椿の下には(24)

「モモちゃんは大丈夫?」

「……そうですね、私は案外、平気みたいです」


 私はさっき真澄さんに掴まれた手首をさする。まだ少し痛い。でも、大丈夫だ。むしろ、なんだか少しスッキリした気がする。ちゃんとお別れできたからだろう。あのまま気まずいからといって逢わずにいたら、今も心にモヤモヤが残っていたかもしれない。

 ただ、心配な点はある。

 公園を出たところで、私は一度公園を振り返った。


「心配なことはありますが」

「……心配?」

「こんなめちゃくちゃになっちゃいましたけど、みんな幸せになってほしいなって。エイジくん……浩人さんも佳奈さんも。濱崎さんも真澄さんも」


 すると美鈴さんは声をあげて笑った。


「モモちゃんは優しいね、本当に。だけど、そのみんなの中にモモちゃん自身も入ってる?」


 そう言われて、え? と固まる。

 正直、自分のことは何も考えていなかった。素直に、あの四人のこの先の幸せを願うだけだった。


「モモちゃんにも、幸せになる権利はあるんだよ」

「……そうでしょうか」


 なぜだか自分と幸せは結びつかないような気がしていた。これまでの人生、いつもどこか惨めでみっともなくて。それが私だと思ってきた。私はそういう星のもとに生れて来た。それが必然なんだ、と。


「起きることすべて〈必然〉。そう思ってるでしょ?」


 美鈴さんは私を見透かしているようだった。その言葉に、はいと頷く。


「起きるすべてを〈必然〉と思っている時点で、モモちゃんはもうを選んでいるんだよ。浩人さんから連絡が来なくなっても、自分からはしなかった。それは気まずくなったからだけじゃなくて、連絡が来ないことをただ〈必然〉だと受け入れただけ」


 なぜ、そこまで詳しく知っているのか。私は何一つ話していないのに。

 私がそう訊き返そうとすると「あの、」と背後から声をかけられた。振り返ると、濱崎さんがいた。


「これで、彼女もちょっとは反省したんじゃないかな」


 鈴音さんが勝ち誇ったように、鼻の穴を膨らませた。


「はい……ありがとうございます」


 濱崎さんは報復を果たしたが、顔色はよくない。気持ちは全く晴れていない様子に見えた。


「もし、真澄さんがやっぱり結婚してほしいと言ってきたら、どうする?」


 え? と濱崎さんは目を大きく見開かせた。あまりにも大きく開いた瞼に、眼球が落っこちて来るのではないかと思ったくらいだ。


「冗談」


 私はひやひやしながら美鈴さんを見た。まったく、ひどい冗談だ。

 濱崎さんは眉尻を下げ弱々しく笑った。


「自分の気持ちに蹴りがついたなら、先に進んで。いつまでもそこにいたらダメだよ。濱崎さんには未来があるんだから」


 美鈴さんはまた怪しげに微笑み、濱崎さんに挨拶もせず、そのまま去って行った。私もその後を追いかける。


 ――リン


 清らかな鈴の音が聞こえる。美鈴さんからだ。


「惚れた方が負けっていうのは、あながち間違ってはいないかもね」


 美鈴さんは濱崎さんと別れた後、そう言って笑う。


「モモちゃんも僕に物語ってよ」

「物語る?」

「そうそう。モモちゃんの物語、僕聞きたいな」


 嬉しそうに、楽しそうに美鈴さんは言った。


「私にはそんな、物語るほどの話はないですよ」

「そんなことないよ、あるはずだよ」


 私はうーん、と首を捻った。


「ホストクラブにハマる人って、夜の仕事をしてる人だと思ってたんです。でも、友達に誘われて行ったら……」

「あー、それじゃない」

「え?」

「その話じゃないよ」


 私は一瞬固まって「どんな話でも聞いてくれるのが物語り屋じゃないんですか?」と訊ねた。濱崎さんにはそう言っていたではないか。


「そうだけど、モモちゃんが本当に話したい物語りは、それじゃない」


 私には思い当たる物語がなかった。美鈴さんがなぜ聞いてくれないのかわからない。


「お金、払いに行かないとね。さぁ、残金はいくらかな」


 美鈴さんはまた楽しそうに笑った。

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