椿の下には(02)

 シャンパンを入れて間もなく、別の客に呼ばれてエイジが席を立つときに「きょう、この後時間ある?」なんて耳元で囁かれてしまった。


 この後もこれから先も、私のプライベートなスケジュールは空きだらけだ。むしろ空きしかない。


「用事、あったかな?」


 即答できなかった私に、エイジが首を傾げる。


「だ、大丈夫ですっ」

「そっか、よかった」


 エイジはそう言って席を離れて行った。


 今夜も売り上げトップはエイジで、私はエイジの歌声を思う存分堪能した。いつもなら帰る時間が近づいて来るだけで寂しくなるのだが、今夜は違う。心臓の鼓動が早すぎて、苦しかった。


 これはデートじゃない。ただのアフターだ。


 エイジと並んでクリスマスの電飾を見ながら一歩前へ踏み出すたび、心の中で呪文のように唱えた。駅から割と近くにあるおしゃれなバーへ行き、カウンターに並んで座った。きっと、他の客ともよく通っている店のひとつなんだろうな、と想像してすぐに頭を振ってかき消す。今だけは、そんなくだらないことを考えて気分を害したくない。


「どうした?」


 コートを脱いで、肩と肩がぴったりと寄り添う距離でエイジが尋ねる。


「ううん、なんでもない」


 たぶん、考え込んだ顔をしていたのだろう。慌てて笑顔を貼り付ける。


「モモちゃん、きょう誕生日でしょ」


 舌が噛みそうな名前のカクテルで乾杯した。グラスを合わせて「え?」と思わず固まる。


「なんで知ってるの?」

「なんで知ってるのって、初めて逢った日に教えてくれたじゃん。忘れる方が難しいよ」


 へへ、と笑うエイジの顔をまともに見られなかった。

 私なんかの誕生日を覚えていてくれた。だからアフターに誘ってくれたのか。わざわざ私を祝うために。しかも、ふたりきりで。


「お誕生日、おめでとう」


 頭がクラクラした。面と向かってエイジにおめでとうと言われると、恥ずかしすぎてじっとしていられない。


「あ……ありがとう……」


 ごまかすようにカクテルを飲んで、喉を潤してから答える。


「じゃーん」


 エイジはズボンのポケットから何かを取り出し、私の目の前に置いた。小さな赤い箱に金色のリボンがかかっている。


「え、え……?」

「誕生日と言えば、プレゼントが欠かせないでしょ」


 思わぬサプライズに、私は泣きそうになって顔を両手で隠した。


 泣くな。泣いたら変な女だと思われるだろ。


 寒さで鼻水をすするフリをして、もう一度目の前の箱を見る。

 どうしよう。このまま時間が止まってほしい。このまま開けずにとっておきたい。もし中身が入っていなかったとしても、中身が飴玉一個だったとしても、私は大事にする。


「開けて?」

「い、いいの?」

「開けてくれなきゃ、プレゼントなんだから」


 変なの、とエイジは笑う。


「ありがとう。めちゃくちゃ嬉しい」


 リボンをつまんだ指先に力が入って震える。こんな小さな箱に、一体何が入っているんだろう。

 中身を想像するだけでにやけてしまいそうだった。

 箱を開けると、中にはきらりと光るダイヤモンドのネックレスが。


「え、ええ、これってダイヤ?」

「うん。ちっちゃいけど、ダイヤモンドだよ」


 シンプルな一粒石のネックレスだが、とても高価に見えた。


「つけてあげる」


 つけてもらう時って、どうすればいいの?


 普段アクセサリーをあまり身に着けないせいで、私はおどおどした。


「ほら、髪を持って後ろ向いて?」


 私は言われた通り髪を持ち上げて、後ろを向いた。エイジは手慣れた様子でネックレスをつける。


「本当にありがとう」


 私は胸元にあるネックレスにそっと触れ、もう一度お礼を言った。


「どういたしまして」


 エイジの微笑む顔を見て「好き」と心の中で言ってしまった。

 ホストだとわかっているのに。今までの出来事は全部、また店に通ってもらうための営業だとわかっているのに。

 もう、後戻りはできない。


 その夜は、なかなか寝付けなかった。

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