簪の美鈴(08)
「どちら様でしょうか?」
そういえば、美鈴さんが不在のときに客人を招き入れたことがない。どうしたらいいのだろう。勝手に家に上げてもいいものなのだろうか。
「ここに
行けば、どんな悩みも解決してくれるって聞いたんですが」
「あいにく今、店主は不在でして……」
そうですか、とあからさまにガッカリした様子で大きく肩を落とす。
「いつ頃戻られますか?」
「おそらく、もうそろそろ戻ると思うんですが……」
腕時計を見る。美鈴さんが出掛けてから約二時間ほど経った。いつも時間に正確な美鈴さんだから、きっとすぐ帰るだろう。
「もしよければ、待たせてもらえないでしょうか」
「ええ、まぁ……」
私は彼女を家に招き入れ、いつもの殺風景な居間へ案内する。寒いだろうなと思い「何か飲み物でもお持ちしますね」と言うと、彼女は首を横に振った
。
「大丈夫です。ありがとうございます」
彼女は一体どんな相談事をここへ持って来たのだろう。彼氏が浮気をした? それとも彼氏は実は既婚者だった? 私にはドロドロの恋愛関係しか思い浮かばなかった。それがまた悲しい。
「あの、あなたが訊いてくれるわけじゃないんですよね?」
「私じゃないです。私はただの助手です」
「助手……」
さぞ怪しんでいるだろうな。
私は彼女の瞳が泳いでいるのを見ながら思った。
「もしよければ私の話、ちょっと聞いてくれませんか?」
「私が……ですか?」
「はい。いろんな人の意見を訊いてみたくて……」
必要とされるとなんだか嬉しい。私は「私なんかでよければ」といつも美鈴さんが座っている椅子に腰かけた。
「近藤と言います。近藤美里です」
「佐々木百花です」
はじめまして、と私たちは互いに名乗り、目を合わせて少し笑った。可愛らしい人だ。笑ったときの目が優しい。
「それで、どんな相談だったんですか?」
「実は、三ヶ月ほど前から付き合っている彼氏がいるんですけど」
いいなぁ、とつい声を漏らしそうになった。
私も大学三年のときに二年ほど付き合った彼がいた。彼は四年生で最初の一年はよかったが、彼が卒業するとなかなか会えなくなり、私も就活で忙しくなり、お互い気持ちが離れて行った。三ヶ月頃と言えば、まだ楽しいばっかりのときではないか。
近藤さんの次の言葉を聞くのが怖かった。ごくん、と固唾を飲む。
「なんだか、彼の話の辻褄が合わないときがあって……」
「話の辻褄?」
「気のせいと言われたら、そうなのかもしれないんですが」
いつもここへ来る相談者は憎しみの目をしていた。でも近藤さんは違う。恋をしている目だ。
「具体的にお聞きしてもいいんですか?」
「もちろんです」
近藤さんの話では、恋人は一歳年下の二十一歳。大学を中退して今はフリーターをしているそうだ。中退の理由は両親のためだったらしい。
「彼の親が車の衝突事故に巻き込まれて、介護が必要な身体になってしまい、介護するために大学を辞めて付きっきりなんだそうです」
「それは、相当苦労されているんですね、彼氏さん」
近藤さんは、そんな親思いの優しい彼に惹かれていったのだと言う。ホームヘルパーを雇うにはお金がかかるし、彼も両親が心配でそばにいたいから一緒にいる生活を選んだそうだ。
「彼氏には姉がいて、もう結婚しているそうなんですが、姉と分担しながら介護をしてその合間に働いているんです」
そう言ってから、近藤さんはうっとりとした表情を見せた。
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