簪の美鈴(06)
鈴の音は、もともと鈴がついた簪だったから聞こえたのか。それなら、美鈴という名前はぴったりだ。
遊女の話は今では漫画や小説、映画でよく見かける。綺麗な着物や派手やかな髪。見た目からは煌びやかなイメージが強いが、遊女が語られるのはいつも悲しい物語ばかりだ。
「あたしたちは付喪神と呼ばれるあやかしの類だよ。人が大切にしてきたモノには命が宿る。あたしはこの家の女主人、ハルの肖像画から生まれたんだ」
「肖像画?」
あれだよ、とハルさんが指したのは無地の掛け軸だった。
「何も描かれてませんけど?」
「当たりまえだよ。中から出て来たんだからね」
「……中から出て来た?」
「そうさ」
ハルさんは大きく頷く。
「あたしはこの家の主人だった源次郎が、妻のハルを描いた肖像画から命をもらったのさ」
「私は妻のハルが作ってくれた湯呑から」
一瞬、頭の中がごちゃごちゃになる。
源次郎というのはもともとこの家の主人で、その妻がハル。お互いが作ったモノをお互いに大切にした結果、湯呑の源次郎さんも掛け軸のハルさんも付喪神となった、というわけか。
「まあ、あたしたちの話はいいよ。美鈴の話に戻そうか」
ハルさんはそう言って、腕を組む。
「あたしたちも含めて、付喪神というのは人に無害な存在だ。むしろ、守る方とも言える。あたしたちは人の愛によって生まれた。ほとんどの付喪神は、愛情を持って大切にされたモノで命が宿る。でも美鈴の場合は違う」
一度、ふぅっとハルさんは息を吐いた。
「美鈴も清葉に大切にされていた。でも、愛情よりも悲しみや孤独から生まれたと言った方がいいね。あいつは一見、ちゃらんぽらんに見えても、曲がったことが大嫌いな男だよ。心の根の深いところに、いつまでも憎しみを持っている。たったひとり、愛した女を死へ追いやった男にね」
「愛した……女?」
「そうだよ。清葉が大事にしていた簪は、清葉が愛した男から贈られた簪さ。女遊びが趣味みたいな男だよ」
――恋に不誠実な人は大嫌いだ。
美鈴さんが言った言葉が心の中で響いた。あの時の恐怖は、美鈴さんの憎しみを感じ取ったからなのだろうか。
「その……美鈴さんが愛した女って言うのは……」
「気になるかい?」
ハルさんは怪しげに微笑んだ。
「いや、そんなことは、ないですけど」
「そうかい。じゃあ、別にどうでもいいじゃないか。あんな男が誰に惚れていようとね」
「なんでそんなに色々と知ってるんですか? 美鈴さんから訊いたんですか?」
私は慌ててを逸らした。
「いいや」
源次郎さんはそう言って大きく首を横に振った。
「美鈴は他人の話を訊くのは得意だが、自分のことは自分の口から話さない。自分の中に閉じ込めているみたいだな」
「あたしたちはね、お互いいろんなものを感じ取る能力があるんだよ。だから、美鈴を見たら大体のことはわかるのさ。彼がどうやってこの世に誕生したのか。どれほど大切にされてきたモノなのかってね。ま、あいつの場合、最早呪いが歩いているようなものだね」
「……呪い?」
「客は望みを叶える代わりに、代償を払っているだろう?」
お金はいらない。報酬は、あなたの大切な思い出の一日。
美鈴さんの言葉を思い出す。確かにお金はもらっていないが、美鈴さんは報酬として相談者の思い出を一日もらっている。ありえない話だけれど、それが何か問題なのだろうか。
「報復したところで、人の恨みは根深い。そして伝染していく。報復から生まれた恨みも当然あるだろうね」
ハルさんに言われて、この一週間の出来事を振り返る。確かにそうだ。エイジくんは本命の佳奈さんと破局したし、真澄さんは大好きだったエイジくんに客として利用されていた。報復はできたかもしれないが、濱崎さんは婚約者に裏切られ、佳奈さんも恋人と別れた。誰も幸せになっていない。
おそらく、エイジくんも真澄さんも私や美鈴さんに、恨みを持っているだろう。私だって一応被害者のひとりだ。職を失っている。
「このまま美鈴が報復をし続けて行ったら、取り返しがつかなくなる。美鈴は付喪神ではなくなってしまう」
「付喪神ではなくなるって……何になるんですか?」
「鬼だよ」
部屋がしんと静まり返る。
美鈴さんが、鬼になる? それは一体、どういうことなのか。鬼になったらどうなってしまうのか。私にはいまいち想像ができない。だいたい、妖怪という存在も未だに信じがたいのだ。
確かに美鈴さんは掴みどころのない男ではある。でも、悪い人だとは思えなかった。私の背中を押してくれた人だ。そんな美鈴さんが悪い妖怪になったりするだろうか。
「さっき、美鈴さんを救えるかもしれないとおっしゃってましたよね」
私は沈黙を破った。
源次郎さんは「そうだ」と頷く。
「美鈴を忘れていないのがまさにその証拠と言えるな。私たちはモノ同然。必要とされなければ、人はいとも簡単に私たちを忘れてしまうから」
「ここへ来る人は、少なくともその時だけは美鈴が必要だから訪ねて来るのさ」
お互いに向かい合い、頷く源次郎さんとハルさん。
壺を掘り返してしまったあの日、美鈴さんは「もし、僕のことをあしたも覚えていたら、ね?」と言っていた。同期の橋本さんは同じ会社に勤めていた美鈴さんを全く覚えていなかった。百人以上いる大規模な会社ではないのだから、新しい社員がいたら接点などなくても知っているはずだ。橋本さんには、美鈴さんが見えていなかったのだろうか。
「百花も美鈴が必要だったからここへ導かれたんだろう」
「必要だった?」
源次郎さんの言葉に首を右横に傾けて、考える。
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