椿の下には(18)
辺りはすっかり暗くなり、繁華街はクリスマスの電飾に彩られていた。行き交う人もイルミネーションも賑やかだ。
「あ、あの。こんな格好をして、どこへ行くんですか?」
美容室のあと、私は美鈴さんが買って来たブランドの洋服を何着も試着させられた。さりげなく値札を見ると、思わず両目から眼球が転がり落ちそうなほどの値段だった。
その中から美鈴さんが選んだのは、タイトな黒いレースのワンピース。ワンピースと言うより、パーティドレスに近いデザインだ。羽織っているコートは柔らかく肌触りがいい。これもめちゃくちゃ高級品だ。さらにブランドのバッグ。全身ブランド尽くしで、自分が自分ではない気がした。高級品を身に着けてはいるが、私自身はコスプレをしているような気分だった。
「全部、似合ってるよ。これで、どこからどう見てもお金持ちのお嬢さんって感じ」
普段仕事で履いているのよりうんと高いヒールで、足元がふらつく。この靴もハイブランドで、私の一か月分の給料くらいだった。
「モモちゃんは演技得意?」
「演技?」
「そう、演技。名女優張りの演技、できる?」
大学時代、一度だけ演劇部の友達に頼まれて舞台美術を手伝ったことはある。演技したことはない。いや、小学生の頃に学芸会でやったくらいだ。演技なんてできない。
「演技はしたことないです。無理です」
「でも、これはモモちゃんにしか任せられない仕事だから。頑張って」
美鈴さんも散りひとつない黒いスーツを着て、ピカピカに磨かれた黒い革靴を履いている。お互い着飾って、これからどこへ向かうのだろうか。仕事とは一体なんなのか。
「はい、これ」
美鈴さんは上着ポケットから分厚い封筒を取り出した。
「これは?」
差し出されたものを受け取り、中身を覗く。
「ひぇ」
私は小さく悲鳴をあげた。
ちらりと覗いた中身は、現金だった。こんなにも分厚い札束を持ったことがない。私は一気に寒気がして身体がガクガク震えた。
「な、なんですかこれっ」
「見ての通り、現金だよ。三百入ってる。だから、なくさないでね」
「な、なんで私に渡すんですかっ」
「だってモモちゃん、お金ないでしょ?」
「え? どういう……」
私はふと、足を止めた。
数日ぶりなのに、ずいぶん懐かしく感じる。ここは――エイジの店だ。
「なんで、ここに?」
「このお金を全部使っちゃってもいいよ。とにかく、派手に使ってほしい。いつもの担当を指名して、きょうの可愛い恰好を見てもらいなよ」
「ええ?」
どういうことだ。なぜ私がこの店に通っていたことを知っているのか。こんなにも着飾っているのは、わざわざホストクラブに遊びに行くため? 意味がわからない。頭がパンクしそうだ。
「担当の……エイジくん、だっけ」
「どうしてそれを……」
「じゃんじゃんシャンパン頼んじゃって。きょうのモモちゃんは、お金で男を買うお嬢様って役だから。それから、この指示に従ってね」
美鈴さんは今度はペラペラの一枚のメモ用紙を渡した。
「僕もそばにいるからさ」
そう言って、美鈴さんは私を店の前まで連れて行った。
そばにいるって、ホストクラブなのにどうやって。
私はどんどん早くなる鼓動に苦しくなり、眩暈がして扉の前で立ち止まると、一度深呼吸した。
どうしよう。足が震えている。ハイヒールのせいではない。
エイジとは、あの日すれ違って以来連絡を取っていない。初めて店へ行って担当に指名した日から毎日途切れなく来ていた連絡が、ぱったり来なくなってしまった。あの時、すれ違ったエイジの瞳には私なんて映っていなかった。私から連絡をすればいい話かもしれないけれど、そんな勇気はなかった。視線を逸らしたエイジと、またどうやって顔を合わせていいのかわからない。
逢わなければ、もう傷つかなくて済むのに。どうして美鈴さんは、私とエイジを逢わせようとするのか。
「大丈夫。きょうは特別綺麗だから」
何も話していないのに、美鈴さんはすべてを理解しているような口ぶりだった。
「そういう問題じゃなくて」
ほら鞄ちょうだい、と美鈴さんが私の鞄を手招きする。言われるまま手渡すと、中をあさって何かを探している様子だった。人の鞄で何を探しているのか。
「あった、これこれ」
そう言って引っ張り出したのは、エイジくんからもらったネックレスだった。身に着けられずにいたが、いつも鞄の中に入れて持ち歩いていた。なぜそれを知っているのだろう。
「なんか首元が寂しいと思ったら。ダイヤモンドは女の親友って言うでしょ」
美鈴さんは私にネックレスをつけた。エイジに着けてもらった誕生日の夜を思い出す。思い出して、胸が痛んだ。
「それに、惚れた男にさよならを言うなら、最高に着飾らなくちゃ。ね?」
――リン
「それってどういう……」
言葉の意味を問う前に、私は店の中に放り込まれる。
「ちょ、ちょっと!!」
「いらっしゃいませー!」
煌びやかなホストクラブの世界へ、私は再び足を踏み入れた。
いつになく豪華に飾り立てて、またここへ来ることになるなんて。これも、必然なんだろうか。
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