第9話 「全体は部分の総和に勝る 」とはどういうことか

「少年少女世界の名著3 東洋の魔女」から


  東京オリンピック(1964年)開会式の時、「我々は勝つためにやってきた」と自信満々に豪語していた(当時の)ソ連バレーボールチームの監督。

その彼が、(ニチボーとの事実上の決勝戦)のあとで述べた言葉。

「我々はニチボーチームについて調べ尽くした。その上で計画を立てたが、どれ一つとして思い通りにはいかなかった。ニチボーの前では、我々の計画はただの計画でしかなかった。ソ連チームの攻撃には心と心のつながりがなく、スキだらけだった。」

  「それに比べてニチボーチームの素晴らしいまとまり。完全なチームワーク。私は、ニチボーのプレーに、芸術のような美しさを感じさせられた。あれでは、ソ連チームは攻撃のしようがなかったろう。P.179

  「勝つためには技や作戦ばかりでなく、選手たちの固い友情が必要なのだ」。P.180


< 東京オリンピック(1964年)女子バレーボールで金メダルを獲得した日本チームとは、監督と選手全員がニチボー貝塚(繊維会社)の従業員であった。そのため、当時、海外のバレーボール関係者が日本の女子バレーボール・チームを語る時には、「日本チーム」ではなく、「ニチボー」と呼んでいた。 >


○ 2001年、国際バレーボール連盟は、この百年間で最も活躍したチーム(二十世紀最優秀チーム賞)に、1964年のニチボー貝塚(東京五輪日本女子チーム)を選出した。


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ひと言に「チームワーク」「友情」と言って、ニチボー貝塚が実践したのは、個々人が徹底的に自分(の能力)を追求しきった「コギト・エルゴ・スム」にある。完全なる「我」に至った彼女たちは、それ故に全員が一つの生き物として無理なく・理にかなった動き(連係プレー)ができたということ。(同じ在来種日本人・縄文人の血ということもあるでしょう)

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  ニチボー貝塚の特徴は厳しい練習よりも、その明るさにある。(河西昌枝さん)


  試合はコートの上だけで決まるものではありません。毎日の暮らしも大切です。


  持っている力のありったけを出し切って活動することが、若い喜びそのものだった。 P.84


  喜びとはその辺に転がっているものではない。自分で作り出すものだ。 P.85


  こっちが勝つんじゃない。むこうが負けるんだ(大松博文監督)。 P.157

(それくらい自分を鍛えるということ。こちらが辛抱強く正しいことをやっていれば、むこうから負けるような流れとなる。)


  たとえ勝てるとわかっていても、精一杯プレーしてこそ美しいのです。


  気を散らしながらのプレーは、相手をバカにするばかりでなく、自分をもバカにすることです。その時は勝っても、最後の勝利からは見放されてしまうでしょう。 P.161



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