椿の下には(17)
美鈴さんはどこへ行って何をするのか何も教えてもくれず、私を駅前まで連れて行った。
デニムにシャツにジャケットというラフな格好に着替えても、美鈴さんは美男子だ。すれ違いざまに女性たちがちらちらと視線を送っている。本人はきっと気づいているのだろうけれど、女性たちの方を見向きもしない。飄々と歩いている。
きょうは薄曇りで、なんだか街全体が暗いような気がする。空を見上げると薄暗い雲に重みを感じた。
クリスマス目前の今、手を繋いだり肩を寄せ合ったりして歩くカップルを見るだけで心がもやもやした。
あのカップルも、このカップルも、きっとクリスマス間近でひとりぼっちは寂しいから、くっついただけだ。クリスマスが終わればすぐに別れるんだ。そんな恋、初めからうまくいかないに決まってる。
いつの間にか、私は心の中で見知らぬ恋人たちに呪いの言葉を吐いていた。
「さて、時間ぴったりだね」
「……時間ぴったり?」
美鈴さんは、ガラス張りのお洒落な店の前で足を止めた。腕時計を見る。ちょうど午後三時だ。
店内を覗くと、白で統一された美容室だった。店内のひとりと目が合う。私はすぐに目を逸らした。こういうガラス張りの美容室って、外から丸見えでなんだか恥ずかしくなってしまう。
「美容室に来たんですか? 仕事って言ったのに?」
「これも仕事のうちだよ。さ、入って入って」
「え? 私が?」
背中を押されて半ば無理やり店内に足を踏み入れると、美容室独特なにおいがした。パーマ液やカラーリング剤のにおいだろうか。
すぐにショートカットの笑顔が可愛い女性店員さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ」
「え、あ……あの、」
訳が分からず動揺する私に「予約しました佐々木です」と美鈴さんが変わりに答えた。
「え?」
「お待ちしておりました。カットとセットですね、どうぞこちらへ。コートとお手荷物はこちらでお預かりします」
「か、カットとセット?」
言われるままにコートを脱ぎながら、私は不安になって美鈴さんの方を見る。
「いってらっしゃーい。僕はその辺うろうろして来るからさ」
美鈴さんは笑顔で手を振り店を出て行った。
席に案内され、私は挙動不審になりながら腰掛ける。店員さんが雑誌を数冊並べてくれた。
「優しくてイケメンな彼氏さんですね」
「いやその、彼氏ではなくて」
「え? そうなんですか? すみません、てっきり彼氏さんかと思って……」
これ以上何か言うとおかしなことになりそうだったので、私はあははと笑顔でごまかした。
「本日担当させていただきます、田中です。きょうはどんな感じにしましょうか?」
鏡の前の私は毛玉だらけのセーターを着て、髪はパサパサ伸び放題。みっともない姿だ。最近は全然手入れできていない。髪を伸ばしているからと言って、もう一年ほど美容室へ行っていなかった。ちらりと他の席の客を見ると、誰もかれもみんな美容室へ来る必要はないくらい綺麗に見えた。格好もお洒落だ。
「伸ばしてらっしゃるんですか?」
「え、ええ、はい……。どんな感じにしたらいいのかよくわからなくて」
これは本音だ。自分に似合う髪型なんてわからない。
田中さんは目の前に置かれた雑誌を開いて「こんな感じとか、最近の流行りで似合いそうな気がしますよ」とひとりのモデルを指さした。
こんな感じの髪型にしてください、と雑誌や画像を持って行くのが苦手だった。だって、同じ髪型になれたとしても写真の中の美人にはなれないからだ。
「似合いますかね、私に?」
「それか、こっちなんかもいいと思いますよ」
田中さんはニコニコしながら、あれこれと丁寧に提案してくれた。
「それじゃあ、レイヤーカットにしましょう。髪に動きが出るので、立体的なシルエットになりますよ。お顔の周りにレイヤーを入れて、ふわっとさせましょう」
レイヤーカットってなんだ?
何を言っているのかさっぱりわからなかった。こんなんだから、私は可愛くないんだ。流行りにも無頓着だし、自分にかけられるお金もない貧乏人だ。
……あ、お金。
私は先ほど預けた鞄の中の財布に、たったの二千円しか入っていなかったことを思い出す。
クレジットカードがあるからそれで支払えるけれど……でもここの料金って、一体いくらなんだろう……。いつもクーポンを使って新規で安い店ばかり狙って行っていた。ここはきっと高いに違いない。
「それじゃあ、まずシャンプーさせていただきますね」
どうぞ、と田中さんにシャンプー台へ案内される。私は金額のことを考えて足元がふらついた。慌てて体勢を整える。こんなお洒落な美容室で転んだりしたら恥ずかしくて死んでしまう。
久しぶりの美容室なので、何から何まで緊張した。シャンプー台に横になっても、変に力が入ってしまって情けない。リラックスするどころかストレスだ。
「きょうは寒いですね」
「そ、そうですね」
「お湯加減はいかがですか?」
「だ、大丈夫です」
私はガチガチのままシャンプーをしてもらい、カットをしてもらった。
一時間後、美鈴さんが言っていたシンデレラタイムの意味がようやくわかった。
「お疲れさまでした! めっちゃいいですね、似合ってますよ!」
カットしてもらってからハーフアップにしてもらい、少し毛先を巻いてもらった。鏡に映る自分が自分でないように見えて、私はしばらくぼんやり鏡を見つめていた。まさに、灰かぶりの娘がお姫様になった瞬間だった。
こんなにも素敵な髪型にしてもらったのに、特別行く当てがないのが残念だ。セットアップなんて、成人式の時にしてもらって以来。たぶんこの先も、してもらうことなんてないだろう。
足元に落ちる髪の毛を見て、身も心も軽くなる。私はスッと立ち上がった。
コートと鞄を受け取ると、恐る恐る受付へ行く。鞄から財布を出す手が震えた。金額を聞くのが怖い。さあ、一体いくらなんだ。
「すでにお支払い済みですので、大丈夫ですよ」
田中さんはそう言って私の背後をちらりと見た。つられて私も振り返ると、微笑む美鈴さんがいた。
「僕が済ませておいたから。いいね、すっごくよくなったよ。元々可愛いけど」
よくもまあ、そんな歯の浮くようなセリフを簡単に言えるな。
心の中ではそう思っていても、自然とえへへと照れてしまうのはなぜだろうか。すぐに頭を軽く振って、照れ顔を消した。
「じゃ、次に行こうか」
そう言った美鈴さんの両手には、大きなブランドの紙袋がたくさんぶら下がっていた。待ち時間でかなり買い物をしたらしい。
「次はご試着をお願いしますよ、お姫様」
美鈴さんはまた怪しく微笑んだ。
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