簪の美鈴(04)

「とりあえず二階も見てきます。美鈴さんが帰るまでに、もう少し片付けておきたいので」

「あとでお茶を淹れてほしいんだが」

「はい、いいですよ」


 お茶を淹れるって、源次郎さん自体に注ぐのだろうか。それとも、別の湯呑に淹れるものだろうか。

 やや溜まってきたごみ袋を抱えて、私は二階に上がる。

 そういえば、二階に上がったことは一度もない。美鈴さんの部屋はおそらく二階だろう。廊下がギシギシ音を立てる。床が抜けたらどうしよう、と恐る恐る床を踏む。

 美鈴さんの部屋はすぐにわかった。戸を開けると煙管の臭いが染みついている。しかし、片付けるモノなど何もなかった。八畳の和室で小さい窓がひとつあり、敷き布団が隅に片付けられている。窓の横には大きくて丸い鏡の化粧台があった。


「帰ったわよー」


 玄関の引き戸が開く音がする。

 でも今の声は、美鈴さんのものではない。源次郎さんでもない。高い、女の人の声だ。

 そっと階段の上から覗くと、玄関に見知らぬ女の人が立っている。紫色の着物を着ており、綺麗に結っている。口元にある黒子が色っぽい。誰だろう。お客さんだろうか。美人だ。


「あの、何か御用でしょうか?」


 階段を降りて女性と目が合う。みるみる女性の顔が歪み、私をきつく睨み付けた。


「誰だい、あんた」

「だ、誰って、あなたこそどちら様ですか」


 睨んだ顔は怖いが、やっぱり綺麗な人だ。小さな唇は桜色で、大きく見開いた瞳は茶色い。


「この家の女主人だよ。勝手に人様の家に上がり込むなんて、どういう神経をしてるんだい?」

「え?!」


 ということはつまり、美鈴さんは不法侵入していたのか。いや、今の状況からして不法侵入者は私だ。


「すみません! こちらで働かせてもらっている者なんですが……」

「……ここで?」


 彼女の表情が一変する。


「物語り屋で働いているのかい?」


 働いている、というより償いのために働いていると言った方が正しいが、今はそれどころではない。


「彼は?」

「今は外出中です。あと一時間ほどで戻られると思うのですが」


 これじゃあ、まるで私は使用人みたいじゃないか。この家の女主人と下女の会話にしか聞こえない。


「そう。それならちょうどいいわ。あんた、名前は」


 ちょうどいい?

 どういうことだろう、と思いつつ「佐々木百花です」と名を名乗る。


「あんた、人だね」

「そりゃ、当然で……」


 待てよ。どうして人かどうか確認されているのだろう。


「あたしは人じゃないんだよ」


 思わず言葉を失った。

 人でないなら、この人は一体何者だ。美鈴さんや湯呑の源次郎さんと同じ妖怪か。


「立ち話もあれだからね。こっちへ」


 玄関脇にある小さな和室へと案内される。ここにもまだ一度も入ったことがなかった。

 小さい和室で綺麗に片付けられていた。何も書かれていない掛け軸が一枚飾られており、その前にある壺には花が生けられている。庭にある椿だ。


「ここはあたしの部屋だよ」


 この家の女主で、ここがこの人の部屋。ということは、美鈴さんとこの人はひとつ屋根の下で暮らしているのか。つまり、美鈴さんの奥さん?! 美鈴さんとこの人とが夫婦なら、美男美女カップルだ。なんだかわかる気がする。

 奥さんがいるならそうと言ってほしかった。別に、何かを期待しているわけじゃないけど。でも、てっきり独り者だと思っていた。


「何暗い顔をしてるんだい」

「……いえ、なんでもないです」


 私はその場で正座し、この家の女主人だという彼女の言葉を待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る