」
換気のため、開けた窓の外で小鳥の人形が可愛い声で鳴く。
「…そろそろ」
ふーわは、切る前のおもちゃじみた見た目とは一変し、美味しそうな見た目になった野菜を見る。それから竈に手を伸ばし、
「止まって」
中には入れず、手前で一度だけ叩き合わせる。
すると、空気が抜けるような音がして、火が溶けるように消える。
「よし」
立ち上がったふーわは、美味しそうな香りを漂わせる炒め物を、台所の左端にある棚から出した大きい皿へと移す。
それを台所に直結したリビングに持っていき、そこにある机に置く。
「後は、パンを」
パンのはいった袋と皿を取るため、ふーわは台所へと戻る。そして、戻ってきたところで、寝室の扉が開いた。
「…なんかいい匂い…。ぽん」
めーてぃだ。頭の上に寝ぼけた様子の音符三人を乗せた彼女は、完全には覚醒していないらしい。
半開きの目で、扉の前をゆらゆらと漂っている。
(…なんだか、自分に子どもでもいるよう)
ふーわはそんなことを思いながら、めーてぃたちに声をかける。
「お前たち、朝ご飯ほぼできたから。とっと席行け」
「…うん?は~い…ぽん」
大きなあくびをしながら、めーてぃは机に向かう。
席についてなお、眠そうであったが、先に覚醒した音符三人組に髪をいじくりまわされたことで、完全に目が覚める。
「…あ、ふーわ。おはよう。ぽん」
「あっそう。おはよう」
ふーわは素っ気なく言って、今しがた並べた皿の上に袋出したロールパンを乗せていく。めーてぃの前には二つ。自分には一つで、音符三人組には三つだ。
「朝ご飯の時間。分かってる?」
「うん、わかってる。ぽん」
めーてぃは頷く。
彼女は近くの容器から橋を取り、少し戸惑いながらも持てることを確認する。
(昨日もそうだったけど、使い慣れていない小さな子どものよう…)
どこか、微笑ましいと感じながら、ふーわも席に着く。
「…それじゃぁ、ふーわ」
「それじゃぁ、ふーわ」
「それじゃぁ、ふーわ」
パンの前にちょこんと座る音符三人の言葉に頷き、ふーわは言う。
「いただきます」
遅れて、めーてぃも、
「い、いただきます!ぽん」
昨夜も見せていた慣れていないようすで、食べ始めた。
「……」
三人がパンを、炒め物を咀嚼するもぐもぐという音が響く。
「……」
その中で、ふーわは幸せそうに食べているめーてぃを見、目線を少し上にあげる。
それは、めーてぃの頭のすぐ上であり、普通の人形にはある、あるものがない場所であった。
(糸…)
ふーわは、何度見てもそれがない事を疑問に思う。
この世界、[ふわっちゃー]の住人である人形にはもれなく、糸が宙へ向かって伸びている。
それはこの世界の住人となったことの証であり、あって当然のものであり、ないことなど本来ありえないものだ。
「……」
明らかに異常と言えるその状態が、ふーわは気になっていた。
身元が一切不明であり、[MAS]のロゴに見覚えがある、めーてぃという人形。
ある程度の好印象を抱く彼女の正体とは、一体何なのか。
再びそんな疑問を抱き、ある可能性を頭の隅に置きつつ、ふーわは食事を終える。
そして、片づけをした後のことであった。
「…手紙?」
いち早く食べ終わった音符三人組が、玄関横の壁にあるポストから、封筒を回収して持ってくる。
中には、手紙らしきものが入っている。
「誰から?ぽん」
めーてぃが興味本位で尋ねる。ふーわは待つように言ってから、封筒から手紙を取り出す。
「自分に手紙なんて、行事の誘い以外ないはず…」
年内に何回かあるその行事も、ここしばらくは一つもない。
そのため、めーてぃとみるこ以外にまともに関わっていないふーわに家に手紙が遅れてくるというのは、少々不思議なことであった。
「ふーわ、中にはなんて?ぽん」
「今読むから黙ってる。…ええと?」
言いながら手紙を広げ、ふーわは中に書かれた文章を読む。
「…?これは、どういう」
その内容に、ふーわは眉を顰める。
「…どうしたの?ふーわ。ぽん」
言われたふーわは、めーてぃの方を見て言う。
「誰かが、お前を呼んでいる」
「?…みるこ、とか?そういえば昨日、パニックなったまま別れちゃってた…。ぽん」
「何を言ってる?みるこじゃない。送ってきた相手の名前は」
「え?じゃぁ一体…。ぽん」
ふーわは、めーてぃに手紙を見せる。
「…相手はBC。彼、または彼女はこう言ってる」
めーてぃはふーわの指の動きにしたがって、手紙に大きく書かれた文章を読む。
「…めーてぃさんへ。今日の午後一時に、この手紙に書いた場所に来てくれませんか。遊びましょう?BCより。…ぽん」
「BCとは、誰?それにどうして、めーてぃが自分の家にいるってわかってる?」
その言葉に、めーてぃは困った様子で首を傾げた。
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