椿の下には(05)
すごい人だ。私はヒールで背伸びして人と人の隙間から覗き見る。するとうちの会社の社長が、警察に連れられ建物から歩いて出て来るではないか。
え? 社長が捕まった?
頭が真っ白になる。
なんで、どうして。社長、何をやったんだ?
「佐々木さん」
背後から声をかけられ、身体がビクンとなる。振り返ると、同僚の橋本さんがいた。
「ちょっと、こっち」
橋本さんは私を手招きして、会社の一本裏通りに入った。
「あの、これ……ドッキリ?」
「冗談言ってる場合じゃないでしょ。私だってびっくりしてるんだから」
社長が捕まったら、会社はどうなるのか。会社が潰れたら、私たちは一体どうなってしまうのだろう。
「何かやったってことだよね?」
「私もよくはわからないの」
「きょうの仕事は?」
「さっき、酒井さんから自宅待機って言われた。詳しい話は、またみんなに知らせるって」
自宅待機。
今度は目の前が真っ白になる。言葉も出ない。
「しっかりして。何ぼーっとしてるの」
橋本さんが私の顔の前で二回手を叩く。
「とにかく早く帰った方がいいよ。私、もう帰るから」
じゃあね、とものすごいスピードで橋本さんは駅の方へ歩いていった。
パトカーのサイレンが聞こえる。社長は連れて行かれた。
失恋して、貧乏で、職も失くすかもしれない。もしかして、知らずに犯罪に手を貸していたかもしれない。まさか、私も逮捕されてしまう?
埋蔵金を掘り当てるというとてつもなく縁起のいい夢を見たというのに、朝から最悪だ。
裏通りから会社の前まで戻ると、まだ人だかりができている。上司の酒井さんたちが「また連絡するから、いったん自宅待機で」と話しているのが聞こえた。社内は大パニックだ。
私も、帰る他ない。
会社に背を向け駅の方に向き直ると、私の前を横切るように黒髪短髪の男性が歩いて行った。上下グレーのスーツを着ている。
――リン
鈴の音がした。家の鍵を落としたのかと思ってポケットに手をやる。ポケットの上からでも鍵の存在がよくわかった。鍵はある。私じゃない。
通り過ぎて行く男性の後ろ姿を見る。鈴の音は彼の方からした。綺麗な音だ。ふわっと、空気に溶け込むように消えてなくなった。
確か、彼は最近中途採用で入ってきたカメラマンだ。もともと働いていたうちのカメラマンが退職する代わりに入ってきた、と聞いていた。すっごい美男子が来た、と一時社内がざわついたのを覚えている。それなのに、名前は……思い出せない。カメラマンとは普段あまり会話をしない。ほとんど外回りの私たちと同じで、一日中いくつもの撮影場所を回るため顔見知り程度だ。
彼は、駅の方ではなく路地裏へどんどん入って行く。
なぜだろう。ものすごく、気になった。
私はほとんど無意識に、彼の後を追いかけていた。
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