第10話  <独断と偏見>による2022年 第67回全日本学生拳法選手権大に於ける「全体は部分の総和に勝る」

◎ 関西学院大学日本拳法部の「全体は部分の総和に勝る」

○ 一人一人のベクトルがしっかりしていた・強固であった(かなり個人の自由に任せる、個人が自分で考えて、自分の意志・やる気を伸ばす指導法のようです。)


○ その強力な矢が一つにまとまっていた。

関西学院大学日本拳法部というのは、男子も女子も一体感が感じられます(YouTubeでの様々な投稿映像・音声から)


◎ 中央大学日本拳法部の「全体は部分の総和に勝る 」

○ 中央らしい制御・統御された洗練された技術。個々人の個性(体力・筋力・運動能力)をうまく生かしながら、「中央の拳法」を形成する、という教育法によって、均質な歯車(群)を作る。


○ そこに、お祭り男(キャプテン)という、乗りのいい潤滑油を投入することで、大いに「全体は部分の総和に勝る」力を発揮した。


○ 拳法(特に殴り合い)の技術では、全般に関西学院大学よりも上であった?これは拳法の年季(経験年数)の差によるものか。


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無理に協調させようとすれば個性を矯めることになる。

いたずらに個性を尊重すれば全体のベクトルが定まらない。


  サッカーやラグビーとちがい、個人技の大学日本拳法でもそれは同じです。

  具体的に言えば、いくら歯車の回転が良くても潤滑油に問題があれば歯車同士うまく回らない。歯車の歯にしても、一つの歯車だけ立派でも、隣り合う歯車と歯形や間隔(心の間合い)がうまく揃わないと、全体としての円滑な回転(生産力)が発揮されない。

試合とは結果であって、そこで発揮される「全体力」とは、過去1年間における部員全員の協力関係(努力)による成果のことなのです。

1979年(昭和54年)、私たちの大学は春・秋の2大会(団体戦)ともに、決勝戦で立教大学に敗れました。簡単に言えば、立教の方が圧倒的に「全体は部分の総和に勝る」であったから。

当時の監督を初めとする指導陣に、明確な指導方針が無かったが故に、部としての運営は野放し状態。私たちが1年生の時、入部1ヶ月間の内に退部した数人の者たちは、4年生のあまりのバカさ加減に嫌気がさしたからで、決して日本拳法とその練習のキツさが理由ではなかったのです。


監督たちは確かに現役時代は拳法が強かったかもしれないが、それだけで人を育てることはできない。結局、学生を「扱(しご)く」しかない。後輩を○ちがいのように扱く4年生が監督から評価される、という世界でした。

つまり、監督を始めとする指導陣にこそ「全体は部分の総和に勝る」ための意識も技能もなかった、ということでした。「部分」の磨き方は指導者によってバラバラだし、「総和」という観点もない。指導者たちは、自分の存在感ばかりで「個と全体の指導」など、考えも及ばなかった。


数年前に亡くなった同期の三堂地という男の葬儀会場には、彼の幼少から社会人時代までの数々の思い出の写真や品が展示してありました。しかし、大学日本拳法の写真等は一切無い。大学時代も続けていた、地元の野球チームの写真ばかり。

3年生の時に段位は二段であり、決して、日々の練習自体が楽しくなかった、ということはない。しかし、日本拳法部の4年間を「思い出そう」という気にならなかったのです。


私たち4年生が1年生の時、立教のような、しっかりとしたポリシーのある、まともな指導の仕方が為されていれば、試合の結果以上に「現役時代のいい思い出」ができたはずなのです。

彼の葬儀から遡ること数年前、私は彼と話したことがあります。

当時、彼は社会人としてバリバリ仕事をし、地元の野球チームの監督でもありましたので、監督というものについて一家言あり、私たち大学の日本拳法部の体質についても厳しく言及していました。

草野球とは試合や大会は星の数ほどあります。そんな世界でチームの監督としての彼が言うには、大学日本拳法で段位を取るとか大会で勝つということよりも、部活を楽しめたか(単に面白おかしいということではなく)にある、といったことを話してくれました。立教大学日本拳法部OGのTさんが彼女の現役時代最後のブログで述べられていたことと同じですね。

https://stat.ameba.jp/user_images/20210915/23/rikkyo-kempo/3e/4a/j/o1080080915001592280.jpg?cat=512

 【ちはっす! by 立教拳法部】2021年 11月東日本選手権大会

〔11月29日(月) 18:59 更新〕


新人戦で優勝したり、現在どんどん活気づいてきている関東学院大学日本拳法部のブログを拝見すると、OB会長や監督の明るい性格の元で厳しい指導方針(ポリシー)を徹底させているから、部員も集まり部に活気があるのでは、と感じます。


<参考> 「子供の美術」佐藤忠良(彫刻家)

(「大きなかぶ」の絵を描いた人)


  「図画工作の時間は、上手に絵を描いたり物を作ったりするのが目当てではありません。

  上手に書こうとするよりも、見たり考えたりしたことを、自分で感じた通りに描いたり作ったりすることが大切です。

  真剣に絵を描き、物を作り続けていると、上手になるだけでなく、人としての感じ方も育ちます。

  この繰り返しの中で自然の大きさがわかり、どんな人にならなければならないかが、わかってきます。

  これが目当てです。」


<原文はなるべく漢字を使用しないで、ひらがなで書かれています。(描く → かく、目当て → めあて)。また、すべての漢字にふりがなが振ってあります。読者に小学生を想定した文章です。>


2023年11月27日

V.1.1

2023年11月28日

V.1.2

2023年11月29日

V.2.1

2023年11月30日

V.3.1

2023年12月1日

V.3.2

2023年12月2日

V.4.1

平栗雅人

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