椿の下には(06)

 路地裏に入ると、彼の姿はもうなかった。しかし、リンという鈴の音と靴音はする。この先を歩いているらしい。

 音だけを頼りに、私はどんどん奥へ奥へと歩いて行った。


 会社の路地裏を進んでいくと、閑静な住宅街が現れた。小さな家がひしめき合うのではなく、どーんと大きくて立派な庭付きの戸建てばかりが立ち並んでいる。広い庭に、大きくて広い家。どれも洋風な造りだ。煙突がある家もいくつかある。煙突なんて、海外映画の中でしか見たことがなかった。ここの家に住む子どもは毎年冬になると、サンタクロースは煙突からやって来ると教え込まれるのだろう。ああ。私には一生縁のない世界だ。


 朝の通勤ラッシュをとうに過ぎ、人通りは全くない。相変わらず彼の姿は見えないが鈴の音と靴音が聞こえた。


 きょうはずいぶんと寒い。歩いていても、身体は全然温まらない。はぁ、と息を吹きかけかじかんできた手を温めた。白い息がくっきりと浮かび上がる。

 彼はこんな高級住宅街に住んでいるのだろうか。うちの会社は男女ともに既婚者が多い。同僚の橋本さんもつい最近結婚している。


 あんなに美男子なら、奥さんも幸せだろうな。いいなぁ。


 勝手に奥さんの妄想までしながら、私はふらふらとさ迷い歩く。そして、ふと我に返る。


 馬鹿だなぁ。なんで後なんてつけてきたんだろう。気持ち悪いじゃないか。


 ――リン


 まただ。鈴の音が聞こえる。

 大きな十字路を左に曲がると、すぐ右手に古民家が現れた。立派な外観の家ばかりが立ち並ぶ住宅街に、ぽつんと古民家。ものすごく違和感があった。その家だけ過去に取り残されているような、寂しげにも見える。


 あれ。


 なぜだろう。この家、見た記憶がある。

 家はぐるりとコンクリート塀で囲われていた。近づいてみると家の白い壁がところどころ崩れて剥がれ落ちている。正面から見て左横に木があった。立派に成長した木は塀から大きく身体を伸ばしている。自然のままに育ったような感じだ。すりガラスがはめられた玄関戸。表札らしきものはどこにも見当たらない。玄関の右横には細い通路があり、ちらりと覗くと庭に続いていた。庭側に面した外壁には一面蔦が多い、屋根瓦にも絡みついている。庭には枯葉や枝が散乱し、とても手入れされているようには見えない。そこに、椿の木がある。三メートルはありそうな、大きな椿の木だ。


「椿の木……!」


 夢で見た、埋蔵金が埋まっている家ではないか。

 私は何度も目をこすりながら、もう一度椿の木を覗き込む。

 間違いない。ここだ。夢で見た古い家は、この家だ。

 いけないとわかっているものの、そっと、忍び足で庭先に入る。こんな偶然はない。これはやはり、必然であると全細胞が言っていた。

 赤くて大きな椿の花がいくつも咲いていた。

 椿の木の根元は柔らかく、何かを埋めたか掘り起こした形跡があった。

 もし、万が一埋蔵金が出てきたら、どうしようか。他人の敷地内に勝手に入って勝手に掘り出したりしたら、埋蔵金を見つけたとしても逮捕されるかもしれない。それとも、落とし物を拾ったときのように三割もらえるだろうか。三割ももらえたら十分だ。


 さっきまでの寒さは吹っ飛んでいた。私の手はまるで意思を持った生き物のように、懸命に地面の土をかき分ける。柔らかい。すっと指が入った。

 すぐに何か硬いものに手が当たる。心臓がどくんどくんと騒がしい。どうしよう。本当に、埋蔵金が出てくるのだろうか。

 土の中から顔を出したのは、夢と同じ白い壺の蓋だった。これを開けたら――。


 私は生唾を飲み込んで、えい! と勢いよく蓋を開けた。その瞬間、まばゆい光が無数に浮かび上がり、どんより曇った雲の上に吸い込まれて行った。空を仰ぎ見るが、もう光は消えてどこにもない。

 改めて手元の壺を見る。壺の中は、空だった。


 びっくりしすぎて、私はそのまま地面に尻餅をついた。しばらく立ち上がれそうにない。


「あーあ、やっちゃったねぇ」


 すぐ左隣から声がした。

 人の気配など全くなかったので、身体中から変な汗が出た。恐怖ですぐ横を見られず、ゆっくりゆっくり首を動かした。

 彼が、私の横にしゃがみ込んでにっこり笑ってこちらを見ている。笑っているのに、目は笑っていない。顔が近い。白い肌に、切れ長二重で私より長いまつ毛がしっかり見えるくらいの近さだ。まさか、ここは彼の家なのか。

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