第一章 椿の下には

椿の下には(01)

 高いシャンパンボトルを見て「ああ、やっちゃった」なんて思わない。少なくとも、今だけは。思うとすれば、ひとり寂しくベッドに入った後か、すっかり少なくなってしまった口座の残高を見たときだろう。私――佐々木百花はそう思って、一度深呼吸した。


 シャンパンなんて今まで一度も飲んだことがない。きっと私には飲んだところで価値なんてわからないだろうと思う。スーパーやコンビニで売っている、安い缶チューハイの方がずっと好きだ。だけど、彼の嬉しそうな笑顔が見られたんだからそれだけの価値はある。なにせ、一本三十万円もするんだから。私なんかには、これが精いっぱいのシャンパンだ。つい先日出たばかりの冬のボーナスと貯金から少し出して、このシャンパンにつぎ込んだ。すべては彼のため。彼の功績となるのなら、悔いはない。


 シャンパンが黄金のように煌いて見えた。俳優やアイドル並みに顔が良くて、賑やかに楽しませてくれるキャストたち。オールコールでキャストが全員私のテーブルへ来てくれた。歌って踊って、ちやほやされる。他の女たちの嫉妬を感じるも、今だけは優越感の方が勝る。むしろ快感に近い。ちっぽけな私が、お姫様になれた気がした。


 私の推しで担当――エイジがマイクを私に向ける。


「いつもありがとう」


 きょうが私の誕生日だということは言わなかった。言わなくたって、十分誕生日のお祝いだ。こんなにもたくさんのイケメンに囲まれて、お姫様扱いされて、一生に一度の二十四歳の誕生日になった。


「モモちゃん、いつもありがとう! これからも楽しんでもらえるように俺、頑張るね!」


 エイジは私の隣に座って、私の肩に腕を回しキラッキラな笑顔を私に向けてくれた。今この一瞬は、私だけの笑顔だ。


 ホスト狂いの友人がいた。私がただの社畜として働き詰めで、なんの幸せも見出せていなかったのを見て、気晴らしにホストクラブへ連れて行ってくれた。初回は飲み放題で三千円。安いから初回荒しなんて人もいるらしい。

 ホストクラブで遊ぶ人は、みんな夜の仕事で荒稼ぎする人やお金持ちばかりだと思っていたのに、気が付いたら自分がハマってしまっていた。顔に自信はないし、ソッチの技術もないので、地域密着情報誌を作るつまらない会社の少ない稼ぎと貯金を切り崩してなんとか店に通っている。月に三万ほどしか使えない私なんか、細客もいいところだ。だけどエイジは優しくて、派手にお金を使わせようとはしないし、私のつまらない話も聞いてくれる。今の私には必要不可欠な男だった。


 エイジを気に入った理由は、他にもある。エイジは歌手を目指していたことがあり、歌が上手かった。ラスソン――ラストソングといって、その日売り上げが一番多かったキャストが歌を歌う。初めてホストクラブへ行ったとき、エイジがちょうど歌っていたのを聴いたのがきっかけで担当に指名した。エイジはナンバー入りしているので、指名客と被ることはしょっちゅうだ。テーブルにずっといてくれることはない。それでも、私はエイジに逢いたくなってしまう。エイジを推している客はたくさんいるだろうが、連絡はいつもマメで、かえってちゃんと休息できているのかと心配になってしまう。


 勘違いするな。これは仕事だ。私のことを気に入ってくれているから優しいわけじゃない。営業なんだ。


 私は何度も自分自身に言い聞かせていた。でも、今夜は難しかった。

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