第4話_止めておけ。なにかが怪しい


結局、その夜は大学の友人の家に泊めてもらった。

泊めてもらう理由として「隣の部屋の騒音がすごくて」という話をした。


強制退去させられたこと。

友だちなんだから、ほんとうのことを話したって良いんだけど。

なんとなく話すのが面倒くさかった。


***************


午後、スポーツジムを運営している女に連絡をしてみた。

連絡先はズボンの尻ポケットでしわくちゃになった名刺に書かれていた。


相手はすぐに電話に出てくれた。

「今からジムに来てほしい」

そう言われた。


灰色のコンクリートにランダムな配置の窓。

要塞のような、美術館のような目立つ見た目のビルだった。


そのビルの3階に、「パーソナルトレーニングスタジオ・ヒルマ」はあった。

室内にはよく分からない筋トレのマシーンが並んでいる。


「ふふふ。きみから連絡くれると思わなかった

樫谷光一くん。渋谷でスカウトしたのって3日前くらいだっけ?」


「そうです。渋谷でとつぜんアルバイトに誘われた......」

女はニヤニヤと俺の顔を眺めている。


蛭間 透子。

そう名刺には書かれていた。

見た感じは20代後半?30代前半?

よくわからない。

チリチリのパーマの髪を肩まで伸ばし、べっ甲のメガネを掛けている。


「こーちゃんって呼ぶ?それとも光一くん?」

「光一。呼び捨てでいいです」


「それじゃ光一。いつから働けるの?」

女は俺の手を握りしめた。

俺はびっくりして、手を引っ込める。


トレーニングジムでのアルバイト。

よくあるバイトなのかもしれないけど、俺が怪しく思ったのには理由があった。

まず、俺は筋肉質でもなんでも無い男なのに、とつぜんスカウトされたこと。

話しながら女がベタベタと俺に触ってきたこと。


そうなんだ。

この女は異様にベタベタと触ってくる。

もしかして外国に住んでいたとか?

海外じゃスキンシップが激しいっていうし......。


「働けるのはすぐでも、働けますけど。

蛭間さん。俺、ジムのマシーンで筋トレしたこと無くて。

マシーンの知識とかそういうの、無いんですけど」


「あっ。そっち?それは大丈夫」

「はぁ......」

筋肉質でもなくって、筋トレについて詳しくない。

なぜ、俺はスカウトされたんだろう。


「その......もしかして住み込みで働けたりはしないですよね」

一か八かで聞いてみた。


「えっ」

蛭間さんは目を丸くした。

「実は、いま、住むところがなくて。

もしそれが無理なら......いや、多分無理だと思うんですけど。

無理な場合は、どこか別で住み込み可能なところを探さなきゃならなくて」


「じゃあここに住みなよ?」

驚いたことに蛭間さんはそう言った。


「ここに!?」


「このジムにはシャワー室もあるし、仮眠できる小部屋もある。

ちょうどいいじゃん」


「マジ......ですか」

「うん。マジ、マジ」


こんな美味しい話があって良いんだろうか。

住み込みで働けて、時給は3000円。

シフトは一日5時間程度。


「その代わり約束してほしいことがあるのよ?」

蛭間さんは急に鋭い視線を俺に向けた。

「ほかでアルバイトや仕事は、ぜったいに請け負わないでほしい」


「......えっ。俺、昼はカフェで、夜は居酒屋でバイトしてるんですけど」

「そんなの辞めたらいい。うちのほうが時給はいいよね?」

「......まぁ、そうですけど」

「カフェと居酒屋は、どうでもいいとして」

「?」


「ほかで、なにか仕事を頼まれても、絶対に引き受けないでほしいのよ」

蛭間さんは低い声で俺にそう言った。


瞬間、俺の頭に般若の顔が浮かんだ。

すでに般若からもらった100万円のうち大半を、午前中に大学に振り込んでしまっていた。


「はい......今後、引き受けません」

俺は、下を向いて小さな声で蛭間さんに約束した。


「今後」引き受けないと。


般若から仕事を請け負ったのは、蛭間さんと約束する前だ。

だから大丈夫。

そんなふうに自分に都合よく考えることにした。


「でもどうして、そんなこと言うんですか?」

俺は蛭間さんに聞いてみた。


「優秀な君を、他社に取られたくない。

それだけよ」


「優秀......?他社......」

腑に落ちなかった。

でも、「どういうことなのか」としつこく追求したら

「働く気がないのか」と思われて、追い出されてしまうかもしれない。


寝泊まりできて、時給の高い仕事まで手に入れた。

こんな幸運、手放す訳にはいかなかった。


******************


蛭間さんにジムの内部をひと通り案内してもらった。


「ここにはシャワー室のほかに洗濯機もあるのよ。

あなたラッキーね」

「使っていいんですか?」

「あるんだから、使えばいい」


蛭間さんは太っ腹だった。



「STAFF」というプレートのかかったドアを開ける。


「あなたが寝起きするのはここ。

一応、エアコンもついてる」

「ほんとに助かります」

俺は頭を下げた。


4畳半くらいの広さ。

シングルベットと白いブラインドの付いた小さな窓。

ベッドのほかには、小さな四角い机と椅子だけの簡素な部屋だった。

でも、「急なミニマリスト」の俺にちょうど良さそうに思えた。


こんなにウマイ話があっていいのか......?


「止めておけ。なにかが怪しい」

慎重派の自分が頭の奥で警鐘を鳴らす。

しかし、楽観的なもう一人の自分が「気にするな」とわめく。


いつも楽観的な自分の勢力が強く、そちらが勝つことが多い。

今回もそうだった。

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