第5話 驚いた(惚)ホれると(惚)ボけるは同じ文字 (シルバー川柳)

 「お前は、ただきれいなお嬢さんに惚れているだけだろう」なんて言われるのも遺憾なので、もう少し大学日本拳法における「コギト・エルゴ・スム、真の我」について。


大学日本拳法という鑿と鉋(ノミとカンナ)によって深く彫り込まれた理性・(俗っぽい知識や韓流的常識が削り取られた)知性・(在来種・純粋日本人として)磨き抜かれた感性、そしてそれらによって完成された心の彫像。これこそ、私があの日・あの時見た「コギト・エルゴ・スム、真の我」でした。


ミケランジェロ(1475~1564)は、幾つもの入神の彫刻を彫り上げましたが、このお嬢さんは、自身の内にその魂を彫りこみました。

死にそうなくらいキツい防具練習における「得喪の理や死生の情」、大会での勝ち負けで味わう「寵辱の道や窮達の運」。それらをすべてを(これまでの日本拳法ライフで)経験し味わってきた彼女は、「悟り」なんていう、言葉だけ・格好ばかりの精神的飾りではなく、真に自分自身の精神を掘り下げ、魂を彫り上げたのでしょう。

そして、その芯(真)の「我」を以て、彼女よりも若き仲間に熱烈なる怒濤の声援を送っていらっしゃいました。


彼女の段位だの、大会で優勝したなんてことは、没交渉の話。

あくまでも、彼女が大学日本拳法(時代)において、苦しい練習や試合経験を通じて行き着いた精神的境地を、私はあの時の彼女の「確固とした自我とその表現(腹からの声)」に感じたのです。

また、単に「彼女の我(われ)」を実感しただけではなく、その強い存在感が私の過去の人生について刺激を与え、私の今までの人生を、更にちがった楽しい位相で思い出させてくれました。


仙人や坊主の謂う「悟り」「無」なんていう能書きにはなんの生産性もありませんが、彼女の「コギト・エルゴ・スム、真の我」という「真の悟り」には、現実に後輩たちを鼓舞し、ついでに彼女の脇にいてボサッと試合を眺めていたジジイの魂を揺るがす(インスパイアする)生産性(パワー)があったのです。


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芥川龍之介「黄粱夢」(大正六年十月)青空文庫より


お粥が煮え切らない程の短い時間に見た夢。そこで80年の人生をすべて体験してきた若き盧生(ろせい)に、「悟りを開いた」仙人の呂翁(ろおう)はこう言います。「人間の喜びや悲しみをすべて知ってしまった以上、人生なんて空しく、つまらないものではないか」と。

しかし、彼はこう答えるのです。


・・・盧生は、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、こう云った。

「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」

  呂翁は顔をしかめたまま、然りとも否とも答えなかった。

 

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「悟りを開いた」坊主が、あの大観衆の中で、あんな大きな声で、自分の心を表明することなどできません。しかし、「コギト・エルゴ・スム、真の我」の境地に至った彼女は、盧生のような若々しい心を大観衆の前で見せてくれたのです。

かつての私のように、地上げ屋に脅され、何だこの野郎と(単純バカの)大声で叫んだのとはわけが違います。


禅坊主の悟りと、大学日本拳法における「コギト・エルゴ・スム、真の我」の違いがここにある。そんなことを、今回、彼女は私に教えてくれました。

(彼女の迫力のある声が私の心をインスパイア・鼓舞してくれたおかげで、もう一度、私の坊主時代の人生経験を見直すことができた、ということです。)


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「来年のことを言うと鬼が笑う」と言いますが、「LED使い切るまでない寿命」の私と違い、これから先、この大会に何回でも選手や観客として参加できる方は、彼女のような「真に自分が自分である人間」の側にいて、(私のような)貴重な体験・恩寵を受ける機会があるでしょう。


日本拳法の技術を教えてくれる人はいくらでもいますが、スピリット・魂を見せてくれる人間というのは、そうザラにはいない。

私の場合、或るOBから大学1年生の時、練習やアルバイト先の工場で「要領を使わずにストレートに戦う」というスピリットを、その方の「身体から発する気迫」から学びました。

(まあ、長い人生、そればっかりではうまく行かないことが多いのですが、私は不器用なので、結局、今までそれでやってきました。)


あれから40有余年、1年365日に比べれば、一瞬の出来事ではありましたが、本大会で、再び、気迫・気根によって魂が奮えた(感動し奮起する)体験ができました。


くじ運は悪いんですが、人生に於いてスタンド(在来種・純粋日本人スピリット)に遇えるんですね、私という人間は。

しかし、ここ一年間で三人ものスタンドに出会うなんて、

なんか、私の人生いよいよ光が集束するかのようにして、終演(終焉)に近づいている(ボケてきた)のか。

それとも、「オレの人生まだまだ捨てたもんじゃない。」ということか。


いずれにしても、日本最大の大学日本拳法のお祭りですから、とんでもない人(スタンド)に邂逅する確率も高い、ということでしょうか。



2023年11月27日

V.1.1

2023年11月28日

V.1.2

2023年11月29日

V.2.1

平栗雅人

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